よだかの星(原作/宮沢賢治、作画/みつる)は、『まんが宮沢賢治童話集1』(かっぱ舎)に収録された同名の童話のコミカライズです。『まんが宮沢賢治童話集1』(かっぱ舎)には、13作の宮沢賢治原作による童話のコミカライズが収録されています。
本作のタイトルは、結構有名ですよね。
すでに原作は、青空文庫に入っているので、結末まで書きます。
ネタバレ批判厨は、この先は見ないで、青空文庫に直行してください。
星となって生き続けることを選んだ夜鷹
よだかは、「実にみにくい鳥」です。
顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。
足は、まるでよぼよぼで、一間(いっけん)とも歩けません。
鳥の仲間から嫌われ、鷹からも改名を強要されます。
「『鷹』と名乗るとは、ずいぶんお前も恥知らずだな。お前とおれでは、よっぽど人格がちがうんだよ。改名しろよ」
「鷹さん。それは無理です。」
「無理じゃない。おれがいい名を教えてやろう。市蔵というんだ。市蔵とな。お前は首に名札をつけて、改名の挨拶をしろ」
それをしないと、つかみコロしてやる、とまで脅されます。
よだかは、じっと目をつぶって考えました。
「一たい僕は、なぜこうみんなにいやがられるのだろう。僕の顔は、味噌をつけたようで、口は裂さけてるからなあ。それだって、僕は今まで、なんにも悪いことをしたことがない。それにああ、今度は市蔵だなんて、首へふだをかけるなんて、つらいはなしだなあ。」
よだかは、悩みながらも、一方で飛んでいるカブトムシを食べている自分に気づきます。
「ああ、カブトムシやたくさんの羽虫が、毎晩僕にコロされる。その僕が、今度は鷹にコロされる。」
彼は、ついに生きることに絶望。
太陽へ向かって飛びながら、焼けシんでもいいからあなたの所へ行かせて下さいと願います。
「お日さん、お日さん。どうぞ私をあなたの所へ連れてって下さい。灼けてシんでもかまいません。私のようなみにくいからだでも灼けるときには小さなひかりを出すでしょう。どうか私を連れてって下さい。」
「お前はよだかだな。なるほど、ずいぶんつらかろう。今度そらを飛んで、星にそうたのんでごらん。お前はひるの鳥ではないのだからな。」
もうすっかり夜になって、空は青ぐろく、一面の星がまたたいていた頃、よだかはそらへ飛びあがりました。
しかし、どの星にお願いしても、相手にしてもらえませんでした。
よだかはすっかり気落ちし、羽を閉じて地面に落ちていきました。
しかし、地面に付きそうなった時、よだかはにわかに、のろしのように飛び上がりました。
そして、大気圏を抜けて自分の体が、燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを確認しました。
すぐとなりは、カシオペア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。
そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
今でもまだ燃えています。
法華経だけでなく浄土真宗の文芸化も?
出だしは『みにくいアヒルの子』のようでしたが、あちらは白鳥になってハッピーエンド。
本作は、弱肉強食の厳しい現実社会で、醜くて弱いものが皆からばかにされ、笑われ、仲間外れにされるなど救いがなく、生きることにすら疑問をいだいたよだかが、別の世界に居場所を見つけるストーリーです。
以前ご紹介した『Y氏の隣人』の第1話は、本作の翻案だったわけです。
Y氏の隣人完全版(吉田ひろゆき著、電書バト)は、いじめられっ子が不思議な道具を与えられる1話完結の短編オムニバス作品。主人公が幸福になったり不幸になったりすることで、世の中の不条理や、生きることの難しさなどを描いています。https://t.co/jyyYi62MCd pic.twitter.com/DIcpNi0uB2
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) January 3, 2024
人間社会に馴染めず、煮え湯ばかり飲まされている榎田くんが、人間であり続けることにくたびれてしまい、最後は好きな女の子宅の、庭の木になってしまう話でした。
宮沢賢治が、法華経の文芸作品化を生涯のテーマとしていたことは有名ですが、実は実家が浄土真宗だったために、日蓮が否定していた浄土真宗の教えも、否定せず受け入れており、作中にはちょいちょいその教えが出てきます。
たとえば、本作は、「市蔵」に改名して鷹にへつらう生き方を、矜持を失ったものとして選ぶことをよしとせず、現在の命を捨てて、太陽や星に自分の命を委ねていますが、これは浄土教(浄土宗や浄土真宗)の他力本願を表現しているものと思われます。
「自分のはからい」として星にしてくれと希望するも叶わず、いったんは諦めて地面スレスレまで落ちていくその瞬間に、「阿弥陀如来の信心をいただ」き、掬い取られることを表現しているのではないかなと私は解しました。
これはあくまで私の解釈で、そう考察する研究論文があるわけではありません。
いずれにしても、仏教文学の特徴は、夏目漱石にしろ芥川龍之介にしろ、テキトーなハッピーエンドでおさめずに、人間の醜さや、人生が一切皆苦(人生は思い通りにならない苦しみに満ちている、という意味)であることを決して隠しません。
衆生は、普通「命あっての物種」と考え、鷹の軍門に下って「市蔵」にすることをよしとするかもしれませんが、シぬことをおそれない信念を描いたのは、信仰があるからこその強さなのでしょうか。
以上、よだかの星(原作/宮沢賢治、作画/みつる)は、『まんが宮沢賢治童話集1』(かっぱ舎)に収録された同名の童話のコミカライズ、でした。