吉田兼好など『読むとなんだかラクになる がんばらなかった逆偉人伝 日本史編』(ミューズワーク、加来 耕三著)をご紹介します。歴史に名を残す人々25名の生きざまについて、「がんばらなかった」と表現できる部分にフォーカスしてまとめています。(本文中敬称略)
『読むとなんだかラクになる がんばらなかった逆偉人伝 日本史編』(ミューズワーク著、加来耕三監修、主婦の友社)は、歴史に名を残す25名の日本の偉人たちの功績や人柄を、「がんばらなかった」ことで自分らしく生きた人々とし、コラムでは逆に4名について「がんばりすぎた」から志半ばで失脚したと解説しています。
逃げる(桂小五郎)、泣きつく(足利尊氏)、人任せ(徳川家綱)、スルーする(和泉式部)、世間を気にしない(前田慶次)、投げ出す(上杉謙信)……などなど、ネガティブにまとめていますが、まあこれは表現の仕方の問題です。
人生には、「力を入れないほうがいい」「撤退したほうがいい」と思える選択もあるわけで、それを行った賢明な生き方について、「逃げた」とか「任せた」と表現しているわけです。
偉人を「〇〇したから立派です」ではなく「〇〇しなかったから自己実現しました」と、少し見方を変えて紹介しているわけです。
ということで、この記事ではその中で、吉田兼好についてご紹介します。
仏道修行、文芸、人付き合いすべて「ほどほど」に
兼好法師旧跡
吉田兼好は、この場所にあった庵で随筆「徒然草」を執筆したと伝わる。
作中で、仁和寺の法師が宴会で、鼎(かなえ:酒を温める鍋)頭に被り踊ると事のほかウケて調子に乗り鼎が外れなくなり医者に連れてゆく話がある。
この平安時代の人の視点や感覚が生き生きと今に伝わってくる。 pic.twitter.com/fIyKBWKH8W— 高野山まで歩こう!(新) (@jQKnW3Lg7A85650) July 30, 2024
吉田兼好(よしだけんこう、1283年~1352年)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した官人、歌人、随筆家、僧侶です。
日本三大随筆の一つである『徒然草』の作者としても知られています。
「三大随筆」というのは、『枕草子』(清少納言)、『方丈記』(鴨長明)、『徒然草』です。
『方丈記』(鴨長明)は、以前ご紹介しました。
漫画方丈記(信吉、文響社)は、日本最古の災害文学といわれる鴨長明の同名の随筆を漫画化したものです。#養老孟司 さんの解説も好評。漫画は本作がデビュー作となる信吉さん。安元の大火、治承の竜巻、福原遷都、養和の飢饉、元暦の地震などが描かれています。https://t.co/aq7h8HGayu #方丈記 #仏教 pic.twitter.com/go0AWIVGMt
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) October 11, 2023
兼好は、京の吉田神社の神職・占部氏出身とされ、近年では「滝口の武士」出身だった可能性もあります。
それが出家したので、兼好法師と言われます。
元神官の実家で出家するパターンは、鴨長明と同じですね。
では世捨て人だったかと言うと、そんなことはありません。
そもそも、得度しておきながら仏門修行は頑張りませんでした。
出家後は大阪の正圓寺付近に庵を構え、仏道修行はほどほどに、和歌、文学的な素養を磨くほうにもエネルギーを注ぎました。
鎌倉幕府の執権や九州探題との交流があり、武士たちとのつながりがあったと考えられています。
ただ、兼好はお金には執着せず質素な生活をし、清貧な生き方を選びました。
「兼好法師」を名乗りながら、仏道修行に励んで道を極めなかったのは、偉人とか人生モデルにはならないと思えるかもしれませんが、本来釈迦仏教は、物欲にまみれず、努力はほどほどの中道の教えなので、実は吉田兼好のマイペースな生き方こそ、仏教徒の鑑といえるかもしれません。
『徒然草』は、仏教者としての無常観や、それと対象的な人脈に恵まれた人間味あふれる逸話を通じて広く共感を呼び起こしました。
これが、仏道修行一筋のストイックな兼好だったら、『徒然草』は誕生しなかったでしょう。
まさに、「ほどほど人生」が生み出した作品と言えます。
「どっちつかず」のほどほど人生も「あり」
以前も書きましたが、私はこのブログで、障碍者が社会復帰したり、社会参加したりしていることをよく紹介していました。
しかし、「障碍者の頑張り」にフォーカスするあまり、
「障碍者もやればできるじゃないか」
↓
「だったらヤらないのは、親のしつけが悪いか、本人の努力が足りないのだ」と、
誤解されてしまうのではないかと思い、そういう描き方は控えようと思いました。
私の真意は、障碍者にハッパをかけることではなく、障害のあるなしは二の次で、自分で自分の人生に「生きる意味」を見つけて生きている人々をご紹介したかったのです。
その点で、兼好法師のように自分軸を持ち、得度してもストイックに仏道修行をするわけでもなく、世俗と距離を取りながらも意義のある人々となら適度にお付き合いする、という「どっちつかず」のほどほど人生も「あり」だと思うのです。
普通は、仏道か正業か、もしくは文芸活動か、いずれかの道で頑張って、そこで成果を出すことで社会的に評価されますよね。
吉田兼好は、そういう他人の価値基準や評価にふりまわされず、自分の人生を生きたという点に、「生きる意味」を見出したと思うのです。
みなさんは、仕事、学業、趣味、その他生き甲斐などを、バランスよく「ほどほど」に楽しまれていますか。