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原敬など日本の偉人伝を多数収載しているのは『まんが日本史1000人 古代国家の誕生から太平洋戦争の終結まで』(世界文化社/編集/発行)

原敬など日本の偉人伝を多数収載しているのは『まんが日本史1000人 古代国家の誕生から太平洋戦争の終結まで』(世界文化社/編集/発行)

原敬など日本の偉人伝を多数収載しているのは『まんが日本史1000人 古代国家の誕生から太平洋戦争の終結まで』(世界文化社/編集/発行)です。この本は、日本の歴史の重要な出来事や人物を分かりやすく、そして楽しい形で紹介しています。(文中敬称略)

本書『まんが日本史1000人 古代国家の誕生から太平洋戦争の終結まで』は、日本の歴史を1000人の生き様と功績をまんがで描いた作品です。

まんがですから、大人でも子どもでも理解しやすい内容です。

1000人ですから、今後も何度かご紹介したいと思っていますが、今回は原敬(はら たかし、1856年3月15日〈安政3年2月9日〉- 1921年〈大正10年〉11月4日)についてご紹介します。

原敬は、第19代内閣総理大臣を務めました。

外務次官、大阪毎日新聞社社長、立憲政友会幹事長、逓信大臣(第11・16代)、衆議院議員、内務大臣(第25・27・29代)、立憲政友会総裁(第3代)、内閣総理大臣(第19代)、司法大臣(第22代)などを歴任しました。

憲政史上初めての「平民宰相」であり、憲政史上初めての「現職総理大臣で暗殺された人」としいうことで社会の教科書には出ているのではないでしょうか。

明治維新後は、しばらく倒幕に貢献した藩士が議員になり、総理大臣に就任していました。

時代が進むにつれて、総理大臣の出身は多様化し、商人や地主出身の人物も総理大臣になりましたが、新聞記者出身の原敬は、その先駆けであることは確かです。

では、本作から見ていきます。

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功績もあるが強引な手法は不興を買った


原敬は、1881年に福島県で生まれました。

若い頃から政治に興味を持ち、早稲田大学で学びました。

彼は非常に厳格で、努力を惜しまない人物でした。

また、彼は自らの信念を貫くことを重視。

それが高じて、目的達成のためには手段を選ばない芯の強い姿勢を持っていました。

その自分への強引さは、政治家として命取りになりました。

記者時代に、外務大臣の陸奥宗光と知り合い外務次官になります。

陸奥宗光は、名外交官の杉原千畝を見出したこともあります。

まんがでわかる日本の偉人伝総集編(よだひでき著、ブティック社)は、日本の歴史に名を残す58人の生涯と功績を漫画化した書籍
まんがでわかる日本の偉人伝総集編(よだひでき著、ブティック社)は、日本の歴史に名を残す58人の生涯と功績を漫画化した書籍です。人の為に尽くした人、リーダーとして活躍した人、すぐれた発明や作品を残した人など、日本の偉人たちの感動のエピソードを1冊に凝縮しています。

1900年の立憲政友会立ち上げに参加し、政治の世界に本格的に入ります。

1918年、シベリア出兵の噂が広まり、米の買い占めで市場が混乱して寺内内閣は倒れます。

いつの時代も、買い占めるやつがいるんですね。

原敬は、1920年から1921年まで内閣総理大臣を務めました。

原敬は政治改革に力を入れ、特に選挙制度の改善に尽力しました。

選挙の公正性を高めるための法律を制定し、政治の透明性を向上させました。

経済政策にも注力し、農業の発展を促進するための施策を実施し、農村の経済を支えました。

外交政策にも積極的に取り組みました。彼は、日本の国際的な地位を向上させるための外交努力を重ね、国際社会での日本の影響力を高めました。

教育面では、急激な発展に対応できるよう人材育成に、専門学校だった私学の慶應や早稲田や、GMARCHを大学に認可しました。

しかし、一方で満鉄疑獄事件、アヘン事件、東京市疑獄などか発生。

鉄道敷設では、「我田引水」をもじって「我田引鉄」などとも揶揄されました。

相次いで党の汚職が取り沙汰され、大衆の不興を買い、1921年11月4日、原敬は東京駅で暗サツされました。


犯人は原の政治に不満を持っていた青年で、暗殺を決行しました。

この事件は日本で初めて現職の総理大臣が暗殺された事件として知られています。

伊藤博文が暗殺されたのは、総理を退いてからでしたからね。

原敬の暗殺は、日本の政治史において大きな衝撃を与えました。

結局、また藩閥政治に戻ったので、暗サツのために政治は後退したわけです。

気に食わないからと暗サツしても、何も生み出さないのです。

プロフィールと実際の“はざま”

ところで、「平民宰相」というと、今太閤みたいな感じがしますよね。

でも、原敬は実際には、戊辰戦争で朝敵となった南部藩家老の孫ですから、れっきとした“上級”の士族出身です。

初代総理の伊藤博文などは、「長州藩の士族出身」とはいえ、もとは周防国の農民の子弟で、父親が長州藩の下級武士に養子に入った戸籍上の士族ですから、原敬の方が伊藤よりも身分に「歴史」もあり階級も上のはずです。

しかし、それまでの首相が爵位を持っていたのに、原敬はそれを断って持っていなかったので「平民」というわけです。

爵位がなくても、戸籍上は「平民宰相」ではないんですけどね。

専門学校を出て、図面も引ける田中角栄が「高等小学校卒」を強調されるのはまだしも、高校を出てから「二部ではない」法政大学に入っただけなのに、「集団就職」で上京して夜学(二部)で苦学したとされる菅義偉のプロフィールなんて、明らかに虚偽ですからね。

いったい誰が創作するんでしょう。

マスコミが作ったのか、世間一般で言われていることと、実際とはかくも違うものです。

とはいえ、経歴は、生きてきた歩みなので、その人を知るために、全く無視するのも合理的ではありません。

今、この人は何を言っているか、何ができるかということと、過去どんな立場で人生を送ってきたかというのを上手につなげて判断できると、人を見誤らなくて済むんですけどね。もちろん正しい情報で。

公私で関わりを持つ相手の、「育ち」とか「学歴」とか「肩書き」は、どのぐらい気にされますか。

以上、原敬など日本の偉人伝を多数収載しているのは『まんが日本史1000人 古代国家の誕生から太平洋戦争の終結まで』(世界文化社/編集/発行)、でした。


まんが日本史1000人 古代国家の誕生から太平洋戦争の終結まで – 世界文化社

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