わたしは家族がわからない(やまもとりえ著)は、平凡な「普通」だったはずの家庭の夫が突然1週間家を空けるファミリーサスペンスです。家を空けても何事もなかったかのように振る舞う妻。「現場」を見てもその日限りで口を閉ざす娘。家族版「諸行無常」です。
『わたしは家族がわからない』は、やまもとりえさんが描くコミックエッセイのKindle版です。
1ページ8コマ(4コマ×2)ずつ、きっちりコマ割りがされています。
夫と妻、1人娘の平凡な「普通」だったはずの家庭。
ところが、夫が突然1週間家を空けます。
しかし、何一つ尋ねない妻。
その数年後、女性の住むアパートに入る父親を見た娘。
その日だけは、「(父親と自分の)洗濯物を一緒にしないで」といいますが、父親の行為については何も問おうとしません。
そして、翌日以降はやはりなにもなし。
でも、わだかまりがないはずはない。
家庭は、傍から見るとずっと「平凡」。
しかし、中身は、少なくとも家族の心は変容せざるを得ません。
トビラに、娘の側からの「前置き」が書かれています。
「普通が一番」が口癖のパートの母、
活発な保育園児の娘という、平凡な家庭。
ある日、父親がなんの前触れもなく失踪し、1週間後に帰宅する。
中学生になった娘は、家から離れた場所で父親の目撃情報を聞き、
不審に思って待ち伏せることに。
幼かったあの日、帰宅した父を問い詰めず何もなかったことにした母。
おぼろげな記憶と現在の父親の行動には何か関係があるのか。
父は何を隠しているのか?
人も物事も、何が本当なのかわからない。
そして、半永久的に不変なんてものもない。
そんなことを考えさせられるミステリーコミックです。
本書は2023年1月27日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
夫が1週間家を空けても他家に入り浸っても見ぬふりする妻と娘
登場人物は、市役所勤務の星野誠。
妻の美咲。
娘のひまり。
第1章は、その妻の視点で描かれています。
傍目には、何の問題もない「普通」の幸せな一家です。
パートの妻は、同僚のおばさんに口癖を指摘されます。
「普通が一番」
それは、妻の母親の口癖でもありました。
妻の母親は、親に「清く正しく」育てられ、その反動でちょっと悪そうな男に惹かれ、結婚後苦労しました。
目をはらした母親は、こう言いました。
「結局、普通が一番なのよ」
とにかく妻は、「この(家庭の)幸せを維持することが私の大事な仕事なのだ」と自分に言い聞かせています。
妻にとっては、普通の維持が何より大切なのです。
げー、またしてもの元凶は毒親ですか。
ところが、ある日、子供の虐待死のニュースを見てから、夫の様子が変わります。
なに、というわけではないのですが、心ここにあらずというか。
言葉では言わなくても、違和感を感じます。
妻は、「心がざわざわするのは嫌」と、その雰囲気に不安を覚えます。
その予感は現実のものとなりました。
「今日はお鍋にしよう。僕が材料をかってこよう」といった日、夫は帰ってきませんでした。
色々悩んで、会社に連絡する妻。
夫は、1週間休暇を取っていました。
そして、1週間後、夫は帰ってきました。
第2章は、ひまりの視点で書かれています。
中学になったひまり。
表面的には何事もない幸せな一家の中で、「ホームドラマみたいな家族」を「つまらん」と思っています。
そんな時、クラスメートが、ひまりの父親を見たといいます。
「『ふりん』だったりとかして」
ひまりは、一抹の不安を覚えながらも、そのときは「かくしごと」を父親にねだりごとの駆け引きで使おう、ぐらいの気持ちを抱いていました。
ところが、荷物を持って、アパートの一室に入っていく父親を発見。
びっくりして、声をかけることができませんでした。
家に帰り、子供時代に経験した、「父親の1週間の不在」を思い出します。
母親は、1週間も連絡なく不在にした父親に、何一つ聞かずに、当たり前のようにそれまでの生活を続けました。
ひまりは、またそのアパートの近くで、父親が来るか確かめます。
すると、やってきました。
「うん、もうすぐそっちつくから。玄関開けといてね」
電話で連絡している父親。
その話し方に、母親に話す優しさとは違うものを感じるひまり。
アパートで、子どもに出迎えられている父親。
「お父さん、なにしてるの?」
結局、その日もそのまま帰ります。
母親には何も言えません。
ただ、「お父さんのとは、洗濯物分けてくれる?」とだけ言います。
さらに次の日、今度こそはと、アパートに入る直前の父親に声をかけます。
ところが、アパートから出てきた子どもが、「おとーちゃん。このひと、誰?」と父親になつく姿を見て、そのまま家に……。
しかし、家では何もそのことについて話しませんでした。
第3章は、いよいよ父親の視点で真相が描かれます。
簡単に言うと、真相は、隠し子だったとか、そういう単純な話ではありません。
ただ、ネタバレになるので、この辺にしておきましょうか。
夫だけが悪いのか?
Amazon販売ページのレビューを見ると、「夫が悪い」の大合唱。
まあ、家を空けたとか、他所の女性の家に入り浸っているとか、事を仕掛けているのは夫の方ですからね。
でも、そうさせた原因まで見ないと、真相はわからないものです。
私が読んだ感想として、まず「普通」だの「平凡」だのというのがうさんくさいと思いました。
それって、具体的になにを指すの?
実は家庭なんて、家族のあり方なんて、どこの家庭もみんな考え方も形態も関わり方も様々で、「普通」だの「平凡」だのという、固定的なモデルなんてないですよね。
この妻は、「普通」にこだわるあまり、維持することが目的化してるでしょう。
夫が無断で1週間も家を空けても、何一つ聞かないというのは、やはりおかしい。
娘も同じ。
聞くのが怖いか?
怖いのは、「普通」を壊したくなかったから。
でも、聞かないのは「知らないまま」でいられるだけで、知るべき真実がないことになるわけではありません。
夫が、どうしてその女性に走ったのか。
漫画には、肉体関係があったかどうかは書かれてはいません。
ただ、なかったとしても、1週間も他の女性と夜をともにしたことはたしかなわけです。
ひとつは、虐待死した子供のことがあったからだと思います。
ただ、それだけでなく、「普通」というものに対する不安や退屈もあったのではないでしょうか。
「自分は普通としか思われていないのか」とか、「普通であることが目的化していて、夫が誰であるかは二の次ではないのか」なんて言う不満が、潜在的にあったのかもしれません。
人の心というのは、センシティブなものです。
改めて思うのは、「諸行無常」という仏教の真理。
「普通」も幻なら、それをずっーと維持するなんてありえない。
仕掛けたのは夫ですが、妻も娘も、「普通」という見せかけが目的化してしまった誤りがあるんでしょうね。
執着という煩悩です。
みなさんは、どう思われますか。
以上、わたしは家族がわからない(やまもとりえ著)は、平凡な「普通」だったはずの家庭の夫が突然1週間家を空けるファミリーサスペンス、でした。