『ニートの歩き方ーーお金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』(pha、技術評論社)は「ニートのガイドブック」です。インターネットさえあれば、昔ながらの固定した生き方に縛られることなく、ニートでも生きていけるという話です。
京都大学を出ても社会と折り合えないことある
『ニートの歩き方ーーお金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』(pha、技術評論社)という書籍が技術評論社から出ています。
著者はpha(ファ)という方です。
タイトルは、旅行ガイドブックの『地球の歩き方』にならったのでしょう。
ニート(学校にも会社にも行っていない人)の生活や意義などを書いた『ニートのガイドブック』という構成です。
「いろんなことを諦めよう」「世間体は気にするな」など、これまでの価値観に真っ向から対立する興味深い書籍です。
世間には、ちゃんとはたらいている人はまじめな人。
ニートは社会の落ちこぼれ。
そんな考え方があるのではないでしょうか。
もちろん、生活のためというのが大きいでしょうが、平日の昼間から家にいる無職は外聞が悪い、何をしていいかわからない、と世間体を意識して就職したい、もしくは就職したという方もおられるかもしれません。
著者は、そんな生き方に対して、「いや、そうじゃない考え方もあっていいんじゃないだろうか」という提言を行っています。
こう書くと、ネット掲示板なら、「学歴もない社会の落ちこぼれの開き直りや自己正当化」と袋叩きにされそうですが、著者は京都大学を卒業しています。
ただ、卒業までに6年かかり、約3年間サラリーマン生活を送ったもののやはりうまくいかなくて、後は定職を持たないニート生活に。
インターネットを使って不用品や寄付を得、パソコンやネットに詳しい面々ばかりのシエアハウスで暮らしているといいます。
自分の中に、社会と折り合えない何かがあったのでしょうね。
私も似たようなところがありますが、私なんかまだまだ悟りが足りないです。
もし旧帝大を出ていたら、やっぱり周囲に影響されてキャリア公務員を目指したでしょうし、留年なんて月謝もかかるし時間のロスだしと思って、折り合えなくてもとにかく卒業はしてしまうでしょう。
著者は、「会社や国などの大きな組織や一般的な常識を信じていればなんとかなる時代は終わってしまった」と社会を見定めています。
要するに、自分から会社勤めを捨てたということです。
会社にお勤めせず、パソコンを使って気楽に暮らす
では、どうやって生きていくのでしょうか。
と綴っています。
全体が4章で構成されています。
第1章は、著者がニートになるまでの経緯、そして「せどり」や「ソーシャルネット」「懸賞」「アフィリエイト」など、ネットをツールとして“たつきの道”を得ている現状を紹介しています。
第2章、第3章は、ニートはどうやって暮らしているのか。日常のいろいろなエピソードをつづっています。
第4章は、「ニートのこれから」というタイトルで、ニートがなぜうまれたのか、「働かざる者は食うべからず」という言葉は本当に真理か、といった問題提起を行っています。
「まえがき」に、第4章の概要にあたる記述があるので、それを引用します。
みんなニートにならなくてもいいから、ニートじゃない人が「あんまり働かない生き方もありだな」と若干思ってくれるだけで、この社会はずいぶん生きやすくなるはずだ。働かなくてもそれほど後ろめたさを感じずに生きられるというのが本当に豊かな社会だと思う。
細かい話ですが、著者は、アフィリエイトなどで金額にかかわらずネットを使って継続的に収入があるのですから、正確には「ニート」ではなく、「ネットビジネスのSOHO」といった方がいいと思います。
ただ、おそらく著者は、「既存の会社にお勤めしていない」「既存の観念から自由である」という意味でニートという言葉を使っているのだろうなと思います。
つまり、彼にとってニートはたんなる「無職」ということではなく、もっと深い意味で「自由」ということなんでしょうね。
ということで、会社にお勤めせず、パソコンを使って気楽に暮らしています、こんな生き方があってもいいでしょう、というのが本書の主旨です。
当然、賛否両論あるでしょうね。
人と直接伍すことが苦手な人もいる
パソコンが普及する前に社会人になった世代、つまり50代以上の人からは、「(今の若い奴は)パソコンばかりに頼っている。もっとリアルな人付き合いを大事にすべきだ」というお説教が出るかもしれません。
会社で、端末が各社員に配られる時代になっても、それだけですべてがすむわけではなく、営業活動というのは、人と人との“泥臭い”やりとりが必ずあるものです。
ビジネスに限らず、人間関係は結局は「人間が行うもの」である以上、信頼関係こそが大原則であり、その確認のためには、100通のメールよりも1回の面会の方が有効であるという意見も否定はしません。
ただ、人間には得手不得手があります。
人とやり取りして、うまく交渉をまとめたり、人に好印象を与えたりすることが苦手な人だっているのです。
だからと言って、その人はこの社会で生きていく資格がない、というのではあまりにも酷です。
もちろん、「そんなことは甘えだ」といいたくなるような場合もありますが、いつもそうとは限りません。
人間の精神状態というのは、高度で複雑です。
人と関わることが苦手な人はいます。
そういう人たちに一律に、「おい、人と会え!社会と切れるな」とアドバイスすることが、正しいことなのかどうか……。
人に裏切られたり騙されたりして、人間嫌いになってしまうこともあります。
頑張りすぎて休みたいときもあります。
そんなときも、周囲は自主的な「復帰」を見守るべきで、頭ごなしに叱り飛ばしたり進軍ラッパをならしたりするやり方がいいとは思えません。
何より、そういうことは、誰でもあり得ることなのです。
これを読まれて、「そんな弱い奴は切り捨てろ」と叱り飛ばすあなただって、いつその立場になるかわからないのですよ。
人間は無謬万能ではなく弱い生き物なのです。
ニートの背景は、景気による雇用情勢という社会の側の事情だけでなく、そうした人の側の事情もあります。
天賦の才がある、図々しい、要領のよい、無理しても頑張れるなど「能力」があって結果を出せる人だけが尊重されるのではなく、そんな「弱い」人たちの逃げ道も含めての社会という見方をしなければならないと私は思うので、同書の考え方には大いに賛成できました。
とくに、まじめに頑張った結果として行き詰っている方には、ぜひ読んでいただきたい書籍です。