南方熊楠などの功績をまとめた【保存版】日本近代史最重要偉人100人(水野大樹著、SMABOOK)は、歴史に名を残す人々100名の生きざまと功績を、全314頁にまとめています。今回は漫画ではありませんが、大きな字でわかりやすくまとめられています。(本文中敬称略)
本書は、「明治維新、大正、昭和初期……、現代日本に不可欠だった歴史人物データファイル」というサブタイトルがついています。
政治、軍事、学問・思想、文学・芸能、財界の各分野からピックアップされています。
先日は、小林一三についてご紹介しました。
今回は、その中で、博物学者、民俗学者の南方熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日)~ 1941年(昭和16年)12月29日)をご紹介します。
博物学というのは、自然界に存在する動物、植物、鉱物などの種類や性質、分布、生態を研究し、記載・分類する学問です。
特に、動物学、植物学、鉱物学などが分化する以前の総称として使われていました。
人間にフォーカスすると、文化人類学になるのかな。
いずれにしても、幅広い知識と好奇心が必要です。
本書から見ていきます。
博物学で51本の論文をネイチャーに投稿
日本人の可能性の極限、史上一番の天才と言われた南方熊楠。19言語を話し人の家で読んだ100冊の本を帰宅してすべてを書写した脅威の記憶力。ネイチャー誌掲載の論文数は日本人最高記録。それまで36種しか見つかってなかった粘菌を178種も発見。恐るべき頭脳を持った変人中の変人#歴史人物シリーズ pic.twitter.com/mtS4deVjWb
— 石井凛太郎 (@yuuree0209) September 7, 2024
南方熊楠は、1867年5月18日に和歌山県和歌山市で生まれました。
幼少期から驚異的な記憶力を持ち、中学時代には『和漢三才図会』全105冊、『本草網目』『太平記』などを、記憶だけを頼りに筆写したという逸話があります。
『和漢三才図会』(わかんさんさいずえ)というのは、江戸時代中期に寺島良安によって編纂された日本の百科事典です。百科事典を記憶だけで筆写なんて、本当なんですかね。
また、自然界に強い興味を抱いていました。
東京大学予備門に進学しましたが、学問の枠にとらわれない自由な研究がしたくて、中退してアメリカへ留学。
その後、イギリスにも渡り、大英博物館で働きながら、山に入るフィールドワークを好み、菌類、隠花植物研究の成果をネイチャーという権威ある科学雑誌に論文を寄稿しました。
帰国後は和歌山県田辺市に住み、粘菌の研究に没頭しました。
粘菌というのは、多細胞性の子実体を形成する能力を持つアメーバ様の単細胞生物の総称です。
粘菌は、菌類と動物の両方の特性を持ち、自然界で非常に興味深い存在だそうです。
南方熊楠は、「ミナカテラ・ロンギフィラ」など、70種類以上の新種の粘菌を発見。
ネイチャーには合計51本もの論文を発表し、本書では「日本人最多」として、「現在でも破られていない記録」と表現されています。
年に1本書いて51年かかりますから、すごいペースですよね。
しかも、権威ある学術誌は、査読でふるいにかけられます。
そこで認められて、初めて雑誌に載るわけです。
国際的なお墨付きを得た独自研究が51本ある学者は、今でも国内にどれぐらいいるんだろうと思いますね。
さらに、民俗学者としても活動。柳田國男とともに日本の民俗学の基礎を築きました。
特に『十二支考』では、干支の動物に関する世界各国の伝説や説話を紹介し、比較文化学の先駆けとなりました。
たとえば「虎(寅)」、虎が各国でどのように象徴されているかについても触れています。中国では、虎が力と勇気の象徴とされ、日本では「手飼の虎」として猫に例えられることがあるといった文化的な背景が紹介されています。
そして、虎に関する民俗学的な視点から、各国の風習や信仰についても詳しく述べられています。スウェーデンでは、狼や熊を特定の名前で呼ぶことでその害を避ける風習があることなどが紹介されています。
Copilotによると、その人物像は、非常に多才で、英語、フランス語、ラテン語など多くの言語を操ったそうです。
ただ、気性が荒く、学問に打ち込むことでその気性を抑えていたと言われています。
晩年は和歌山県田辺市で過ごし、昭和天皇に粘菌について進講するなど、在野の学者としての活動を続けたそうです。
元祖・知の巨人
改めて、凄まじい一冊だと思った。夏目漱石、宮武外骨、南方熊楠、幸田露伴、正岡子規、尾崎紅葉、斎藤緑雨。この7人が同い年だとは。全員、強烈な個性の持ち主で一時代を築き、後世に遺る傑作、研究をした人々だ。700ページを超える巨編ながら、そしてかなり濃い内容ながら、それでも読ませるのは、 pic.twitter.com/mCsz7i16bC
— 綾川愁村(読書垢) (@K00701273) September 11, 2024
知識人についての尊称として、しばしば「知の巨人」という表現が使われますが、南方熊楠こそまさにその表現にピタリと当てはまる人材はないでしょう。
なんとか、あやかりたいものだと思い、南方熊楠の人生と功績を振り返り、現代に応用すると、大きく3つのことが言えると思います。
1.記憶力がいいこと……短期記憶もさることながら、長期記憶としてしっかり覚えておくこと
2.わからないことは一次資料に当たること……ネットのコピペでわかったつもりは、もってのほか。テレビや新聞なども真に受けない
3.興味があることは躊躇せず積極的に取り組むこと……南方熊楠は東大を中退して新しい研究にチャレンジした
「1」は天賦の才かもしれませんが、「2」や「3」は努力や心がけで、誰でもできることです。
南方熊楠は在野の研究者ということで、学校の教科書や歴史書などで取り上げられる機会は少ないかもしれませんが、前述のようにネイチャー投稿51本の実績は、研究者として堂々たるものだと思います。
同じ民俗学者の柳田国男は、在野の学者からスタートし、公的な役職についていますが、南方熊楠は研究者としての実績が十分であったにもかかわらず、大学や教育研究施設などの公職にはつきませんでした。
南方熊楠の多岐にわたる研究とその成果は、自由な立場だからこそ成し得たのかもしれません。
「知の巨人」というと、現代ではどんな人が思い浮かびますか。
以上、南方熊楠など【保存版】日本近代史最重要偉人100人(水野大樹著、SMABOOK)は歴史に名を残す人々100名の生きざまと功績を紹介、でした。