さよなら親鸞会ー脱会から再び念仏に出遇うまでー(サンガ伝道叢書刊行会)は、浄土真宗親鸞会脱会者が、青春を取り戻した話です。いったん社会に出ながら、再び真宗大谷派玄照寺住職となり、改めて阿弥陀仏の教えに到達したそうです。
『さよなら親鸞会ー脱会から再び念仏に出遇うまでー』は、瓜生崇さん(現在、真宗大谷派玄照寺住職)の講演を収録して、サンガ伝道叢書刊行会から上梓したものです。
内容は、瓜生崇さんが18歳~30歳という青年期を、浄土真宗親鸞会の伝道布教活動にいそしんでいた時期。そして、脱会後、また浄土真宗大谷派の寺院と出会い、住職になるまでを振り返っています。
浄土真宗親鸞会については、菊谷隆太さんという、人気YouTuberについてご紹介した際、浄土真宗親鸞会についても簡単に言及しました。
その際、「浄土真宗親鸞会については、脱会者の批判書物もでていますから、また別の機会にご紹介したいと思います。」と約束しました。
今回は、その約束を果たす形となります。
本書『さよなら親鸞会ー脱会から再び念仏に出遇うまでー』は2022年10月31日現在、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
名乗らない伝導が耐えられなかった
瓜生崇さんは、浄土真宗親鸞会の菊谷隆太さんに対して、ご自分の動画チャンネルから呼びかけを行っています。
動画では、冒頭から『仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太』チャンネルに言及。
最近、菊谷隆太さんについて気になる相談をされているといいます。
瓜生崇さんは、菊谷隆太さんをよく知っているのに、まずは知らないかのような立場から、菊谷隆太さんの動画のスクショより、背広の襟に、「金色の丸いバッチがあってこれよく見ると、中の方に鷲のマークがある」ことに注目します。
他の仏教系YouTuberにも、同じバッジをつけている人がいることを紹介。
『浄土真宗学院通信教育講座』なる塾のサイトトップページに、そのうちの1人が出ていることも見せています。
そして、その浄土真宗学院が、「富山にある新宗教教団」の運営であるといい、ここで浄土真宗親鸞会という名称を紹介します。
さらに、バッジは、同教団の講師がつけるものであることを説明した上で、話は菊谷隆太さんに戻ります。
菊谷隆太さんという方は、浄土真宗親鸞会という教団の講師であって、その教団の布教をしている方なんですね。
動画では、菊谷隆太さんが早稲田大学時代、平成2年の教団機関誌に登場していることを公開。
続いて、菊谷隆太さんが公式サイトで公開しているプロフィールも紹介し、その中にあるアメリカにおける布教活動が、浄土真宗親鸞会でのものであることも資料から裏付けています。
つまり、動画やプロフィールで、「浄土真宗親鸞会の菊谷隆太です」と所属を名乗らないことに対して、「いや、この人は現在も含めて、一貫して浄土真宗親鸞会で活動してきた人なんだよ」ということを明かしているわけです。
それにしても、そんな昔の、一教団の機関誌資料をよく持っているなあ、すごい情報収集力だなあと感心するわけですが、その理由はまだ明らかにせず、瓜生崇さんは浄土真宗親鸞会の何が問題なのかを述べます。
じゃあそれ何か悪いことなんですかという風にを言われるかもしれませんけども、別に全然悪いことじゃありません。
僕だってね、こうやって、YouTubeのチャンネルを持ってこうやって一生懸命仏教の話ししてるわけですから。
これ、ある意味で布教ですよね。だからこれ自体は特に何も悪いことじゃないんです。宗教がから布教取ったらもう何もなくなりますからね。まあ問題ありません。
ただやっぱりね、まったく問題がないっていうわけじゃないんですよ。本当になかったならば、私のところに相談なんか当然こないと思うんですね。
一体どんなことがじゃあ問題になってるんでしょうか。(Wikipediaの「浄土真宗親鸞会」のページを引用表示して)「組織的に偽装した布教方法を批判されることがあり、カルト教団であると批判的に議論されることがある」と、こう書いてあります。微妙な書き方ですね。
親鸞会をカルトだというふうに言っているわけじゃないんですね。カルト教団だと議論されることがあると、いうふうに書いてあります。微妙な書き方をしていますね。でまぁあのその理由は何かといったら、組織的に偽装した布教方法を批判されることがあるって書いてあります。これいわゆる偽装勧誘と言われるものなんですね。
つまり自分たちの正体を隠して、そして布教をすると言うやり方です。こういうことを親鸞会はずっと続けてきましたので、批判されてるんだとWikipediaには書いてあります。
ここまで話してから、瓜生崇さんは、1993年~2005年までの12年間、ご自身もかつては浄土真宗親鸞会の布教活動を行っていたことを、やっと打ち明けます。
うーん、たぶん、このチャンネルをご覧になっている方って、瓜生崇さんが浄土真宗親鸞会の出身ってわかってるんですよね。
それでも、あえてそういう溜めに溜める入り方したんですね。
私だったら、回りくどいのは面倒だから、いきなり、菊谷隆太さんの所属と自分との関わりを話しちゃいますけどね。
それはともかくとして、瓜生崇さんはご自身の活動について語ります。
その中で我々は一体どんなことをやってたのかといったら、偽装勧誘をしてたんですね。つまり、宗教色を薄めた親鸞会ってもちろんそんなことは一つも触れないで、そういういろんなダミーサークルを大学に作って、その大学の中で、自分は大学院生ですとか、大学の博士課程ですとか、まあ嘘ですね。そういう嘘をついて学生を勧誘して、そして人間関係ができてから徐々に親鸞会であるってことを明かしていって、親鸞会の本部に連れて行ったりとかして、合宿に参加させたりとかして、その中で入信を募るということを私たちは行ってました。
まあつまり、まあそうですね、わかりやすく言えば、人をだまして勧誘していたと言ってもいいと思います。
浄土真宗親鸞会の講師です、といって大学で話すわけにはいかないので、嘘をついて勧誘したと。
真実を伝えるためだったら、そのくらいの嘘はついてもいいんだって、自分に言い聞かせて活動をしていたといいます。
しかし、いいろな出来事もあって、結果的に瓜生崇さんは、嘘ついてコソコソ活動するのが世界唯一の真実の教団なんだろうかと疑いを抱き、会の活動を続けていくことができなくなったそうです。
これは、たんに瓜生崇さんの「良心」でそう判断したもの、という話ではありません。
1993年に判決が出た、青春を返せ裁判(せいしゅんをかえせさいばん)といわれる事件があり、昨今話題の世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合)の元信者が、教団の勧誘方法は日本国憲法に保障された「信教の自由」を侵害する違法なものであるとして損害賠償を請求した違法伝道訴訟で勝訴しているのです。
旧統一教会は、自分たちの正体を隠して布教活動をしていました。
それに対して、布教する側が、自分の立場や組織名などを隠して布教することは、「社会的相当性を欠いている」。つまりしてはいけないことである、という判決が出たのです。
「信仰の自由に対する重大な脅威と評価すべき」という表現が判決では使われていますね。
なぜなら、マインドコントロールしてから正体を明かしても、その人はすでにその教義を真理として受け入れて信仰している以上、「宗教教義からの離脱をはかることは通常きわめて困難」だからだということです。
にもかかわらず動画では、菊谷隆太さんの動画からメールマガジンへ、メールマガジンから仏教コミュニティー(オンラインサロン)に誘われ、それまでは浄土真宗親鸞会とと名乗らず、でも結局コミュニティーでは浄土真宗親鸞会の核心に迫る内容が登場するそうです。
そこで、瓜生崇さんが問題にしているのは、「地獄に落ちる」というフレーズを菊谷隆太さんが使っているとの相談をたくさん受けていることです。
菊谷隆太さんの動画を見ただけでは無問題ですが、そこから進むと、違法の疑いがある伝導を経験することになるだろうと瓜生崇さんは言っているわけです。
詳しくは動画をご覧いただくとして、とにかく浄土真宗親鸞会の問題点と、菊谷隆太さんの伝導の危うさについて、瓜生崇さんはそう解説しているのです。
『シーシュポスの神話』がきっかけに
上記の動画の内容で、かなりの部分をご紹介してしまいましたが、瓜生崇さんが浄土真宗親鸞会と出会ったのは、高校三年の時に、志望校であった東京理科大の下見に来て声をかけられたと書かれています。
そこで聞かされたのは、シーシュポスの神話。
神々がシーシュポスに科した刑罰は、休みなく岩を積み上げること。
ところが、いくら積み上げても、ひとたび山頂まで達すると、岩はそれ自体の重さで転がり落ちてしまいます。
「努力すれば報われる」という真実などなかった、という話です。
「毎日コツコツ」がんばっても、結局は無に帰すのではないか、という気持ちになります。
瓜生崇さんは、その話を聞かされたわけです。
人生、いくら積み上げても、死ぬときはすべてを失う。
自分が積み上げたものは全部が借り物なのだと。
瓜生崇さんは、考えてしまったわけです。
オレは最後は死んでいくのに、一体なぜ生きるのだろうと。
感受性の高い思春期にそんなセンシティブな問題を投げかけられたら、そのことを考えちゃいますよね。
かくして、瓜生崇さんは浄土真宗親鸞会に入会し、過酷な布教活動を経験します。
何しろ、布教活動とアルバイトに時間を取られ、また宗教活動で親からは勘当されて学費を打ち切られたために、大学は中退してしまうのです。
しかし、上記のような問題にぶつかり、30歳で会を離脱。
いったんは「シャバ」に出て働きますが、社会にでるのが遅れは割には、仕事、結婚、子ども、マイホーム、新車という5つの目標をたててがむしゃらに頑張り、なんとそれらをわずか3年ほどで全部獲得してしまいます。
「やっと追いついた」と思ったそうですが、夫人の実家である大谷派の寺の住職がいなくなり、またも宗教の道へ。
僧籍もなく、夫人も反対していたのですが、本人は「阿弥陀様のお導き」と思って住職になったとか。
そして、念仏の教えとの出会いまでを打ち明けています。
でも黒歴史ではなかったのかもしれませんね
私の読んだ率直な感想ですが、瓜生崇さんには失礼かもしれませんが、一点気になることがあります。
もちろん、大谷派の住職という現在の立場自体は何の問題もないのですが、ただ、なぜもともとは僧籍もなかった瓜生崇さんがそれを望んだのか。
私は、旧オウム真理教の井上嘉浩元死刑囚について語った、江川紹子さんのコメントを思い出しました。
ちょっと長くなりますが、引用します。
「例えばオウム真理教の中で,幹部としていろいろな犯罪に関わりながら,今ではオウムで何が行なわれていたかを法廷で明らかにし,むしろアンチオウムの立場になっている井上嘉浩という青年がいます。
彼はもう絶対オウムに戻ることはないと思います。でも何か聞いているとずれてくるのです。どこがずれてくるのだろうということでずっと裁判を見ていましたが,私にはよく判りませんでした。
それについて,カルト問題に関わってらっしゃる心理学の専門家の方が何度も面会を重ねて心理鑑定を行い,法廷で話されたことは,『結局マインドコントロールが100%開放された状況ではない』ということでした。
つまり麻原教からは脱したけれども,今度は別のものが彼を支えているということです。例えば彼の中では,チベット仏教がオウムの柱になっているのですが,彼には弁護士や家族,その他裁判所が特別に認めた人以外とは面会はできないため,正しくその仏教を教えてくれるという人もいません。そのため,本を読みながら自己流にチベット仏教なるものに接近しているようなのです。」(講演タイトル、日本におけるカルト教団の実体と問題点。ジャパンスケプティクスの講演より)
余談ですが、私もこのジャパンスケプティクスを離脱した「青春の蹉跌」があります。
それはともかくとして、失礼ながら、この講演内容の「井上嘉浩」を「瓜生崇」に置き換えてみます。
浄土真宗親鸞会「からは脱したけれども」、「今度は別のものが彼を支えている」。
「別のもの」というのは、現在の浄土真宗大谷派であると。
大谷派が、オウム真理教のようなカルトだと言ってるんじゃないですからね。
浄土真宗親鸞会にのめり込んだマインドは、実はそのままではないか、ということをいいたいのです。
さすれば、瓜生崇さんにとっては、浄土真宗親鸞会は、全否定するほどの黒歴史ではなかったのでしょう。
要するに、違法伝導についていけなくなったというだけでね。
だって、30歳まで社会と切れていたのに、そこから5つの目標をたてて、家は建てる、結婚する、子ども作る、車買うって、その後の3年ぐらいで成し遂げているんですからね。
私なんか、大学卒業までストレートで22歳で社会に出ているのに、もう還暦過ぎましたが、その5つの目標を全部は達成できていませんよ。
たぶん、浄土真宗親鸞会の過酷な布教活動での「頑張り」がベースになっているんじやないですか。
部活動みたいなものでね。
菊谷隆太さんの動画がどうして人気があるのかというと、コンテンツとしての構成、話のうまさだけでなく、すごくご本人が幸せそうに見えるんですよ。
宗教に興味を持つ人って、不幸不運に悩み苦しんでいるから、幸せそうなことが羨ましいのだと思います。
その意味では、私は本書は、むしろ青春の思い出と言ったらさすがに甘すぎかもしれませんが、良くも悪くも人生のベースとなっていることとして、多少なりとも心地よさをもって語っているのではないか、という気がしました。
いかがでしょう、瓜生崇さん。
以上、さよなら親鸞会ー脱会から再び念仏に出遇うまでー(サンガ伝道叢書刊行会)は、浄土真宗親鸞会脱会者が、青春を取り戻した話、でした。