『図解 よくわかるADHD』(榊原洋一著、ナツメ社)は、タイトル通りADHD(注意欠陥多動性障害)について解説している入門書です。以前は親のしつけや愛情の注ぎ方、本人の性格が原因とされていたことが、実は先天的な障害ということがわかってきました。
ADHD(注意欠陥多動性障害)は発達障害
一昨日は、『片づけられない私を見つめて』(しみず字海/KCデザート)という、ADD(不注意優勢型ADHD)の女性を描いた漫画をご紹介しました。
注意欠陥障害(Attentin Deficit Disorder with and without Hyperactivity)は、どんな発達障害であるかを描いたものですが、今回は専門医によるADHDの図解書籍をご紹介します。
著者は榊原洋一医師です。
自閉症、アスペルガー症候群、注意欠陥多動性障害など、発達障害の書籍を数多く上梓しています。
21世紀に入ってから、発達障害がマスコミでも取り上げられるようになりましたが、その中の一つであるADHD(注意欠陥多動性障害)について解説している入門書的書籍です。
以前は、親のしつけが悪い、もしくは愛情の注ぎ方や育て方が間違っている、子供自身の性格が悪いと見られていたものが、実は先天的な発達障害だったということが最近になっていろいろわかってきました。
発達障害は、大きく3つの障害の総称とされています。
- 自閉症スペクトラム障害(ASD)
アスペルガー/高機能自閉症/広汎性発達障害などということもあります - 学習障害(LD)
読字障害/書字表出障害/算数障害 - ADHD(注意欠如・多動性障害)
不注意優勢に存在/多動・衝動優勢に存在/混合して存在 など
※りたりこジュニア(https://junior.litalico.jp/about/hattatsu/)より
さらに、自閉症スペクトラム障害(ASD)とADHD(注意欠如・多動性障害)には、知的障害や高次脳機能障害を伴う場合があります。
ADHD(注意欠陥多動性障害)は、発達障害の中のひとつのカテゴリーになっています。
不注意、多動性、衝動性などを特徴とする発達障害です。
自分の行動をコントロールする機能が弱い
ADHD(注意欠陥多動性障害)は、注意力や集中力などが続かずに、極端にそわそわして落ち着きがない特徴があります。
本書によると、「自分の行動をコントロールする機能が弱い」ということです。
まあそれだけなら、子供時代はだれでもあります。
私も、幼児の頃は「チョロチョロしてばかりいる」と、親にたしなめられていたものです。
しかし、それが就学後、7歳を過ぎても改善されないと、ADHDと診断されます。
「1クラスに1~2名いるのではないか」(本書)といいます。
落ち着きがなかったり、行動が度を越していたり、場の空気を読めなかったり、約束を忘れたりするために、人間関係を築けないことが少なくありません。
要するに、人間関係をうまく築けず、友だちができにくいということです。
この点は、所見としては対照的でも、アスペルガー症候群と共通しているかもしれません。
勉強をしていても集中力が続かない、物事を段取り良く進められない、授業中もじっとしていられないということもあります。
教育現場で、発達障害についての理解も知識もないデモシカ先生に当たると、「落ち着きのないダメな子」というレッテルを貼られるかもしれません。
そうしたことが、本人に疎外感を感じさせたり、いじめにつながったりするので、適切な対応をしないと、ともすれば非行に走るようなこともあり得ると本書は警鐘を乱打しています。
これもアスペルガー症候群のところでも説明しましたが、発達障害というと、知的な遅延、障害と思われがちですが、知能は正常でも発達障害である場合もあります。
また、「発達」といいますが、幼児だけでなく青年期や成人期以降に発達障害と診断されることもあるのです。
育て方やしつけが原因ではない
本書は、ADHDについて繰り返し、それは「育て方やしつけが原因ではない」ことを強調します。
ネットでは、高齢出産バッシングがすごいですが、高齢出産でなくても、発達障害はあり得ることです。
つまり、誰であっても、本人でもその子供でも、無関係ではない問題なのです。
同書では、図やイラストを用いて、その原因や症状、診断基準、治療法などについて解説。教育関係者への具体的なアドバイスも紹介しています。
親の育て方や、子ども自身の性格や心がけの問題ではない、ということが明らかになるのは、医学的に適切な治療をするためにも必要なことです。
何より、ネット掲示板などで、高齢出産バッシング、「キラキラネーム」バッシングなど、インケンな排外主義をむき出しにしている我が国のネット文化に対して、その根拠なき落書きを否定できるものだと思います。
片付けができない?だからどうした!
ただ、私は、問題解決にはそこでもう一歩踏み込んでいただきたいと思うのです。
片付けができない、礼儀正しくないなどは性格や親のしつけのせいではない
ここまではいいです。
しかし、ちょっと考えてください。
これだけですと、「片付けができない、礼儀正しくないことには事情がある」ということが明らかになっただけで、だから「できなくてもいい」というところまではいっていません。
つまり、ADHDの認定や啓蒙は、「発達障害」の存在を広めることはできても、
「本当はすべきなのに、事情があってできないかわいそうな人たちの障害なんだ」という新しい差別を助長するリスクがあり得る、と私は懸念しています。
たとえば、ネットでは、相手の書き込みを貶める言葉として、「アスペ」と書くことがありますよね。
アスペルガー症候群という発達障害の意義ある発見が、ネットでは差別用語に使われてしまっているのです。
といってももちろん、ADHDの認定が無意味だということではありません。
そうではなくて、私は、そもそも
落ち着きがない? 片付けができない? 人と関われない? だからどうした!
という“無責任”文化や、“向上心”のない価値観も尊重すべき社会であれ、という踏み込んだ文化観を啓蒙するところまで踏み込んでほしいと思います。
できない人、しない人、する人など混然としていいじゃないか
……と、提案すると、「勤勉」で真面目な人達は、私のことを、なんて不謹慎と思うかもしれませんね。
でもね、そういう人たち、ちょっと考えてくださいね。
部屋が片付かないと生きていけませんか?
友だちがいない人は生きる資格が無いんですか?
そんなことはないでしょう。
むしろ、そういうことを「ねばならない」と、社会的な美学や至上の価値観に仕立てあげたことで、人々の間には、競争や見栄による牽制や、コンプレックスや排外主義をうんできたのではないでしょうか。
アスペ? そんなこたぁ、どーでもいいじゃねーか
という価値観なら、アスペは差別用語になりえないでしょう。
もちろん、礼儀や片付けを、ちゃんとできることを否定するわけではありません。
しかし、できない人、しない人、する人など、いろいろな人がいて、この世の中が成り立っている、というふうに考えられないのか、という話です。
本当はできたほうがいいんだけど、この人は障害者だからできなくても仕方ない、という理解と支援頼みでは結局「この人」の疎外感は解決しないでしょう、という話です。
できない奴はおかしい、できるようにしろ、という価値観だけが覆うような息苦しい社会であるかぎり、どんな障害名をつけても、「できない人」にとっては本当の解決にはならないように思います。
つまり、ADHDを理解するという医学や教育だけでなく、文化や価値観など社会全体の問題だと私は思います。
以上、『図解 よくわかるADHD』(榊原洋一著、ナツメ社)は、タイトル通りADHD(注意欠陥多動性障害)について解説している入門書、でした。