吉展ちゃん誘拐殺人事件は、戦後事件史上語り継がれる凶悪事件です。漫画化したのは、佐藤まさあきさんの『実録昭和猟奇事件4』です。雅樹ちゃん誘拐殺人事件、正寿ちゃん誘拐殺人事件と並ぶ三大凶悪事件といわれ、初めて報道協定が結ばれました。
吉展ちゃん誘拐殺人事件とはなんだ
吉展ちゃん誘拐殺人事件とは、当時世間を震撼させた身代金目的の誘拐殺人事件です。
1963年(昭和38年)3月31日、東京都台東区入谷町(現在の松が谷)に起こりました。
事件名に名前が入っているように、すでに、被害者と犯人の名前も公然としています。
したがって、これまで事件漫画のレビューは、登場人物が仮名でしたが、今回は本当の名前で描かれています。
誘拐され殺害されたのは、村越吉展ちゃん。当時4歳。
犯人は、小原保といいます。犯行当時30歳でした。
この事件から9年後、1969年(昭和44年)9月10日には、やはり営利誘拐事件として東京都渋谷区で正寿ちゃん誘拐殺人事件が起こっていますが、刑事裁判で、東京地検の検察官が被告人に死刑を求刑した際の論告で、「雅樹ちゃん誘拐殺人事件(1960年)や、吉展ちゃん誘拐殺人事件、正寿ちゃん誘拐殺人事件と並ぶ三大凶悪事件」と陳述しています。
つまり、三大凶悪誘拐事件の一つということです。
その中でも、吉展ちゃん誘拐殺人事件は、「戦後最大の誘拐」ともいわれています。
事件報道では、マスコミが報道協定を結ばれた初めての事件としても有名です。
1960年の雅樹ちゃん誘拐殺人事件をきっかけに、誘拐事件が発生した際は犯人逮捕か、人質の安否が確認されるまで報道を自粛する方針とし、その締結の最初の事件となったのです。
事件は、捜査ミスや、犯人に都合のいい偶然も重なり、解決までに2年もかかっています。
そこで、公開捜査に入った段階で、テレビやラジオで犯人からの電話の音声を公開して情報提供を求めたり、歌手が事件を主題とした楽曲を歌ったり、それを受けて母親たちがデモ行進を行ったりなど、メディアを用いて国民的関心が広がった初めての事件でした。
たとえば、『かえしておくれ今すぐに(返しておくれ今すぐに)』(作詞:藤田敏雄、作曲:いずみたく)は、ボニージャックス(キング)、ザ・ピーナッツ(同)、フランク永井(ビクター)、市川染五郎(後の松本白鸚。コロムビア)、芦野宏(東芝音楽工業)などによる競作で歌われています。
私は、事件後何年かたってから、ザ・ピーナッツの歌声をラジオ番組で聴きましたが、それはそれは重い、そして子供心には怖い曲でした。
事件は、ノンフィクションとして上梓されたり、映画やテレビドラマにもなったりました。
私は、泉谷しげるが犯人を演じ、芦田伸介が刑事を演じたテレビドラマが印象に残っています。
CSで録画した『戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件』を視聴。前々から観たかったテレビ映画。泉谷しげるは軽佻浮薄ぶりに舌を巻く迫真の演技で、本作で本格的な役者デビューを飾ったのも納得。実際の事件を冷徹に暴く恩地日出夫の演出に、フライシャーの傑作『10番街の殺人』を思い出した。面白かった!。 pic.twitter.com/ZK1juBvDMT
— TagTak (@tagutaku5386) May 29, 2021
そして、捜査が行き詰まったことで、「落としの八兵衛」こと平塚八兵衛さんが捜査に参加したことでも知られています。
小原保は、当初から容疑者の一人として捜査線上に上がっていましたが、アリバイがあったためにクロにできませんでした。
どうにも埒が明かない時に、捜査に参加した平塚八兵衛刑事は、小原保の母親のいる福島県まで行って、丹念に聞き込みを行って、崩せないと思われていたアリバイを崩し、逮捕にこぎつけました。
この誘拐事件を機に、身代金目的の営利誘拐が通常の営利誘拐よりも重い刑罰を科すよう改められたり、犯罪捜査における電話の逆探知が認められるようになったりしました。
事件の経緯
小原保は、福島県の貧しい農家で、11人兄弟のうち10番目の子供として生まれました。
貧しい上に山深い土地のため、靴も満足に買ってもらえない小原保は、小学校4年の時に足のあかぎれが悪化して骨髄炎にかかり、足が不自由になります。
農作業ができず、また足の障害をバカにされていた小原保は、中学を卒業すると福島を出て、仙台の時計店に修理工として働きます。
しかし、そこでの生活は安月給で長続きせず、貴金属のブローカーやヒモ生活など、経済的に不安定な日々を送りました。
要するに、お金に不自由していたわけです。
食えないどころか、プローカーでは借金も作っていました。
しかし、金策もままならず、東京駅に降りた時に、たまたま映画館で見た黒澤明監督の映画『天国と地獄』から、営利誘拐を思いつくのです。
では、どの子供を誘拐しようかと物色していた時、目に止まったのが当時4歳の吉展ちゃんでした。
つまり、2人は因縁も怨恨もまったくなく、接点は「たまたま」だったのです。
1963年(昭和38年)3月31日の夕方、自宅近くの入谷南公園で遊んでいた吉展ちゃんが、行方不明になりました。
同日午後7時頃には、両親から捜索願が出されます。
しかし、下谷北警察署(現下谷警察署)は、当初誘拐ではなく迷子として手配を行い、誘拐を捜査する警視庁捜査一課に連絡が入ったのは、その翌日だったそうです。
聞き込みの結果、翌日の4月1日に、公園で吉展ちゃんに声をかけてきた人間がいたことがわかりました。
その時、つまり公園で吉展ちゃんに声をかけた小原保は、足の障害を吉展ちゃんに悟られたことから、南千住の円通寺に吉展ちゃんを連れていき、ベルトで絞殺していました。
しかし、その翌日の4月2日、小原保は身代金50万円を要求しています。
その受け渡しの際、警察はミスを犯し、小原保を捕まえることができませんでした。
もっとも、捜査を進める中で、小原保が怪しい、ということにはなったのですが、2度の取り調べでも「事件当日は福島にいた」というアリバイを崩せず、逮捕には至りませんでした。
事件発生から2年たち、1965年5月には、帝銀事件などの捜査経験がある、平塚八兵衛刑事が捜査に参加しました。
平塚刑事は、福島に出向いて聞き込みからアリバイを崩し、小原保本人への取り調べは、期日ギリギリに犯行を認めました。
別件逮捕や、3度目の取り調べということもあり、人権団体やマスコミは批判的でしたが、それに対する平塚八兵衛さんが言ったとされる反論です。
「加害者の人権というが、被害者と被害者の家族の人権はどうなるんだ!!」
小原保は全面的に犯行を自供。
営利誘拐罪と恐喝罪で逮捕、起訴され、1967年10月31日に最高裁で死刑判決が言い渡されました。
「偶然」の積み重なった不幸
佐藤まさあきさんの『実録昭和猟奇事件4』(グループ・ゼロ)では、冒頭にこう書かれています。
人は幸につけ不幸につけこの言葉をよく使う。
もし、あの時×××でなかったら。もし、あの時××だったら自分の運命はこんなに変わらなかったろう..…と。
IFは幸と不幸の分岐点天国と地獄の境界線にある言葉だ。
昭和三十八年に起こった「吉展ちゃん誘拐事件」の資料をひもとくとき、私は再びこの言葉を思い起こさずにはいられない。
これは、まさに警察の捜査ミスと偶然が重なって大事件になったことを端的に言い表したプロローグの言葉だと思います。
漫画では、その「偶然」について描いています。
もし…この男が映画「天国と地獄」をみていなかったら…
もし…この男が金においつめられていなかったら……
もし…この男がこの日上野駅に降りなかったら
少なくとも何らかの状況は変わっていたかもしれない。
そしてもう一つのもし…は被害者の森越家にもあった
それは、母親が子供たちを連れて買い物に出かけようとした時、吉展ちゃんは公園に遊びに行っていたため、母親は吉展ちゃんの妹だけを連れてでかけました。
もし、その時に吉展ちゃんも一緒にでかけていたら、誘拐はなかっただろう、ということです。
物事は、その経緯を紐解いていくと、偶然が幾重にも積み重なっているものですが、それだけに、人はそこに運命の意味付けをしてしまうものです。
しかし、誘拐殺人の被害者という運命が定められていたとしたら、その天の配剤は、あまりにも理不尽で無慈悲で非合理と言わざるを得ません。
『実録昭和猟奇事件』は、昭和に起こった数々の凶悪事件、その中でもひときわ異質な事件について、佐藤まさあきさん自身が関係者に直接取材し、警察資料から犯人の足取りや、逃走経路を自らの足で追体験した完全ノンフィクションのドキュメンタリー・コミックであることは、すでにご紹介しました。
この事件についても、執筆に際しては、「各種著書、捜査資料、新聞記事などを参考にし、できる限り事実に沿って構成」され、「資料と資料の空白部分はやむを得ず、作者のフィクションで埋めるのやむなきにいたりました」と書かれていますが、フィクションと言うより、「仮説」といっていいと思います。
『実録昭和猟奇事件4』(グループ・ゼロ)は、マンガ図書館Zで全巻無料で読むことができます(2022年2月25日現在)。
佐藤まさあき 『実録昭和猟奇事件 4』 #マンガ図書館Z https://t.co/jrsc8oA0dr
— 石川良直 (@I_yoshinao) February 24, 2022
また、AmazonKindleUnlimitedでも読み放題リストに入っています。
以上、吉展ちゃん誘拐殺人事件は、戦後事件史上で語り継がれる凶悪事件です。漫画化したのは、佐藤まさあきさんの『実録昭和猟奇事件4』です。でした。