『ぼちぼち歩こう 墓地散歩』(石井秀一著、日刊スポーツ出版社)は、著名人の墓を巡った日刊スポーツの連載をまとめたものです。著者は日刊スポーツ編集委員。これまでに300もの墓を訪ねているそうです。墓マイラーの意味や意義を考えさせてくれます。
墓に入っている著名人たちの生前の活躍を振り返る
墓じまいや樹木葬、永代供養など、墓の在り方が問われている昨今。
有名人の墓を訪ねる類似書は他にも出ています。
発行年月日を見ると、『ぼちぼち歩こう 墓地散歩』より前に出ているものもあれば、同書の発売後のものもあります。
つまり、「墓の本」自体は他にもあります。
ただし、この『ぼちぼち歩こう 墓地散歩』は、タイトルこそ『ぼちぼち歩こう 墓地散歩』ではあるものの、散歩そのものではなく、何よりその墓に入っている著名人たちの生前の活躍や名言、エピソードなどを振り返り、著名人たちを思い出すところに力点が置かれているのが特徴です。
要するに、故人を偲び、故人に対する生前に抱いていたあこがれや慈しみなど、著者の温かい思いが描かれていています。
墓を通して故人と気持ちを通わせているわけです。
ですから、同書を読むことで、登場した故人たちに対する新たな関心が湧いてくることでしょう。
冒頭に書いた「歴史上の人物」とは、たとえば坂本龍馬、沖田総司、勝海舟など、「人気漫画のキャラクター」は『あしたのジョー』の力石徹、それ以外に俳優、プロ野球選手、作家、落語家などの墓をまわっています。
たくさんいるので全ては書きませんが、稲尾和久、三船敏郎、石原裕次郎、長谷川町子、夏目漱石、大宅壮一、三島由紀夫、向田邦子、植村直己、松田優作、美空ひばり、越路吹雪、坂本九、林家三平、古今亭志ん生……
まだまだたくさん出てきます。
こうした人物は、本来1つのテーマでは収まりきれない多分野で活躍する人々。それを束ねられるキーワードが「墓」だったということです。
故人を再評価するエピソード
故人について、当然生のインタビューはできませんから、生前の書籍やインタビューなどで振り返っています。
たとえば、渥美清。
私は『男はつらいよ』を全作見ています。
渥美清は仕事とプライベートを分け、親しい友人や仕事関係者にも自宅を教えなかったというのは有名な話。実は私はそういうところに共鳴しています。
ただ、渥美清の友人である小沢昭一が生前に骨壷をプレゼントしたものの、渥美清の骨が収まるまでは、夫人がキャンデー入れに使っていたというのは共鳴しかねました(笑)
いくら使う前だからといって、もっと別のものに入れておいてもよかったと思うのですが。
といっても、それで渥美清が嫌いになった、などということは全然ありません。むしろその逆です。家族を非公開にする真相が実はそのへんにあったりして、なんて考えると失礼ですが楽しくなってしまいます。
勝新太郎を再評価したくなった
俳優では、勝新太郎が兄の若山富三郎とともにとりあげられています。
日本の大物俳優は、高倉健にしろ、三船敏郎にしろ、石原裕次郎にしろ、礼節をわきまえた人格者としての面が報じられているので、私は勝新太郎という人を生前、どうしても理解することができませんでした。
しかし、著者は、そんな私の狭量なものの見方を諌めるように、勝新太郎のこんな面を思い出しています。勝新太郎がパンツの中に薬物を入れていた事件の裁判のことです。
法廷の扉が開く直前に、「今日の客(傍聴人)の入りはどうだい」と看守に聞いた。「超満員です」の言葉に満足げな表情を浮かべた。(中略)「後ろ姿で芝居するってのは難しいな。後ろのお客を楽しませるというのは。それでも、(証人席の)玉緒は何となく気持ちよさそうな芝居をしていたよ。ちょっと(うなだれて肩を落として)なんてやると、ふっと警官が動いたりして」と笑った(「泥水のみのみ浮き沈み」勝新太郎対談集)。これは民事ではなく刑事事件の裁判です。もちろん民事なら許されるわけではない不謹慎な話ではありますが、今、改めてこの話を読み、愛すべき役者バカなんだなあと思いました。
だって、普通だったら、クサイ飯を食らうかどうかの瀬戸際で、仕事でもないのに俳優マインドなんかではいられないでしょう。
それにしても、看守も“わかってる人”だったんですね。
今までは積極的に見たいと思わなかった勝新太郎の作品も、少しずつ見てみるか、という気になりました。
、墓を通じて故人を偲ぶ
最近は、墓なんて「縁起でもない」などと毛嫌いせず、墓地散歩を楽しむ“墓マイラー”が増えてきたそうですね。
私はそれはいいことだと思います。
この『ぼちぼち歩こう 墓地散歩』の影響もあるのでしょう。
唯物論からすれば、人間、亡くなってしまえばそれっきりです。
宗教の立場としても、浄土の世界に逝ったわけで、墓や位牌にはその人が存在するわけではありません。
ただし、月並みな表現ですが、墓はそこに眠る人を改めて思い出す縁になります。
今は、どこかに散骨したり、ロッカーに納骨したりするケースも増えてきています。
しかし、唯物論者の私でも、墓という「象徴」を通して、その人の生前を偲ぶことを否定するわけではありません。
たとえば、東京都大田区の池上本門寺では、力道山、永田雅一、児玉誉士夫、町井久之、大野伴睦、東京新聞社長太刀川家らの墓が近くに並び、生前のつながりを思わせる「墓閥」を形成しています。
私が勝新太郎に対して思いが少し変わったように、墓が有名人であれ一般人であれ、もしかしたら後世の人に何らかの有用な役割を果たすかもしれません。
同書を読み、墓を通じて故人を偲び、墓の価値を守ることは大切ではないかと思いました。
以上、『ぼちぼち歩こう 墓地散歩』(石井秀一著、日刊スポーツ出版社)は、著名人の墓を巡った日刊スポーツの連載をまとめたもの、でした。