いつだっておひとり様50代に訪れる孤独な死(孤独死を考える会/BHP出版著、BHP出版) は、50代に訪れる孤独な死の対策を提案しています。「50代」に限らず、「70代」「80代」など、人はつねに寿命が尽きたときの「孤独死」の問題が待っています。
いつだっておひとり様 50代に訪れる孤独な死: 孤独死を防ぐ唯一の手は○○ まず現実を知ろう【配偶者ナシ・52歳・両親他界】【両親が死ぬまで気が付かない孤独のリアル】、というサブタイトルも含めると、長いタイトルのKindleです。
「バツ0独身、子供なし、52歳、両親他界」という孤独の身の上の人が、亡くなったらどうなるのか。
いえ、亡くなってから天国でどうするか、という話ではありません。
孤独死した自分の遺体や遺品、社会とのつながりなどをどう整理するか、という現実的な話です。
まあ、子孫や配偶者がいれば、その人たちがするのかもしれません。
しかし、配偶者が先立ったら、子と絶縁したら、子が中途障害になったら……
いや、そもそも子は別人格ですから、何でもおぶさるのは毒親の始まりです。
そう考えれば、現在の身の上に関係なく、誰もが他人事ではない話になります。
本書は2023年8月13日現在、kindleunlimitedの読み放題リストに含まれています。
死後サービス業者に頼むしかないか
Amazonの販売頁には、「バツ0独身、子供なし、52歳、両親他界」の著者が、孤独死を迎える可能性について述べ、その際の準備について解説しています。
そのような境遇の人が、今から慌てて婚活なんかするより、先のことを考えろと、厳しい現実を説いています。
いつのまにか天涯孤独になり、現実に目を向け始めています。
もし、あなたもしっかりと現実を見ることができるのであれば、本書を読んで将来をかんがえましょう。
最近は、政治の問題もあり、子をなすことも、そもそも結婚することすら忌避している人が増えてきていると言います。
日常的に、どう生きるかについては、本人が良ければ「お一人様」だろうが「絶交・絶縁・没交渉」て生きようがいいのですが、もし亡くなったらどうするのか、という話です。
事務手続き
遺品整理
生前整理(遺言)⇒自分にとって大切なコレクションをどう扱うか
などなど、後始末があります。
結論から書くと、そういう「死後の後片付けサービス」業者に頼むのが間違いないようで、著者もすでに安くないお金を払い込んでいるそうです。
業者と契約すると、定期的に電話連絡があり、「生存確認」がおこなわれるそうです。
これ、元気なうちは「面倒だな」と思うかもしれませんが、独居者にはすごく大切なことですね。
そして、日常的に携行する「緊急連絡カード」を発行してくれ、その人の異変を発見した人が、業者に連絡できるようになっているといいます。
賃貸住宅を借りるときも、もちろん業者が「緊急連絡先」になってくれ、「ある日自分が孤独死しても(あるいは外出先で突然死しても)賃貸契約の解約や私物の片付けも含めて、一切を扱ってくれる機関があるので安心ですよ」と言えると言います。
賃貸契約は、まず収入とか勤務先などを保証会社に調べられるという「第一関門」があるのですが、それをクリアしても、申込書に「緊急連絡先」を書き入れる必要があり、別に借金の連帯保証人でもないのに、それを嫌がる人っていますよね。
この点が解決という話です。
まあ、余談ですけど、今は空前の空き家過多の時代なのに、一方では賃貸住宅を借りられない人々もいる「住宅難の時代」という矛盾した傾向があるのですが、その原因は、一にも二にも空き家のオーナーの貸すハードルの高さや選り好みだと思います。
死亡届を出したり、遺品整理したりなど全部やってください、とかね。
話を戻すと、著者は、お寺との間でも、すでに親や自分の遺骨の永代供養の約束をしているそうです。
ただ、これは、両親や先祖の墓を守っていて、つまり菩提寺のある人の話で、核家族でお寺との付き合いがなく、最近流行の、墓ではないところにお骨を安置するサービスの場合どうなのか。
私は詳しくありませんが、そういう施設でも永代供養を申し込めるのか、確認が必要ですね。
厚生労働省の「簡易生命表(令和3年)」によると、2021年の日本人の平均寿命は男性が81.47歳、女性が87.57歳。
しかし、これは数字上の計算であり、だからみんなが80年+α生きると決まったわけではなく、100年生きるかもしれないし、あした交通事故に合うかもしれません。
また、命は繋がっても、寝たきりとか、認知症になってしまうとか、自分のことを自分で判断したりコントロールしたりできなくなるかもしれません。
ピンピンコロリがいいとかいう人もいますが、確率的にはむしろその方が稀です。
ですから、「自分が死んだらどうするのか」。
子供任せ、配偶者任せではなく、自分のことなんだから自分のこととして考えよう、という話です。
ネットのアカウントも決めておくべき
私は、子が中途障害ですし、妻も何度も怪我や病気や手術等を行っているので、切実な話だと思いました。
そもそも人はしょせん一人と思っているので、もともと子をあてにはしていなかったし、気に食わない親類とは絶縁しまくっているし。
まあ、これは「親ガチャ」ならぬ「一族ガチャ」というか、親類の人格次第で事情も変わったのだと思いますが、いずれにしても、他者はあてにならないと思っています。
ただ現状では、今後、お一人さまになったとして、突然死して、「特殊清掃」の人の手を煩わせたら、ごめんさいって感じかな。
別に、葬儀や法事をちゃんとヤってもらうと、あの世で良い思いができるとか、そんなことないですから。
仏教的に、そういう教えはありません!
葬儀や法事は、遺族の自己満足です。
ただ、それ以外の、社会とのつながりをどうするかという問題はありますね。
たとえば、こういうブログとか、SNSのアカウントをどうするかとか。
コロナで亡くなった高校時代の同級生の、Facebookのアカウントが、今もそのまま残っているのですが、「友達」が次々外され、いたずら書きのようなコメントが増えています。
家屋が、どんどん廃屋化されていく感じです。
亡くなったからといって「友達」をやめるのは薄情に見えますけど、その枠は新しい出会いに使おうという判断は、間違いではないと思います。
みなさんは、自分が事切れたあとのこと、決めていますか。
以上、いつだっておひとり様50代に訪れる孤独な死(孤独死を考える会/BHP出版著、BHP出版) は、50代に訪れる孤独な死の対策を提案、でした。
いつだっておひとり様 50代に訪れる孤独な死: 孤独死を防ぐ唯一の手は○○ まず現実を知ろう【配偶者ナシ・52歳・両親他界】【両親が死ぬまで気が付かない孤独のリアル】 – 孤独死を考える会, BHP出版