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仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観(佐々木閑、DOJIN文庫)は、仏教と科学の類似と相違を探った書籍

仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観(佐々木閑、DOJIN文庫)は、仏教と科学の類似と相違を探った書籍

仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観(佐々木閑、DOJIN文庫)は、仏教と科学の類似と相違を探った書籍です。YouTubeでもおなじみ、科学にも仏教にも精通している佐々木閑先生が着目した、仏教と科学の類似と相違はどのようなものでしょうか。

『仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観』は、佐々木閑さんが、DOJIN文庫から上梓した書籍です。

佐々木閑さんは、花園大学教授(仏教学)で、コロナ禍でのオンライン授業をYouTubeにアップされているので、同大学の学生でなくてもおなじみですね。

私も、佐々木先生の書籍は、これまでに何冊もご紹介させていただき、また私が、還暦過ぎて大学院の仏教学に進む大きな契機となりました。

大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか(佐々木閑著、NHK出版新書)は、お釈迦様の仏教と大乗仏教の違いを説明する書籍です。

別冊NHK100分de名著集中講義大乗仏教こうしてブッダの教えは変容した(佐々木閑著、NHK出版)は、原始仏教と大乗仏教の違いを解説しています。

科学するブッダ犀の角たち(佐々木閑著、角川ソフィア文庫)は、科学とお釈迦様の仏教の共通性や関係、そしてそれらの将来を推理しています。

NHK「100分de名著」ブックスブッダ真理のことば(佐々木閑著)は、「お釈迦様の仏教」をその第一人者が『ダンマパダ』から解説しています。

これらの書籍で一貫しているのは、お釈迦様の仏教と大乗仏教は違うものである、ということ。

その違いをもって、お釈迦様の仏教が、他の宗教とは違うことを強調してきました。

どう違うかと言うと、お釈迦様の仏教とは絶対神を崇拝するものではなく、人や世の中をありのままに見るもの、という世界観です。

大乗仏教も、賞罰に関与する神様は出てきませんが、如来や菩薩など信仰する対象は登場します。

そのような仏教観の佐々木閑さんが、仏教と科学の類似と相違を探ったのが本書『仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観』です。

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科学と仏教、似ているところと違うところ

佐々木閑さんは、実家が真宗高田派の寺院だそうです。

ご自身も得度されています。

そして、大学は京都大学で機械工学。

ところが、大学院で哲学に転向し、仏教学専攻となりました。

つまり、仏門、科学(工学)、哲学(仏教学)という、3つの引き出しを持たれています。

科学にも仏教にも精通している佐々木閑さんが着目したのは、仏教と科学の類似と相違です。

詳細は本書をご覧いただくとして、ここでは、もっとも基本的なことを簡単にまとめます。

私達人間は、どのように存在しているのか。

科学は、肉体をおおもととして、精神(観念)と肉体(物)が物心一体となって成立しているとする哲学的立場です。

哲学の世界では、これを唯物論といいます。

唯物論は、身体あってこその心であり、身体が死んだら、精神も消滅するという考え方です。

それに対して、一般の宗教は、精神(観念)と肉体(物)がそれぞれ存在する。そして精神がなければ肉体は生きたものにならない。つまり精神をおおもとにしている観念論という哲学的立場です。

肉体は滅んでも魂は不滅という考え方です。

たとえば、旧約聖書の「死者の復活」は、その「魂不滅」の立場なのだろうと思います。

では、仏教とはどんな考え方か。

「肉体」と「精神」と「エネルギー」が、互いに不可分で一体化していることによって私達は存在すると見ています。

「不可分で一体化している」のは、科学と同じです。

ですから、お釈迦様の仏教は、霊魂を認めていないのです。魂は不滅ではないのです。

ただ、仏教の場合、いったんその「一体化」が壊れ、つまり死を迎えた後、ばらばらになった構成要素がまた巡り巡って「一体化」する営みを、輪廻転生と見ることがあります。

さらに、その輪廻転生を卒業して、「肉体」と「精神」と「エネルギー」の一体化の営みに全く加わらない「釈滅」の状態があるといいます。これが涅槃寂静という、仏教の到達点です。

この世に、一切の業も未練も残さないと、生まれ変わることなく、「釈滅」の状態に入れるというのです。

「生まれ変わりがない」「魂は不滅ではない」というと、何か夢がなくてつまらない感じですが、まあ一切皆苦の人生に対する「行き着く先」はそこにある、ということなんでしょうね。

Y氏の隣人』は、仏教を意識していますね。

他人の空似

よくいわれるのは、仏教と量子力学は似ている、ということ。

それはどうなんでしょう。

佐々木閑さんは、本書のように、似ていることに関心を示しているのは確かですが、かといって、ただちに「共通する」という結論には至っていません。

なんとなく似ていることを結びつけてしまったら、脈絡もなくさまざまな教えをもっともらしく語る、いかがわしいカルト教団の教義ができてしまいます。

佐々木閑さんは、人間なんだから古今東西違っても、同じようなことを考えることはある、という程度にとどめています。

要するに、「他人の空似」ということです。

科学は、実証をもとに解の再現性から考察していきますが、仏教は仏陀という全知者の教えをベースとして、逆算するように現象に対する解を求めています。

科学的な知識と、仏教哲学との間に文学的な表現上の類似が見つかる部分が有るからと言って期待し過ぎると、いずれ詳しく知った時に「なーんだ」と大きく落胆すると思います。

というと、科学こそが真実にアプローチする確かに道で、仏教はたんなる物語で出鱈目か、というとそういうことではありません。

科学では、人の心を動かすことはできません。

要するに、狙っている所が違うのです。

ですから、どちらかをどちらかの器に入れて、同じかどうかを求めるというのは、余り意味のないことです。

まさに、佐々木閑さんが言われるように、真実にアプローチする手法は、同じ人間である以上、似ることがある、ということでいいのではないでしょうか。

以上、仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観(佐々木閑、DOJIN文庫)は、仏教と科学の類似と相違を探った書籍、でした。


仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観 (DOJIN文庫) – 佐々木 閑


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