冨永仲基は、江戸時代中期の大坂で活躍した哲学者、町人学者、思想史家です。彼は懐徳堂の学風である合理主義と無鬼神論の立場に立ち、儒教、仏教、神道を実証的に研究しました。明治時代の東洋史学者、内藤湖南によってその仕事がまとめられています。(文中敬称略)
今、自由民主党の総裁選報道では、立候補を表明している青山繁晴議員が、メディアに無視されています。
つまり、候補者として一切報じられず、存在しないことになっています。
候補者としての立ち位置や政策が、自由民主党にとって都合が悪いのでしょうが、いうまでもなくフェアではありません。
ちょうど、そんなポジションにあったのが、本書『大阪の町人学者 富永仲基』で取り上げられている富永仲基(とみなが なかもと、1715年~1746年)です。
まあ、この方の場合は、無視ではなく一部では感情的な批判をされた分だけ、まだ当時の日本のほうが健全だったのかもしれません。
なにをしたかというと、「大乗非仏説」をぶち上げた方です。
日本の仏教(大乗仏教)は、お釈迦さま直伝の仏教(お経)に、時代が進むごとに後世の人々が書き足し書き足しを加え(これを加上と表現しています)、もとのお経とは全く異なるものになっている、という主張です。
そんなことはこんにち、お経を読み比べれば、一目瞭然なのですが、当時(江戸時代)としては、大変なことだったのです。
なぜなら、徳川幕府では、キリシタン排除の思惑もあって、檀家制度を道入して、どの「家」も仏教諸宗派の檀家になることが定められ、寺院は今で言う役所の戸籍課のような役割を任されていました。
つまり、日本において仏教は、国益と国民の管理を行う権威あるものになっていたので、それが開祖のお釈迦さまと無関係ということになったら、寺院の権威の根拠が失われてしまうということで、仏教界は一部の独断的な否定もしくは無視で、富永仲基説を葬り去ろうとしたわけです。
本書は、明治時代の学者が、「富永仲基説と向き合おう」という趣旨で、富永仲基について書いたものです。
ほとんど世間には知られていない名前かと思いきや、SNSでは時折ポストされています。
宗教を率直に批評
kindleのリーダーを買った。内藤湖南の「大阪の町人学者冨永仲基』を読んでいる。インクの活字でとても読み易い。寝ながら読むとか、電車の中で読むのに快適。
— 足立恒雄 (@q_n_adachi) September 1, 2015
冨永仲基は、大坂の商人家庭に生まれました。
幼少期から学問に励み、懐徳堂で儒学を学びましたが、15歳頃に儒教を歴史的に批判した「説蔽」を著し、破門されました。
その後、宇治の黄檗山萬福寺で仏典の研究に励み、仏教に対する批判力を培いました。
冨永仲基の「大乗非仏説論」は、仏教界に大きな衝撃を与え、後の仏教批判の基礎となりました。
冨永仲基の著作には、『翁の文』や『出定後語』があります。
これらの著作では、思想の展開と歴史、言語、民俗との関連に注目し、独自の視点から宗教を批判しました。
『出定後語』を上梓したときには、すでに病気でも患っていたのか、自分の余命がそれほど長くないことを示唆しており、実際に32歳という若さで亡くなりました。
が、その独創的な思想は後世に大きな影響を与えました。
冨永仲基の思想は、江戸時代の日本において非常に独創的であり、特に仏教批判で知られています。
それ以外の仕事もご紹介します。
宗教批判
冨永仲基は仏教だけでなく、儒教や神道についても批判的な視点を持っていました。著作『翁の文』では、これらの宗教が「誠の道」から外れていると批判し、真の道徳とは何かを探求しました。
文化人類学の先取り
冨永仲基は、各文化の特性を相対化し比較する視点を持っていました。たとえば、インドは「幻」で空想的・神秘的、中国は「文」で修辞的・誇張的、日本は「絞」で秘密主義的と表現しました。これは、文化人類学的な発想の先取りとも言われています。
日本が秘密主義というのは「言いえて妙」だと笑ってしまいました。やたら沈黙を美徳としますしね。
冨永仲基の思想は、当時の日本において非常に革新的であり、後の思想家たちにも大きな影響を与えました。彼の批判的な視点と独自の理論は、現代の学問にも通じるものがあります。
今も知る人ぞ知る存在
富永仲基の提唱した加上説は思想や主張は、それに先行して成立していた思想や主張を足がかりにし、先行思想を超克しようとする。その際、新たな要素が付加される。それが加上説の考え。つまり、そこにはなんらかの上書き・加工・改変・バージョンアップがなされていると思考するもの。
— Silver Bullet (@Kota03128286) September 2, 2024
富永仲基が、「大乗非仏説」をぶちあげてくれたおかげで、明治以降は、釈迦の仏教と大乗仏教の区別をつけ、大乗仏教は、いつ頃、誰によって興起され、どんな内容なのか、といった研究が仏教学でも進むようになりました。
一例を挙げますと、『涅槃経』というお経があるのですが、パーリ語で綴られた初期の仏教のものは、お釈迦さまが食あたり、もしくは直腸がんという、きわめて普通の人間らしい病名で亡くなり、火葬して骨を弟子たちが分け合ったことが記されています。つまり、お釈迦さまは神でも超人でもなく、普通に80歳でなくなり、普通に葬式をしているのです。
ところが、その後、漢訳された大乗仏教版の『涅槃経』では、お釈迦さまの葬式シーンがぼかされ、不死のまま、どこかで衆生の成仏を見守っているかのような書き方に変わっているのです。
この違いを見ても、初期の仏教と大乗仏教は、全く別のものであることが明らかです。
日本の大乗仏教諸宗派も、それは認識済みですが、一部の新興宗教や、カルト教団では、未だにそのへんを曖昧にして、釈迦仏教と大乗仏教をごっちゃにを採り入れています。どことはいいませんけどね。
キリスト教が絶対である西洋では、過去こんなことがありました。
「地球は丸い」と言って弾圧されたピタゴラス、「地球が回っている」と言ってカトリック教会から軟禁されたガリレオ・ガリレイ、やはり「地動説」を唱えて宗教団体の圧力から生前にそれを発表できなかったコペルニクス、「宇宙は無限で、他の生物が存在する可能性もある」と言って火刑に処されたジョルダーノ・ブルーノ、キリスト教会の教えの非科学性を指摘しただけで投獄されたロジャー・ベーコン……
それにくらべれば、日本は、キリシタン迫害や、開祖が圧力を受けることはあっても、一介の学者が仏教評論で処刑までされることはありませんでしたが、富永仲基を見ると、やはり信仰と真実のハザマで、タブー視されたり、議論がややこしくなったりすることはあるようです。
その意味で、21世紀のこんにちでも、富永仲基の名前がXで取り沙汰されるのは、なんとなく嬉しいような気がします。
富永仲基、ご存知でしたか。