余命1日の宣告~植物人間になって~(濱安高信著、パブフル)は、カセットコンロの爆発で大やけどを負った著者が生還する体験です。遷延性意識障害(植物人間)という中途障害は、老若男女を選ばず、誰でもいつそうなるかわからないものなのです。
『余命1日の宣告~植物人間になって~』は、濱安高信さんがパブフルから上梓したKindleです。
カセットコンロの爆発で大やけどを負い、余命1日を医師から宣告されて植物人間になっていた状態から生還した話です。
身体には、何と40%にやけどを負って植物人間になりました。
具体的な数字はわからないので、ネットで確認したところ、40%の火傷は生命に危険が及ぶ深さだそうです。
1%というのは、手のひらの大きさとか。
つまり、手形を40個つけただけの火傷の面積ということです。
壮絶ですね。
医師からは余命1日の宣告。
600人分の輸血によって、命を助けてもらえた事で生きていられる素晴らしさを、「自らの経験をありのまま書かせて頂きました。」(公式ブログより)といいます。
アマゾン販売ページには、こう記載されています。
余命1日を医師から宣告されて植物人間になっていた状態で聴こえていた事実
身体障害者になっても諦めないでいられる理由
奇跡だと連発して言ってもらえる行動原理
論より証拠で、本文ご紹介しましょう。
本書は2023年3月15日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
とにかく諦めないことが大事
2002年5月、20歳の著者は、自宅で起こったカセットコンロのガス爆発により、大やけどを負います。
自宅は壁という壁が崩れます。
隣家は、地震でも起きたのかと思ったそうです。
著者は、灼熱の衣を振り払おうとその場に転げまわっていたそうです。
フローリングの床が花びらのように熱により反り立ち、鉄板になった廊下を皮膚が全て捲れた足で一歩ずつ、一歩ずつひきずるようにして歩くのです。もがきながら痛みに悶えながら重い重い一歩を進めていきます。
リビングにある電話にすがりついた私は、自分で救急車を呼びました。当時の大宮市に出動可能であった救急車が全て実家のマンションに来たそうです。
そのまま、埼玉県川口市の病院に運ばれ医師を目の前にし
(助かった)
と気を緩めた瞬間に気を失いました。
・・・私の中で、当時のことを無意識に埋葬しようとしているのかもしれません。思い出そうと懸命に記憶をたどっても、このくらいしか思い出せません。消したい消したいという私の本能に逆らい押し殺し、ようやく出てきた記憶です。
もっとも、搬送されてすぐは、病院の対応に不満を持ち、口に出して文句を言っているので、すぐに植物人間になったわけではありません。
負傷して2週間経ってから、身体が動かなくなったそうです。
細菌感染でした。
黄色ぶどう球菌。
一般には感染する可能性はほとんどないものですが、身体が衰弱していることと、やはり火傷が広範囲だったことで観戦のリスクが大きくなっていたのでしょう。
その感染症で敗血症になったそうです。
川口市の病院から日本医科大学付属高度救急救命センターの無菌室に転院。
医師からは、こう告げられます。
「今から君に身体の自由が全く効かなくする筋置換剤と言う物を投与することになるが、何か家族に言っておきたいことはあるかい?」
たぶん、化膿ドメや痛み止めで、体を動かさないようにするんでしょうね。
思い残すことは、母親に100円ショップで買ったカーネーションを渡すこと。
敗血症は、いったんははショック状態に陥り、タイトル通り、「余命1日」の宣告を受けます。
しかし、著者には意識があります。
「自分は死なない。必ず生還して見せる」という意思があります。
もちろん、それがあっても絶命する方もいますが、若さと気力で、著者は心肺停止から脱して三途の川はわたりませんでした。
しかし、その間、著者の両親は、悪い団体につけ込まれて、300万円のツボを買ってしまったらしいのですが、あくまでも本人と医療体制のおかげであり、ツボは生還と関係ありませんからね。
なんとか最悪の事態からは脱しましたが、それは、生命の危機を脱したと言うだけで、植物人間であることにかわりはありません。
器官には穴を開けて人工呼吸のためのカニューレ
鼻からはマーゲンチューブで栄養
輸血用の腕の管
人工透析の機械
トイレ用カテーテル
指には心拍数を図る機器
などかつけられています。
あ、私の長男の場合は、おむつでしたね。
あとは、脳障害だけで外傷はほぼなかったので輸血はありませんでした。
著者は600人分の輸血をしたそうです。
人工透析もなかったですね。
すでに何度も書いているように、私の長男は長く遷延性意識障害の状態にあり、妻も心肺停止を経験しています。
『臨死な人々・死のすぐそばで生きる人たち』(みおなおみ、市井文化社)は、火災による一酸化炭素中毒で心肺停止した際の体験談 https://t.co/S5QGWKYX05
— 石川良直 (@I_yoshinao) February 4, 2022
ですから、こういった話も、ちょっとやそっとでは驚かない悲しい人生経験者ですが、機械の数は同じ植物人間の長男を超えています。
ましてや、そうした経験や情報とは無縁の方にとっては、衝撃の内容でしょう。
ここから身体のリハビリの始まりですが、どこからどうやっていいか、わからないんですよね。
著者は、声を出し続けたと述懐しています。
ここがやはり、脳が無事だった人の強みですね。
7歳児が、脳をぶっ壊されたら、それは考えも付きませんから。
それ以前に、夜中に人工呼吸器が外れた時、ナースコールを呼ぶのが大変とか書かれているのですが、私は妻子に対してそこまでは心配していませんでした。
救命救急病棟やICUでしたから。
でも、ヒューマンエラーはありますからね。
そういうアクシデントがなく退院できたのはよかったのかもしれません。
退院して実家に戻るまで、2年かかったそうです。
本書には、焼けただれ、かつ細くなった手や脚が映っています。
それだけではなく、足は治療中に小指がとれてしまったそうです。
表現しますと、やはりやけどで不自由になった、野口英世とか、張本勲さんの手のような感じです。
私も実感しましたが、著者の結論は、こう書かれています。
どんな困難な状況下にいても諦め無い事の大切さを意思も認めてくれました。
私の長男の医師団の一人も、最初は、入院なんかしないで自宅に帰って両親と過ごせなんて言っていたんです。
でも、必死にリハビリをして歩けるようになったら、バツが悪そうに、「もうちょっとで退院できますね」なんて言ってました。
前例がないからと言って、諦めることはありません。
前例がなければ、自分が前例になればいいのです。
ま、私の場合は自分ではなく妻子のことでしたけど、そう思いました。
「不幸中の幸い」は脳が無事だったこと?
私は、経験上こういう言葉は使いたくないのですが、「不幸中の幸い」があるとすれば、著者の受傷が身体だけで脳が無事だったことでしょう。
体が動かないだけで、周囲の呼びかけも、「生きたい」と自ら思うことも、そのためにはどうすればよいかと考えることもできるからです。
つまり、身体は不自由でも、自我のコントロールを自分自身でできることです。
かりに、回復できなかったとしても、何らかの形で意思表示ができれば、他者とのコミュニケーションは不可能ではありません。
う~ん。
比較することではないですよ。
比較することではありませんが、うちの長男とは、まるでコインの裏表のような関係だな、と考えました。
『植物人間が歩いた!話した!ごはんも食べた!遷延性意識障害からの生還』(みおなおみ著、市井文化社)は、私の長男の社会復帰リハビリの記録です。
植物人間が歩いた!話した!ごはんも食べた!遷延性意識障害からの生還(みおなおみ著、市井文化社)は、社会復帰リハビリの記録 #植物人間 #遷延性意識障害 #リハビリ #火災 https://t.co/aDxRjRzzpq
— 石川良直 (@I_yoshinao) March 2, 2023
私の長男の場合、12年前の火災による受傷でしたが、外傷はせいぜい右中指の火傷程度です。
それだけなら、入院どころか、通院だってしないでしょう。
しかし、体の中がめちゃくちゃでした。
煙を吸ったための気道熱傷と、一酸化炭素中毒による脳障碍。
つまり、脳細胞の神経が酸欠で広範に死んでしまったのです。
ということは、いくら身体が無事でも、きちんとした司令を送ることができません。
何より、自分で自分のことを考えることができません。
上記の書には書きませんでしたが、脳障碍者に必発のてんかん発作も起こったため、さらに脳の状態は悪化し、リハビリもママなりませんでした。
そして、現在も大量の薬を飲んでいるため、残った脳細胞を活性化させることも困難です。
本書の著者の場合は、脳は無事でも、体のほうがもとに戻っていないんですね。
その意味では、『がんばれ朋之!18歳、植物状態からの生還265日の記録』(宮城和男著、あけび書房)は、その中間ぐらいでしょうか。
『がんばれ朋之!18歳、植物状態からの生還265日の記録』は、びまん性軸索損傷による遷延性意識障害から社会復帰した実話 https://t.co/BFwq53PZNh
— 石川良直 (@I_yoshinao) March 2, 2023
タイトル通り、オートバイの交通事故で頭をうち、脳がびまん性軸索損傷(DAI)という大怪我をしてしまった当時高専生の松本朋之さんの話です。
脳を損傷して、その結果、杖をつく状態ですが、運転免許をとるまでに回復しています。
そうしてみると、身体が一番無事な、私の長男がやっぱり一番悲惨か(汗)
脳をやられてしまうとね、なかなかむずかしいですね。
いずれにしても、毎回申し上げているのは、今ご紹介した3例はいずれも中途障害ということです。
昨日までは、なんでもない健常者が、ある日突然のアクシデントで、残りの生涯をそうなってしまうということです。
さすれば、今、他人事のように、鼻くそをほじくりながらこれを見ているあなたも、いつそうなるかわからないということです。
これを読み終わって、「あー、腹減ったな。コンビニでなんか買ってくるか」と言って家を出たら、車にはねられて、その3つのパターンのどれかになってしまうかも知れません。
いえ、3つのパターンというのは生還できた例です。
遷延性意識障害から社会復帰できるのは8~10人に1人。
残りは、生涯植物人間のまま、もしくは生命すら落としかねません。
誰でもいつそうなるかわからない、ということだけはご理解いただきたいですね。
以上、余命1日の宣告~植物人間になって~(濱安高信著、パブフル)は、カセットコンロの爆発で大やけどを負った著者が生還する記録、でした。