それならブッダにきいてみよう(アルボムッレ・スマナサーラ著、Evolving)は、テーラワーダ仏教の教えをまとめています。誰でもが感じる日々の悩みや問題に、ブッダの智慧でわかりやすく回答。こころ編2巻、人間関係編、教育編、ライフハック編など全5巻です。
『それならブッダにきいてみよう』は、アルボムッレ・スマナサーラさんが、Evolvingから上梓した書籍です。
このブログ記事では、Kindle版をもとにご紹介します。
アルボムッレ・スマナサーラさんは、1945年4月、スリランカ生まれで13歳で出家得度。
日本では1980年に国費留学生として来日し、駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事しています。
アルボムッレ・スマナサーラさんについては、過去にも著書をご紹介しました。
原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話(アルボムッレ・スマナサーラ著)は、お釈迦さまの言葉に最も近いといわれる経典の日本語訳と解説です。
初めての本上座仏教―常識が一変する仏陀の教えは、仏教が説く心の問題をまとめています。
本書は、2ページで一問一答の形式で、
怒らなければ楽に生きられる?(質問)
↓
「怒らないこと」は二つの幸福を作る(回答)
と展開します。
2023年4月8日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
今日は灌仏会(かんぶつえ)といって、お釈迦さまの誕生日といわれている4月8日に行われる「花まつり」です。
記念の日に仏教の本を読んでみませんか。
テーラワーダ仏教はお釈迦様の教えを継承することを標榜
テーラワーダ仏教というのは、上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)ともいわれます。
上座部仏教というのは、仏教の教派の一つです。
仏教の開祖はお釈迦様ですが、お釈迦様の死後、インドのマガダ国にあった王舎城で開かれた第一次結集によって成立したとされています。
つまり、お釈迦様の教えを継承することを標榜する教派ということです。
ところが、その結集の中で、戒律やふるまいが時代に合わなくなり、もっと大衆的なものであってもいいのではないかという考えの僧もいたために、そちらは大衆部≡大乗仏教として、事実上分裂しました。
それをきっかけに、お釈迦様が開いた仏教は、後に地理的・思想的な違いから、複数の宗派に分かれていきました。
といっても、決まりをゆるくしたため、お互いに「仏教」という看板のもとでのことですが。
自由民主党の派閥のようなものでしょうか。
その中で、代表的な潮流が、テーラワーダ仏教と大乗仏教です。
テーラワーダ仏教は、仏教の原点に近いことを標榜する仏教の宗派で、お釈迦様の教えに基づいた上座部仏教とも呼ばれます。
この宗派では、修行者は自力での解脱を目指し、仏教経典を厳密に守ることが重視されます。
また、仏教の教えを信じる者であれば誰でも出家し、僧侶になることができます。
テーラワーダ仏教は、主に東南アジアで広く信仰されています。
一方、大乗仏教は、テーラワーダ仏教から分派した宗派の一つで、後期仏教とも呼ばれます。
この宗派では、仏教経典を厳密に守ることよりも、慈悲や智慧を重視し、他者のために尽くすことが重要視されます。
また、大乗仏教では、成仏を助けてくれる存在として如来や菩薩が登場し、教えを広めるために自己犠牲を払うことが期待されます。
大乗仏教は、主に中国や日本をはじめとする東アジアで広く信仰されています。
上座部仏教では、お釈迦様の説いた教えを正確に理解し、忠実に守ることが重視されます。また、仏教経典の中で最も古いとされる『パーリ語経典』を重要視し、この経典に基づいた仏教的修行を行います。そのため、上座部仏教は、テキストに基づいた教義体系を持ち、厳密な戒律を守ることが特徴です。
上座部仏教は、主に東南アジアのタイ、ミャンマー、スリランカなどで信仰されています。
これらの宗派の違いは、教義や修行方法、出家制度などに表れていますが、どちらの宗派もお釈迦様の教えに基づいています。
テーラワーダ仏教と大乗仏教は、自利か利他か、という違いがあるんです。
これまでも何度かご紹介しましたが、本来は出家して修業をすることで悟りに達し、煩悩をなくして解脱をはかるのが仏教です。
つまり、自分のために自分の心の中で悟るものです。
お釈迦様の仏教には、八正道という修行があります。
- 正見(正しい見解)
- 正思惟(正しい決意)
- 正語(正しい言葉)
- 正業(正しい行為)
- 正命 (正しい生活)
- 正精進(正しい努力)
- 正念(正しい思念)
- 正定(正しい瞑想)
「正しい」といわれても、何が正しくて何が正しくないのか判断がむずかしいかもしれませんが、この修行における「正しい」とは、
- 真理(お釈迦さまの説いた教え)に合っていること
- 自分本位(自己中心)でないこと
- 偏ってないこと
- 調和がとれていること
- 目的にあっていること
といったことが挙げられます。
まあ要するに、ものごとを「ありのまま」に見て、考え、感じていくことです。
といっても、これらの抽象的ですけどね。
しかし、大乗仏教は在家の人(私たち一般人)が、出家修行をしなくても、善行(他人に尽くす)を積み、如来や菩薩の力を借りてそれにかわる力を得られるとするものです。
こちらは、六波羅蜜という修行があります。
- 布施
- 持戒
- 忍辱
- 精進
- 禅定
- 智慧
見返りを求めず、財施・無畏施・法施を分け与えることを言います。お布施や寄付を行うことです。
財施、心施、法施などがあります。
戒律を守ることをさします。在家の場合、五戒や八戒を守り、出家した場合は、律によって規定されている禁戒を守ることをいいます。
どんな辱めを受けても耐え忍ぶということです。
不断の努力をして誠心誠意尽くすことです。
自分を冷静に見ることです。
これらの五つの波羅蜜を実行し、中道を歩み、般若波羅蜜を成就させることを言います。
「布施」と「持戒」は利他、「忍辱」と「精進」は自利、「禅定」と「智慧」は解脱についての修行であるとしています。
本書でも書いていますが、テーラワーダ仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老は、自利があって利他がある、という考え方です。
つまり、自己犠牲の上に立った他人の幸せを獲得する行為は本物ではない、という考え方です。
私もこれは同意です。
「親孝行」に疑問あり
ただ、ではテーラワーダ仏教が、純粋な「お釈迦様の仏教の跡継ぎ」かというと、そうともいえません。
阿含経という、お釈迦様の教えに最も近いとされる経典とは両立しない教えが入っているからです。
たとえば、アルボムッレ・スマナサーラ長老は、どんな著書にでも「親孝行」という言葉が入ってくるのですが、お釈迦様の教えにそのようなものはありません。
お釈迦様は、むしろ善行は否定しています。
善行も業だからです。
業というのは「行い」という意味で、そこに善悪は関係ありません。
業が煩悩となり解脱を妨げるという立場です。
まあ、現代社会に生きている以上、お釈迦様時代と全く同じというわけにはいきませんから、ある程度のアレンジは「あり」なのかな。
でも、ほかのことはともかく、「親孝行」を修行に組み込むのはどうなのかなと思います。
なんとなれば、せっかく現代社会では「毒親」という概念が確立して、親のことはなにがあっても、どんな親でも従わなければならない、という非合理な関係を見直す所まで来ているのに、それを宗教の名のもとに妨げてほしくないなと思います。
ま、とにかく論より証拠で、読まれることをおすすめします。
以上、それならブッダにきいてみよう(アルボムッレ・スマナサーラ著、Evolving)は、テーラワーダ仏教の教えをまとめています。でした。