サイトアイコン 市井の話題書厳選

大隈重信など明治~昭和初期にかけて活躍した9人の偉人の功績などをまんが化した日本人物史4(つぼいこう、朝日学生新聞社)

大隈重信など明治~昭和初期にかけて活躍した9人の偉人の功績などをまんが化した日本人物史4(つぼいこう、朝日学生新聞社)

日本人物史4(つぼいこう、朝日学生新聞社)は、明治~昭和初期にかけて活躍した9人の偉人について功績やその人となりをまんが化しています。今回はその中で、大隈重信についてご紹介します。政党政治の先鞭をつけ、早稲田大学の創設にも尽力しました。

幕末から明治維新後の近代日本は、どのような人物によってどう方向づけられたのかを確認すべく、最近は近代史の偉人たちにフォーカスしています。

本書は以前、小村寿太郎についてご紹介しました。

日本人物史4(つぼいこう、朝日学生新聞社)は、小村寿太郎など明治~昭和初期にかけて活躍した9人の偉人の功績について漫画化
日本人物史4 明治天皇/伊藤博文/野口英世ほか 日本人物史(つぼいこう、朝日学生新聞社)は、明治~昭和初期にかけて活躍した9人の偉人について功績やその人となりをまんが化しています。今回はその中で、小村寿太郎についてご紹介します。

今回は大隈重信です。

福沢諭吉は慶應義塾大学の創設に関わりましたが、大隈重信は早稲田大学や日本女子大学の創設に関わりました。

Copilotに、大隈重信のプロフィールと功績を尋ねてみました。

プロフィール
生年月日: 1838年2月16日
死亡年月日: 1922年1月10日(享年83歳)
出身地: 肥前国佐賀藩(現在の佐賀市)

主な役職と功績
初の政党内閣を組閣: 大隈は総理大臣として初の政党内閣を組閣し、殖産興業の推進に努めました。
早稲田大学の設立: 早稲田大学を創設した人物としても有名です。
通貨・円の制定: 日本初の鉄道敷設や政党内閣制を基軸にした即時国会開設を主張し、議会制を推進しました。

大隈重信は、長寿を保ちながら日本の発展に尽力した偉大な政治家であり、その功績は多岐にわたります。

大隈重信は、肥前国佐賀藩の下級武士の出身でした。彼はその出自にもかかわらず、日本の政治と教育の分野で重要な役割を果たしました。

またしても、キーワードは「長寿」「下級武士」です。

本作から詳しく見ていきます。

スポンサーリンク

日本で初めての政党内閣を組織し早稲田大学を設立


大隈重信は肥前国佐賀藩の生まれで、当時としては大柄な180センチありました。

肥前藩は、薩摩、長州、土佐の各藩とともに明治維新を推進した藩であり、これら4藩は「薩長土肥」と総称されました。

しかし、路線対立はありました。

1873年、朝鮮との関係をめぐり、政府の中で対立が起きます。

西郷隆盛は、武力を背景に交渉すると主張しますが、大久保利通は国内を固める方が大切だといいます。

大隈重信は、大久保側につきましたが、政府に不満をいだいた西郷らは1877年に「西南戦争」の反乱を起こします。

西南戦争が終わると自由民権運動が高揚して、議会を開き、憲法を制定せよとの声が高まりました。

大隈重信は、イギリス型の議院内閣制を提唱しました。

イギリスは、議会が国権の最高機関で国王は政治に口を出しません。

一方、伊藤博文は、ドイツ型を求めました。

ドイツは皇帝から任命された首相が強い力で国を発展させるという考えです。

大隈重信は、政府の中で孤立していきました。

さらに、伊藤博文は、「開拓使官有物払下げ事件」という政治スキャンダルを利用して、ライバルだった大隈重信を追放した政治クーデター(政変)を起こしました。

黒田清隆が、開拓した北海道の土地や工場を、藩閥つながりで自分の出身の薩摩藩の事業者に安く払い下げようとしたのですが、これに大隈重信が関与しているとされたのです。

クーデターによって、伊藤博文は国会開設や憲法制定など、自分の思い通りに日本の基礎を築くことになりました。

1882年、大隈重信は、慶應義塾を作った福沢諭吉に勧められ、東京専門学校(後の早稲田大学)を設立。同年、立憲改進党を結成し、政党政治の先鞭をつけました。

初代総理大臣の伊藤博文は、大隈重信を閣外に追放したくせに、日本で犯罪を起こした外国人を日本の法律で裁けない領事裁判権(治外法権)の問題が手に負えなくなって大隈重信の力を借りることとなり、大隈重信はそれを解決します。

ただし、裁判官の中に外国人を入れるという条件がついたため、反対派の人物に爆弾を投げられ、大隈重信は右足を失います。

早稲田大学の大隈重信の銅像が、杖をついているのはそのためです。

1890年に初めての総選挙が行われ、議会政治が本格化。立憲改進党は、板垣退助の自由党と一緒になって憲政党を作り、大隈重信は総理大臣になります。

しかし、寄合所帯の政党だったために内紛が起き、内閣は4ヶ月で総辞職。

それでも、大隈重信は「くじけててまるか」と艱難辛苦の時を過ごし、なんと16年ぶりに総理に返り咲きました。

長生きはやはり自己実現に必要な「必然」


総理大臣の椅子については、以前は、回転寿司のネタは2度回らないという表現がしばしばなされていました。

大勢の政治家の中で、頂点に立てるチャンスは1度きりと思って逃さないこと、という意味です。

しかし、大隈重信は16年たったら、また回ってきたわけです。

冒頭の話に戻りますが、長生きしたという「必然」と、またチャンスが訪れた「偶然」によって、返り咲けたわけです。

長生きしなければ、もしくは諦めてしまったら、そのチャンスはつかめなかったでしょう。

しかし、そうしてみると、今回の自由民主党の総裁選、名前が上がっている人々は、過去に立候補したことのある人もまざってますね。とくに5回目の人も……。

要するに、人材不足ということでしょうか。

ま、そんなこといったら立憲民主党の幹事長なんか、いったい何度目の幹事長就任だよ、と突っ込むしかないですけどね。

みなさんは、諦めずにこだわっている目標や生きがいはありますか。

以上、大隈重信など明治~昭和初期にかけて活躍した9人の偉人の功績などをまんが化した日本人物史4(つぼいこう、朝日学生新聞社)、でした。


日本人物史4 明治天皇/伊藤博文/野口英世ほか 朝日学生新聞社 日本人物史 – つぼい こう

モバイルバージョンを終了