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その「サバサバ」間違ってます!(甲斐今日子、ぶんか社)は、いわゆる“自サバ女”の姑とそれに対抗する息子の妻の関係を描いた

その「サバサバ」間違ってます!(甲斐今日子、ぶんか社)は、いわゆる“自サバ女”の姑と、それに対抗する息子の妻の関係を描いた漫画です。「自サバ女」は近年流行しているフレーズらしいのですが、自分で「サバサバしてる」って言う人はだいたいしてないですよね?

その「サバサバ」間違ってます!(甲斐今日子、ぶんか社)は、いわゆる“自サバ女”の姑と、それに対抗する息子の妻の関係を描いた漫画です。「自サバ女」は近年流行しているフレーズらしいのですが、自分で「サバサバしてる」って言う人はだいたいしてないですよね?

『その「サバサバ」間違ってます!』は、甲斐今日子さんによるマンガ作品です。

華やかで若々しい「陽キャ」のつもりになっている姑・令子と、その次男の妻である兼業主婦・平川和香の関係を描いています。

かなり、「大映ドラマチック」(古典的で大袈裟ということ)な画風とストーリーですが、テーマはなかなか興味深い作品です。

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大袈裟なストーリーの中に普遍的テーマ

「私、40歳に見える58歳よ。私って昔からサバサバしているっていわれているから、裏表のないお付き合いをしましょうね~。あなたが母子家庭でも地方出身でも、私は全然大丈夫だから」

主人公、平川和香と顔を合わせたときに、そう挨拶したのは姑の成田令子です。

令子は、自分を「サバサバしている」と自称していますが、要するにマイペースで自分の気に入った言葉しか耳に入らない、他者の立場になって考える脳みそもない、他者と齟齬や議論や葛藤が起きようがないという意味での「サバサバ」した性格の持ち主です。

最初、和香は新婚夫婦に干渉しない姑だと油断していましたが、令子は和香に必要以上に執着し、眠り薬を飲ませて無理やり熱海の温泉旅行に付き合わせたり、折り合いの悪かった長男の妻・昭恵を貸ガレージに監禁して自分の言いなりにさせようとしたり、常軌を逸したサバサバぶりを発揮します。

さらには、「大学時代友人をコロした」というダークな秘密を抱えていることが明らかになります。

つまり、サイコパスなエゴイストです。

先日も、サイコパスについて書きましたが、サイコパスそれ自体が犯罪に直結するのではなく、個々の欲望が時として犯罪に行き着くということかもしれません。

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が、和香もやられっぱなしではなく、昭恵と共闘して令子と対決します。

この作品は、かなり極端なキャラクターとストーリーですが、家族関係の複雑さや、表面的な人間関係の裏に隠された真実を探ることをテーマにしていることから、一部の読者にとっては共感を呼ぶ内容のようです。

また、コミカルな要素も含まれつつ、人間の心理を巧みに描き出している点が特徴です。

「サバサバ」について考える

「自サバ女」とは、「自称サバサバした女性」を意味する言葉で、SNSではしばしば出てくるキーワードです。

調べると、2020年11月から配信された電子コミック『ワタシってサバサバしてるから』が元ネタとなっているそうですね。

しかし、その作品は、サバサバと称しながらも、実際には他人に対して毒舌を吐いたり、自己中心的な行動を取る女性が描かれています。一般的には自己主張が強く、他人に対する思いやりが欠けているともいわれています。

そもそも、人物評価とは、相手から与えられるものです。

「サバサバしている」と断定的に自称するのはおかしいですよね。

もちろん、自分で自分をどう見ているか、という自己認識が無意味ということではありません。

しかし、そのような自己評価が他人との関係性やコミュニケーションにどのように影響を与えるかは、状況や個々の人間関係によって異なるでしょう。

つまり、相手の評価なしに、「私はサバサバしている人間」とあらかじめ結論を出すことではないでしょう。

たとえば、自分を「サバサバしている」と言うことが、無意識のうちに、他人に対して配慮が足りない行動を正当化するための言い訳になっているということだってあります。

自己評価と、他者からのフィードバックをバランス良く取り入れることが、自己成長や人間関係の構築において有益だと言えるでしょう。

もうひとつは、令子は、「サバサバ」を肯定的に捉えて、自分がそうだと自画自賛しているわけですが、そもそも「サバサバ」が本当に肯定的な人格なの?という疑問もあります。

それって、一見、他者と意見の違いがあって齟齬があったとしても、恨みとかシコリとかない、つまり陰キャではないという意味のつもりかもしれませんが、私には、いつも大事なことから逃げる卑怯者という疑いもあります。

ことと次第によりますが、こだわらなければならないところ、譲れないところは、議論を尽くし、けじめが必要ならきちんとしたほうが、嫌われたとしても人として筋の通った立場ではないかと私は思います。

1980年代頃、「ネアカ」と「ネクラ」という、嫌なレッテルがありましたよね。

それで、まるで「ネクラ」は悪い人間性であるかのような当時の若者文化がありました。

まさに、今で言う「陽キャ」「陰キャ」がそうです。

「サバサバ」を自称する令子は、「陰キャ」と思われたくなかったんでしょうね。

そんなものに惑わされずに、「陰キャ」と思いたければ勝手に思わせておけばいいのではないでしょうか。

私ですか? 私は、思いっきり「愚直」で「ネクラ」で「陰キャ」です。

あ、でもこれはこれで、「自サバ」の裏返しになっちゃうか(笑)

みなさんは、「陰キャ」とか「サバサバ」とかいった、自分についての評価は意識されますか。

以上、その「サバサバ」間違ってます!(甲斐今日子、ぶんか社)は、いわゆる“自サバ女”の姑と、それに対抗する息子の妻の関係を描いた漫画、でした。


その「サバサバ」間違ってます!(分冊版) 【第10話】 (ストーリーな女たち) – 甲斐今日子

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