北条政子など掲載した『退屈な日常を変える偉人教室』(五百田達成著、文響社)は、古今東西の偉人伝を本人の講演会形式にした書籍です。偉人が一人称で、自分の人生や考え方などを語る読み物です。人生に起きる課題、解決方法を偉人が“じかに”伝えてくれます。
偉人伝もいろいろな書籍が出ているので、差別化をはかる意図からか、こういう表現の仕方もあるんですね。
偉人自身が自分の人生を語る形式の読み物、『退屈な日常を変える 偉人教室』をご紹介します。
偉人教室とは、古今東西の偉人たちによる特別な講演会です。
人間の人生に起きるさまざまな課題、その解決方法を、偉人がじかに伝えてくれます。たとえば、
「本物の自信のつくり方」・・・ナポレオン
「私がノーベル賞を取れなかった理由」・・・野口英世
「『努力すれば夢は叶う』はウソ」・・・エジソン
「何歳になっても第一線で活躍する方法」・・・徳川家康
「仕事ってかったるい、と思ったら」・・・ミケランジェロ
「絶望からの立ち上がり方」・・・ベートーヴェン
「本当に大切なものを見つめてみる」・・・一休宗純 ……etc
などなど、それぞれの人生を振り返り、希望や反省の思いを込めながら、今を生きる私たちにアドバイスをくれます。
人生には、いいことも悪いことも起きます。その中で、偉人たちはなぜ人生を全力で駆け抜けることができたのか? 人生を前向きに生きるヒントをもらえる1冊です。(以上、Amazon販売ページから)
ということで、その中から今回は、鎌倉幕府の創立者・源頼朝の妻として、そして「尼将軍」の異名で知られる北条政子をご紹介します。
タイトルは、「ふつうの主婦だった私が尼将軍になるまで」。
夫、父親、長男を処分した尼将軍
伊豆山神社??
若き日の源頼朝公と北条政子が座って恋を語らったと言う腰掛け岩があります?#伊豆山神社#御朱印 pic.twitter.com/o6xFzgK03q— パンダ?? (@PANDA0809212) September 11, 2024
北条政子(1157年 – 1225年)は、鎌倉時代の重要な女性であり、源頼朝の妻として知られています。
彼女は頼朝の死後に出家し、「尼御台(あまみだい)」と呼ばれるようになりました。宗派については、特定の宗派に属していたという記録はありませんが、彼女の法名は「安養院(あんにょういん)」です。
彼女の人生は波乱万丈ですが、強い意志とリーダーシップを発揮したことが大きな特徴です。
北条政子は、伊豆国(現在の静岡県)の豪族である、北条時政の長女として生まれました。
北条家は平家側でしたが、1177年頃、対立する側の源頼朝と「禁断の恋」に陥り、駆け落ちの後、結婚。
4人の子供をもうけました。
源頼朝が1199年に亡くなると、政子は出家して「尼御台」と名乗り、鎌倉幕府の実権を握りました。
彼女は「尼将軍」として知られ、幕府の政治を支えました。
リーダーとして、次男の頼家は頼りないからと、出家させて伊豆に幽閉。
政治の表舞台から引きずり下ろしました。
3男の実朝暗殺の疑惑にあった、実父の北条時政も隠居させました。
1182年には、頼朝が浮気をしました。
政子は頼朝に制裁を加えたのか?
いえ、相手の女性のお家を破壊しました。
子供でもできてしまったら、幕府の根底を揺るがしかねないと考えたのです。
1221年の承久の乱では、後鳥羽上皇に対する鎌倉幕府の武士たちを励まし、幕府側の勝利に貢献しました。
この戦いは、鎌倉幕府の存続にとって非常に重要なものでした。
政子は1225年に亡くなり、その生涯は多くの困難と戦いに満ちていましたが、彼女の強い意志とリーダーシップは、鎌倉幕府の基盤を築く上で欠かせないものでした。
北条政子の生涯は、女性でありながらも政治の中心で活躍し、歴史に名を残した素晴らしい例です。
愛情のスケールが大きいほど想像を超えた力を発揮する
源頼朝が滝野川に出陣。妻政子が身を案じて後を追った際に足を痛めて逗留。そこで富士山が鮮やかに見えたことで、お膝元の富士吉田浅間神社に手を合わせ、夫の無事を願って身につけていた正観世音像をそこに建てた。村人たちはその像を富士浅間大菩薩と呼び、長く尊崇したのが多摩川浅間神社の始まり。 pic.twitter.com/ddp8zNHEqU
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) September 20, 2024
一見、政子は「愛情」よりも「使命」を選択して、「非情」な采配をふるったように見えます。
しかし、本書には、「愛情」があるからこそ使命感が生まれ、人は強くなることができる、と説いています。
つまり、「愛情」と「使命」は対立するものではなく、大きな愛情が大きな使命感で人を動かすといいます。
もし、身内を甘やかす矮小な「愛情」にとどまって「使命感」を忘れ、幕府が倒れるようなことになったら、そこで支えている多くの武士たちの生命と生活が脅かされます。
政子は、「自分の私利私欲を超えるような愛を注げるものに出会った時、人間は自分が思っている以上に強くなることができる、そう私は思うのです」と書かれています。それが幕府なのでしょう。
「愛情のスケールが大きくなればなるほど、人は想像を超えた力を発揮することができ、それは人生の可能性を大いに広げてくれる原動力となります。/みなさんの心に、行動に、愛はあるでしょうか」
と、大地真央のサラ金のCMのようなセリフで結ばれています。
せっかくなので、今日は、それをそのままみなさんへの問いかけとさせていただきます。
みなさんの仕事や趣味やサークル活動等で、「自分の私利私欲を超えるような愛を注げるものに出会」っていますか。