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まんがでわかる日本の偉人伝総集編(よだひでき著、ブティック社)は、日本の歴史に名を残す58人の生涯と功績を漫画化した書籍

まんがでわかる日本の偉人伝総集編(よだひでき著、ブティック社)は、日本の歴史に名を残す58人の生涯と功績を漫画化した書籍

まんがでわかる日本の偉人伝総集編(よだひでき著、ブティック社)は、日本の歴史に名を残す58人の生涯と功績を漫画化した書籍です。人の為に尽くした人、リーダーとして活躍した人、すぐれた発明や作品を残した人など、日本の偉人たちの感動のエピソードを1冊に凝縮しています。(文中敬称略)

本書は、よだひできさんが過去に上梓した、偉人伝シリーズを1冊にまとめた書籍です。

このブログでは、過去に『まんがでわかる偉人伝 日本を動かした312人』から、二宮尊徳(金次郎)をご紹介しました。


よだひできさんは、国内外の偉人の生涯と功績を漫画化した書籍をほかにも上梓していますが、本書「総集編」として、その中の日本人58人を改めて1冊にまとめています。

さて、今回はその58人の中で、「東洋のシンドラー」とも呼ばれる外交官、杉原千畝(すぎはらちうね)をご紹介します。

杉原千畝は、第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスという都市で、ナチス・ドイツによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を手助けしたことで知られています。

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人道的判断から約6,000人のユダヤ系難民にビザ発給


杉原千畝(すぎはら ちうね)は1900年1月1日、岐阜県武儀郡上有知町(現在の美濃市)に生まれました。

「田んぼの畝のように、たくさんの恵みを生み出すよう」千畝と名付けられました。

勉強がよくでき、両親は医師にしたかったのですが、本人が「英語を使う仕事がしたい」と早稲田大学高等師範部英語科に入学。

在学中に外務省留学生試験に合格したため、中退して外務省に入省しました。

3年間国費で留学させてくれ、その後は外交官になれる募集だったので、卒業をまたずに入省したわけです。

最初の赴任地はロシア。32歳で満州に赴任しました。

しかし、日本の軍人が満州で乱暴な態度を取っていたので嫌になり、いったん外務省に戻りました。

次に、1939年~1940年にかけて、リトアニアの首都カウナスにある領事館に赴任しました。

赴任4日後、第2次世界大戦が始まり、ドイツはヒトラーが台頭。

ユダヤ人を迫害することで、ドイツ国民の団結をはかりました。

「ユダヤ人」という言葉は、厳密には人種を指すものではありません。ユダヤ人は主に宗教的、文化的、民族的な集団を指します。歴史的にはユダヤ教を信仰する人々や、ユダヤ教徒の家系に生まれた人々を指します。

ユダヤ人は、ユダヤ教を信じることで、どこへ行ってもよそ者扱いだったため、身を守るのはお金しかないと考え、大金持ちになった人が多く、それがさらに妬まれる原因になっていました。

杉原千畝の領事館には、ドイツ軍に迫害されポーランドから逃れてきたユダヤ系難民が、亡命を求めて多数押しかけました。

外務省は、同盟国のドイツに気を使って、亡命の許可を出しませんでしたが、杉原千畝は人道的判断から、約6,000人のユダヤ系難民にビザを発給し、命を救いました。

戦後、日本に帰国しましたが、ビザ発給の独断行為の引責で外務省を退職しました。

外交官も、辞表を出せばただの人で、晩年は転職を繰り返し不遇だったようです。

しかし、亡くなる前年の1985年に、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」として同国最高の勲章を授与されました。

その功績は、最晩年になって広く認識されるようになったのです。

功績は信仰によるものだったか


杉原千畝の功績を語るキーワードは、「クリスチャン」。

1930年代に満州で働いていた際に、ロシア正教会で洗礼を受けました。この信仰は人道的な行動に大きな影響を与えたとされています。

ただ、クリスチャンなら誰でも同じことをしたとは限らないし、キリスト教以外でも人道主義を説く宗教はあります。

国策に背くということは、大変な勇気がいることだったと思います。

結局、信仰があっても、実践できるかどうかはその人次第ではないでしょうか。

杉原千畝さん、ご存知でしたか。

以上、まんがでわかる日本の偉人伝総集編(よだひでき著、ブティック社)は、日本の歴史に名を残す58人の生涯と功績を漫画化した書籍、でした。


まんがでわかる日本の偉人伝総集編 – よだひでき

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