吾輩は猫である(原作/夏目漱石、脚色/杉本武、漫画/荒木浩之、剣名プロダクション)Kindle版は、夏目漱石の処女小説の漫画化です。猫の目から見た人間社会の滑稽さや欺瞞の描写は、人生が一切皆苦であるという仏教の精神に貫かれています。
『吾輩は猫である』は、原作/夏目漱石、脚色/杉本武、漫画/荒木浩之、制作/剣名プロダクションで、SMART GATE Inc. から上梓されています。
夏目漱石の処女小説の漫画化です。
処女小説(処女作)とは、初めて制作した、または世に発表した作品です。
『吾輩は猫である』は1905年1月、『ホトトギス』に発表され、好評を博したため、翌1906年8月まで継続しました。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」
という有名な冒頭に始まり、結局最後まで名前はつけられない猫の視点で、自分(猫)や人間の世界を観察している話です。
産まれて間もなく、「書生という人間中で一番獰悪な種族」に捨てられ野良猫になっていた「吾輩」が、なんとなく飼われるようになったのが珍野家。
家長は教師を務める苦沙弥先生です。
当時の文学作品は、半実話であることが多いのですが、「吾輩」が飼われることになるまでのやり取りは、実際に起こったこととされています。
苦沙彌先生の飼猫の眼を通して、その家庭や出入りする変人たちの言動を初めとして、滑稽で陳腐な人間社会をユーモラスな筆致で批判、風刺した作品です。
本書は、2023年7月10日現在、kindle unlimitedの用法大リストに含まれています。
猫の目から見た人間社会の滑稽さや欺瞞を描く
産まれて間もなく捨てられた猫の「吾輩」は、捨てられて行く当てもなく彷徨っています。
ある邸に入り込んだものの、「下女」に追い出され、でもまた入り込んでの繰り返し、
「下所」が、「この宿なしの小猫がいくら出しても出しても御台所へ上あがって来て困ります」というと、主の教師・苦沙弥先生が「そんなら内へ置いてやれ」という一言で一命を取り留めます。
そして、「吾輩」の視点による、日々の暮らしが描かれます。
具体的には、迷亭の訪問や、近所に住む車屋の黒(猫)とのやり取りが中心です。
主な登場人物は、苦沙弥先生の友人で、自称美学者の迷亭。
苦沙弥の元門下生で、卒業後に理学者になる水島寒月(寺田寅彦がモデル)。
苦沙弥先生のの元書生で、現在では鉱山会社に勤務する猫鍋好きの多々良三平。
実業家の金田などです。
本作の漫画では、苦沙弥先生が迷亭に担がれるシーンが面白く描かれています。
迷亭「苦沙弥君。こんな言葉を知っとるかね。かのイタリーの大家、アンドレア・デル・サントいわく、絵を描くのなら自然そのものを写せ」
苦沙弥「フーム。デル・サントがそんなことをねえ」
迷亭「自然はこれ、一服の大活画なり!とも言ったよ」
苦沙弥「な~る」
苦沙弥先生は、それ以来下手くそな写生につとめました。
そして後日、迷亭が「どうかね」と訪ねてくると、
「君の忠告に従って写生をつとめているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ。西洋では昔から写生を主張した結果今日こんにちのように発達したものと思われる。さすがアンドレア・デル・サルトだ」などと、わかったようなことを言う苦沙弥先生に対して、迷亭は笑いながら「実は君、あれは出鱈目だよ」
そんな人物はおらず、話も迷亭のでっち上げ。苦沙弥先生は担がれたわけです。
教育者だから、「デル・サントなんて知らない」とは言えなかったんでしょうね。
そこを迷亭に見透かされたわけです。
夏目漱石は、実生活で、こういう経験をしたのかもしれません。
「帝国大学を出たものとして、知らないとは口が裂けても言えない」とか思って、つい知ったかぶりしてしまう。
今だったら、霊感商法に騙されちゃいますよ。
原作は、こうした、猫の目から見た人間社会の滑稽さや欺瞞が、鋭く捉えられています。
本作では、「吾輩」の友達の猫は、亡くなったり、怪我をして以前の元気を失ったりしますが、「吾輩」はぼたもちで喉をつまらせるなどしながらも、楽しく暮らすという話です。
原作では、多々良三平の結婚祝いに出たビールを「吾輩」は舐めてしまい、酔っ払って水瓶に落ち、「吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。」と念仏を唱えて終わります。
このエンディングも有名ですね。
夏目漱石の実家の菩提寺は、真宗大谷派の末寺本法寺だそうですから、この念仏も「リアル」です。
人間は生きて苦しむ為めの動物かも知れない
というのは、夏目漱石が、妻に向けた手紙の一文と言われていますが、まさに仏教の「一切皆苦」を述べたものであり、夏目漱石が作家として、人間の弱点や苦悩を描き続けたのは、その仏教の精神にあるのではと私は思いました。
半自伝を詩情あふれる文章で描く
日本の近代文学は、自然主義という潮流が大きなうねりとしてありました。
教科書的に説明すると、人間の内面をえぐり出すような作風に特徴があります。
まあ、人間がせずにはおれない行動や判断、生きざまなどを描くので、事実は小説より奇なりで、実在のモデルがいたり、事実をもとに物語化したり、半自伝であったりします。
島崎藤村の『破戒』などは有名です。
夏目漱石の作品も、自分の体験を描いたものが多いようです。
ただし、自然主義そのままに心の中をあけすけに描くのではなく、詩情あふれる文章で物語としての興趣を高め、その筆致は「余裕派」ともいわれました。
プロフィールを見ると、帝国大学文科大学(東京大学文学部)を卒業後、東京高等師範学校、松山中学、第五高等学校などの教師生活を経験。
松山時代は、『坊っちゃん』で描かれていますね。
ただし、『坊っちゃん』は東京に帰って機関士になりますが、リアルな夏目漱石はイギリスに留学。
帰国後、第一高等学校で教鞭をとりながら、1905年処女作『吾輩は猫である』を発表。
苦沙弥先生は教師という設定なので、またここでも自分の生活を描いているわけです。
その後は、朝日新聞社の記者になり、『虞美人草』『三四郎』などを発表。
しかし、胃病に苦しむようになり、『明暗』の連載途中に胃潰瘍で亡くなったそうです。享年50歳。
今だったら、ビロリ菌除菌したら、治ったかもしれないですね。
胃が悪くて、胃液を垂らしてうたた寝をするシーンが、『吾輩は猫である』には出てきます。
東大の文学部に入っているのに、数学の教師になったり作家になったりして、学術の道に進まないところが、順当な進路を選ばない夏目漱石らしい美学を感じますね。
漫画で35頁。
10分あれば読めるヴォリュームです。
有名過ぎる作品です。ぜひ1度ご覧ください。
以上、吾輩は猫である(原作/夏目漱石、脚色/杉本武、漫画/荒木浩之、剣名プロダクション)Kindle版は、夏目漱石の処女小説の漫画化、でした。