70人のおはなし』
一休宗純などを漫画化した『まんがでわかる偉人伝 親子で読みたい70人のおはなし』は、世の中の役に立つ発明や発見をした人、リーダーとして強くたたかった人、人々の心に残る作品を創った人など偉大な人々の物語をまんがでわかりやすく紹介しています。
本作は、ここのところ何冊かご紹介している、よだひできさんの偉人伝マンガシリーズです。
国内外の偉人について、マンガでその生涯と功績を描いています。
この記事では、その中で、一休宗純(1394~1481年)についてご紹介します。
まんがやアニメでおなじみの「一休さん」です。
知られているトンチのエピソードは、まだ若僧時代の話で、その生涯はさらにいろいろなエピソードが有りました。
Copilotにまとめてもらいました。
幼少期
一休は母と別れて出家し、戒名「宗純」を得ました。その後、各地の寺を転々とし、25歳で大徳寺の高僧から法名を授かりました。
風狂の生活
一休は戦乱の時代に生き、寺を出て行脚しながら自由人として88歳まで生きました。彼は説法を行いながら歌を詠み、奇妙な言動も重ねました。この「風狂」の生活は、仏教の戒律を逸脱した行動を肯定的に評価する言葉でした。
狂雲集
一休の代表作は漢詩集『狂雲集』です。この詩集は自由奔放で、一休の破戒を印象づける詩が多く含まれています。
一休の名言
彼は「人生は無漏地へ向かうまでの一休みのところにいるだけのこと」と語り、短い一生を気にする必要はないと述べました。
一休の遺言状
一休は「死にとうない」と言い残し、権力にこびなかった彼は庶民の人気を集めました。また、京都の大徳寺の再建にも尽力しました2。
一休の生涯は、とんち小僧のイメージとは異なり、型破りな一生でしたが、その反骨精神と風変わりな行動が民衆に愛された理由と言えるでしょう。
ということて、本作に描かれているエピソードからかいつまんで見ていきます。
琵琶湖の船の上で悟りを開く
一休が生まれたときの名は、千菊丸といいます。
第100代後小松天皇と、女官の伊予局の子といわれています。
5歳で禅宗の安国寺に。
皇室で面倒見てもらえなかったんですね。
ですね。
一休宗純が幼少の折、身を寄せていた京都の安国寺は応仁の乱で焼失し、今はないそうですが、アニメ「一休さん」の安国寺のモデルは京都府綾部市にある安国寺だそうです。https://t.co/QvDMhh2z99— 温品明義 (@anukushina) August 17, 2024
得度して、周建という名を住職からつけてもらいます。
アニメやや童話でとりあげられるのは、この周建時代のエピソードです
屏風のトラの話、橋を渡るなといわれて「真ん中」をわたった話、など。
つまり、それだけ知恵のある僧だったので、同じ寺にずっといることがは満足できなくなり、お寺もより大きなところに変わりました。
室町幕府や臨済宗の腐敗から、社会正義にもえた周建は、16歳のときに、貧しい人たちに食べ物を分け与える西金寺の謙翁和尚のもとに身を寄せ、宗純という名前をもらいます。
ところが、4年目に謙翁が亡くなり、しばらく失意にありましたが、27歳で華叟の弟子になり、琵琶湖の船の上で悟りを開いて、一休という名前をもらいました。
そうした活躍から、朝廷に、応仁の乱で焼け落ちた大徳寺の再建を依頼されます。
それをなしとげた80歳に、天皇の命令でその大徳寺の住職になりましたが、もともと煩悩に満ちていたわけではない上に、悟りも開いた一休は、安定したそのポストもほどなく引退して、薪村の妙勝寺という小さな寺に移り、88歳に亡くなりました。
天皇家と血縁があるからか、一休禅師の墓は宮内庁管理になっています。
仏教とは慈悲と自由の宗教
世の中の生死の道に連れはなし
ただ寂しくも独死独来(一休宗純)
人はこの世に一人で生まれ、一人で死んで行く。
その人生の孤独がわかっているから、生まれて来て、死に行くまでの、その瞬間に出会う人に心をこめて、出会おうpic.twitter.com/T73cH9mkRU— 仏の教えwords of wisdom (@namutyan) August 8, 2024
今回も長寿でした。そして何度も名前が変わってますね。
さらに一休の生涯で気がつくのは、ひとつの寺にとどまらず、いろいろな寺を移った「自由な僧侶」であったことです。
本来、お釈迦さまの仏教というのはそういうもので、僧団を移ることも自由。
それどころか、仏門(出家)と在家を行ったり来たりしても構わないことになっていました。
今で言えば、サラリーマンが生きづらくなって出家しても、また元気が出てきたら社会復帰してもいいわけです。
ところが、今の日本仏教界は、落語の世界と似ていて、「師匠と所属は変えられない」面があります。帰属性が強いのです。
いったん得度すると、そこからまた一般の暮らしに戻ったり、その宗門への帰依をやめて、別の宗派に移ったりというのは考えにくいですよね。
すべての宗派やお寺がそうとはいいませんが、多くは得度する時に、いろいろな誓約をさせて、他宗派どころか、同宗派の他寺院に移ることもむずかしい場合があります。縄張り意識ね。
江戸時代にあった、今は国家的な制度としては廃止されている「度牒」(僧侶の身分証)を渡して、僧の保有権がその寺にあるかのような拘束は、少なくとも建前としてはありますよね。
でも、人間の心は永遠のものではなく、時間がたつと既婚者でも別の異性が好きになることがあるように、浄土教に帰依していた人が、密教に関心を抱くことだってあるわけです。
それは、いい悪いではなく、ずっと同じまま(の心)ということはないんだ、というまさに仏教のいう諸行無常なのです。
そういう意味で、慈悲の心といい、自由な精神といい、一休宗純とは、仏教の申し子のような人だと思いました。
一休さんのとんち、どんなものが印象に残っていますか。