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うちの子、誰の子?もしもわが子が取り違え子だったら(漫画/たけみゆき、原作/ママリ)は、不妊治療受精卵の取り違えを漫画化

うちの子、誰の子?もしもわが子が取り違え子だったら(漫画/たけみゆき、原作/ママリ)は、不妊治療受精卵の取り違えを漫画化

うちの子、誰の子?もしもわが子が取り違え子だったら(漫画/たけみゆき、原作/ママリ)は、不妊治療受精卵の取り違えを漫画化しました。お腹を痛めて生まれてかわいい盛りを育てている子が、実はよそのうちの子と間違えられていたら、あなたはどうしますか。

『うちの子、誰の子?もしもわが子が取り違え子だったら』は、ママリさん原作、たけみゆきさん漫画で、KADOKAWAから出版しました。

LScomicというシリーズ名がついています。

「取り違え子」と書かれていますが、過去には産婦人科で、生まれた子を別の親の子に間違える例がまれにあったようです。

しかし、今はおそらく、ほとんどそれはないと思われます。

多くの産院では、ネームバンドで赤ちゃんを識別。

最初は母親のネームバンドと一緒になっていて、赤ちゃんが生まれると切り離され、赤ちゃんの足首に装着されます。

赤ちゃんとママのネームバンドには、同じ番号が記載されているそうです。

それとともに、現在は不妊治療が盛んに行われるようになりましたので、本書は「子供の取り違え」ではなく、「受精卵の取り違え」というテーマになっています。

不妊治療というのは、排卵した卵子を精子と受精させ、子宮内膜に戻します。

その受精を、戻すべき母体ではなく別の人に戻してしまったというわけです。

本作が、実話か創作かは明らかではありませんが、それは厄介でしょうね。

その場合、生まれてからの子の取り違えではなく、母親が腹を痛めたことは事実ですから、つまりその子を出産したのは事実ですから、そりゃ、遺伝子が違うだけで、その人が母親と言ってもおかしくないわけですよね。

まあ、向井亜紀さんの代理母問題のように、あくまで生んだ人が母親というのが法律なわけですが、いずれにしても、重い問題です。

ということで、じっくり本作を読んで、考えてみましょう。

本書は2023年3月18日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。

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子の立場にたって考えていると言えるだろうか

登場人物は、三輪家が、タイチ(夫)、サキ(妻)、サクラ(娘)

滝田家が、ジュンイチ(夫)、ミナ(妻)、マユ(姉)、ユウマ(息子)

三輪家が、実家が商売を営んでいて、夫ともそこで働いています。

お互いの子供は3歳。

ある日、三輪家に病院から通知が。

「当院で受精卵の取り違えが起こった可能性が高く、近日中にDNA鑑定を/相手のご家族は話し合いを希望/まずはご説明の場を……」

サクラとユウマが、入れ替わっていたというわけです。

病院は、謝って終わり。

まあ、現実には慰謝料とか、それだけでは済まないでしょうけどね。

滝田ジュンイチは、真っ先に交換を提案します。

「まずは両家で調整して、頃合いを見て交換しましょう。もちろん今後もサクラちゃんと『面会』することは構いませんので」

自分の娘を「面会」と言われて、サキは頭に血が上ります。

でもまだ「ちゃん」付けだからいいですよね。自分の娘のつもりになって、呼び捨てにされたら……

そういう問題でもないか。

三輪の両親は、商売をしているので、息子が欲しいから交換をしろといいます。

タイチも、男の子を育てたいので交換に前向きです。

それが我慢ならず、実家に帰ったサキ。

しかし、サキの母親まで、別の理由から交換しろといいます。

「サキ、今まで大変だったでしょ。サクラが生まれるまでずっと不妊治療して。今もずっと治療して。お母さんは心配なの。私にとっては、あなたが宝物なの。これ以上、苦しんでほしくない」

私はこの連中、全員が間違っていると思いました。

子にとってなにがいいか、ではなく、自分の希望や都合で物を語っているからです。

こいつら全員、子を語る資格も育てる資格もなし。

……なんてことを言ってはいけませんか。

誰でもこういうことになったらうろたえますからね。

それで、両家で交流したり、お試しのお泊りをしたりしたのですが、親の気持ちも決心がつかず、子供も当然これまでの親がいいといいます。

滝田家は、ミナがやはり交換には気持ちの踏ん切りがつかず、ジュンイチは自分の子ではないという意識が働いたのか、あやうくユウマに手を上げかけ、夫婦関係まで悪くなってしまいます。

サキは、家業をはなれて別居して就職します。

母子家庭だったサキは、タイチにも、もしものことがあったらと考えて、自分で働くことにしました。

さて、両家は夫婦関係まで影響を与えていますが、結末はどうなるのか。

詳細は、本書でご確認ください。

子供の取り違えはこの頃からドラマ化されていた


木下恵介アワーという、人気ドラマ枠が昭和の時代にはありました。

その最終シリーズは、『わが子は他人』(1974年4月3日~1974年9月25日)です。

若い真面目な働き者の夫婦(松山省二と音無美紀子)と、年をとってやっと子どもに恵まれた夫婦(杉浦直樹と林美智子)が子供を取り違えられた設定でした。

取り違えられた子供は、初代『あばれはっちゃく』の吉田友紀と、『砂の器』で遍路の父子の「子」を演じた春田和秀。

春田和秀は、以来芸能界から退き、Wikipadiaも書き手がいなかったのですが、何とご本人が43年ぶりに表舞台に登場して、当時を振り返っています。

これはたぶん、遡ること3年前の1971年に、沖縄で発生した新生児取り違え事件(『ねじれた絆』で小説化)が原案になっているのではないかと思います。

『ねじれた絆』は、昭和46年に起こり、昭和52年子供が6歳になったときに、赤ちゃん取り違えの事実が判明した事件を描いています。

沖縄で、看護婦のミスにより生後まもない赤ちゃんが取り違えられたのです。

愛娘誕生から、6年後に取り違えに気づいた2家族の、裁判、子供の再交換、二家族の合体までの生き様を17年間にわたり取材したノンフィクションです。

やはり、6年間愛情を持って育てた子供を実際は違うといわれても、手放す気にはなれず、母親はそれがわかった日には泣き明かし、その後も泣き、悲しみ、肉体的な変調をきたすほどでした。

赤ちゃん取り違え事件が発覚すると、そのほとんどは実の親に戻されるといいますが、本作はノンフィクションだけに、そのような単純な結末ではありませんでした。

本書『うちの子、誰の子?もしもわが子が取り違え子だったら』は、双方の経済状態や教育方針、つまり親の文化水準(学歴とか教育についての考え方など)が明らかではありません。

唯一、片方が家業があるというだけです。

つまり、親の側の事情として、店を継ぐための「息子が欲しい」ということがあったのですが、沖縄新生児取り違え事件の場合は、一方がきちんとした家庭、一方が夫婦関係が悪い家庭という、子供にとって決定的な「環境の差」があり、一方の子が交換を後悔しているくだりもあります。

実は、取り違えで最もやっかいなのはそこでしょう。

本書のように、これまで育ててきた愛情は、血縁をも上回るものだ、だから交換なんてできない、という価値観自体はありえると思います。

しかし、それだけではないんですね、親子関係というのは。

誰だって、夫婦が愛人を作って「夫婦関係が破綻している両親」よりは、家庭として成立している「関係がまともな両親」の子供でありたいですよね。

その場合、後者の子が取り違えで前者に行くのはまだいいです。

でも、前者の子が後者に行くのはサイアクですよね。

あとは、教育に理解があり上級学校にいかせてくれる両親と、学校なんか行かなくていいから働けという両親。

学校さえ行けばいいわけではありませんが、前者の子として教育熱心な家庭で育てられたのに、後者の家庭に交換されたら困りますよね。

逆に後者の子供だったら、実の親のもとへ行きたい、ということだってあり得るのではないでしょうか。

つまり、血縁や情だけでなく、「両親の質の差」も大きいのです。

こういう例で改めてわかるのは、「親ガチャ」はあるということです。

「親ガチャ」なんてない、と言い張っている苦労知らず、もしくは自分の毒親ぶりを反省しない厚顔な親御さんには、本書はもちろん、小説の方もぜひ読んでいただきたいですね。

以上、うちの子、誰の子?もしもわが子が取り違え子だったら(漫画/たけみゆき、原作/ママリ)は、不妊治療受精卵の取り違えを漫画化、でした。


うちの子、誰の子? もしもわが子が取り違え子だったら (LScomic) – たけ みゆき, ママリ

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