早すぎた天才 知られてないけど、すごかった(大野正人、文響社)は、時代よりも早く才能を発揮してしまった、「早すぎた天才」の話をひとり数ページでまとめています。古今東西を言わず、後から評価された「遅れて来た偉人」の特集というわけです。(文中敬称略)
本書『早すぎた天才 知られてないけど、すごかった』は、歴史上の知られざる天才たちを取り上げ、その功績や生涯について詳しく紹介、とAmazon販売ページには紹介されています。
実際には、「知られざる」というより、いい仕事をしたのに、たまたま運悪く時代のニーズにハマらず、そのときはウケなかったんだけれど、あとになって評価されるようになった人々の話です。
主に、彼らの革新的なアイデアや発見がどのようにして現代に影響を与えたかについて解説しています。
Copilotにこの本のポイントとしては、
1.知られざる天才たちの紹介: 歴史に埋もれてしまったが、実は重要な発見や発明をした人物たちを取り上げています。
2.革新と影響: 彼らのアイデアや発見がどのように現代社会に影響を与えたかを解説しています。
3.人間味あふれるエピソード: 彼らがどのようにしてその発見に至ったのか、またその過程で直面した困難や挑戦についても触れられています。
ということです。
【目次】
思いつくのが早すぎた 二宮尊徳
裏道行くのが早すぎた 南方熊楠
ユニークにするのが早すぎた アンリ・ファーブル
科学で証明するのが早すぎた ガリレオ・ガリレイ
発見するのが早すぎた メアリー・アニング
ウケる本を作るのが早すぎた 蔦屋重三郎
いまだに早すぎた シュリニヴァーサ・ラマヌジャン
便利にしたのが早すぎた ルイ・ブライユ
金銭感覚が早すぎた 織田信長
データを取るのがが早すぎた グレゴール・メンデル
センスガちょっと早すぎた フィンセント・ファン・ゴッホ
この世を去るのが早すぎた 知里幸恵
絶望するのが早すぎた フランツ・カフカ
いろいろやるのが早すぎた 平賀源内
この中で、今回はガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei、1564年 – 1642年)をご紹介します。
近代科学の発展に大きく貢献
コペルニクスさん、ガリレオさんへ
地動説合ってましたよ pic.twitter.com/H0yCBBXoZq
— SCみょん (@q9_h2y) October 14, 2024
ガリレオは1564年にイタリアのピサで生まれました。
ピサ大学で医学を専攻しましたが、数学や自然科学への強い関心に導かれ、天文学に転向した。
彼は、改良型の望遠鏡を用いて、月面の山脈やクレーター、木星の衛星を発見し、天体の動きを精密に観測することで、地動説を支持する証拠を得ました。
当時、天動説が支配的な考え方であった中、ガリレオは、コペルニクスが提唱した太陽中心説を積極的に擁護しました。
著書『天文対話』(Dialogo sopra i due massimi sistemi del mondo)という1632年に出版された著作では、ガリレオがアリストテレスの天動説(地球が宇宙の中心にあるとする説)を批判し、その誤りを指摘しました。
といっても、一方的に否定するのではなく、天動説派、中立派、地動説派の立場からそれぞれ議論するという構成です。
それでも、「聖職者」たちは、ガリレオを「悪魔の学問を広めるもの」としました。
宗教的権威に挑戦したとして、ガリレオは異端審問にかけられ、1633年に終身自宅軟禁の処分を受けました。
しかし、ガリレオの、実験と観察に基づく科学的方法は、彼の死後も世界中に広がり、大きな影響を与え続けました。
彼の業績は、ニュートンなどの後世の科学者たちに受け継がれ、近代科学の発展に大きく貢献したと言えます。
孤立に耐えられるか
1番好きな僕のヒーローはデビルマン
人の為に悪魔になった体で戦うけど人々は弱さで自滅していく物語
優しい泣き虫が1番強い😈1番好きな歴史上の偉人はガリレオガリレイ
理論、検証、実証を追求して人々が盲信してた天動説を跳ね除けて地動説を唱え続けた🌏デビルマンみたいなガリレオになりたい🎈 pic.twitter.com/FbadhEOUtr
— OC (@oc_666_co) October 17, 2024
「地球は丸い」と言って弾圧されたピタゴラス、
「地動説」を唱えて宗教団体の圧力から生前にそれを発表できなかったコペルニクス、
「宇宙は無限で、他の生物が存在する可能性もある」と言って火刑に処されたジョルダーノ・ブルーノ、
キリスト教会の教えの非科学性を指摘しただけで投獄されたロジャー・ベーコン……
このような話は、いくつもあります。
実証的に天動説を確認した、ガリレオの心中察するにあまりあります。
これを私たちの日常に例えるとすると……少し違うんですけど、たとえば濡れ衣で疑われることってありますよね。
取ってないのに、誰かの財布がなくなったから「おまえだろ」と疑われるとか、痴漢冤罪とか。
悪口なんて言ってないのに、言ったことにされて周囲から総スカンくうとか。
その場合、そういうことにして(認めて)謝ってすましちゃったほうが、楽だと思うこともあるでしょう。
それでも、真実と信念を貫き通せるか。
そういうふうに考えると、多少はガリレオの気持ちがわかるかもしれません。
私は、世間の綺麗事に対して「北を向く」ところがあるので、孤立ということ自体「だから何だ。しょせん人間シぬときはひとりだろう」と開き直っちゃいますが、みなさんはいかがてすか。