天草四郎など日本を動かした偉人を解説する『改訂版まんがでわかる偉人伝 日本を動かした202人』 (よだひでき、ブティック・ムック) です。親しみやすい人物伝のまんがとともに、「明治維新」などの歴史的出来事もコラムで解説しています。(文中敬称略)
本書『改訂版まんがでわかる偉人伝 日本を動かした202人』は、よだひできさんによるマンガ形式の歴史書です。
タイトル通り、日本の歴史を動かした202人の偉人たちの物語が紹介されています。
Copilotに概略とポイントをまとめてもらいました。
概略
– 形式: マンガ形式で描かれており、親しみやすく、特に子供や歴史初心者に最適です。
– 内容: 日本の歴史に影響を与えた202人の偉人たちのエピソードが収録されています。人物だけでなく、「明治維新」などの重要な出来事もコラム形式で紹介されています1。
ポイント
1. 教育的価値: 歴史の学習に役立つ内容が満載で、子供たちが楽しみながら学べるよう工夫されています。
2. 視覚的な理解: マンガ形式なので、視覚的に理解しやすく、歴史の流れや人物の特徴が頭に入りやすいです。
3. 幅広いカバー範囲: 古代から現代まで、幅広い時代の偉人たちが取り上げられており、総合的な歴史理解が深まります。
4. コラムの充実: 偉人たちのエピソードだけでなく、関連する歴史的な出来事や背景もコラムで詳しく説明されています。
この本は、歴史に興味がある方や、子供たちに歴史を教えたい方にとって非常に有益な一冊です。
ということで、その中から今回ご紹介するのは、天草四郎(本名は益田時貞、洗礼名はジェロニモ⇒フランシスコ、元和7年〈1621年〉- 寛永15年2月28日〈1638年4月12日〉)、通称は天草四郎時貞です。
天草四郎は、江戸時代初期のキリシタンであり、島原の乱の総大将として知られています。
農民やキリスト教徒の反発に敗れて……
島原の乱直後の書状発見 天草四郎の最期伝える https://t.co/HGaoKW1kZF
熊本藩主の細川忠利が1638年、島原の乱(島原天草一揆)で原城(長崎県南島原市)が落城した直後に豊後日出藩の木下延俊に宛てた書状が見つかったことが、分かった。落城の様子や、乱を率いた天草四郎の最期を伝える内容。
— 産経ニュース (@Sankei_news) October 3, 2024
天草四郎は、天草諸島の大矢野島で、キリシタン大名・小西行長の遺臣である益田好次の子として生まれました。
幼少期から高い教養を持ち、カリスマ性があったとされています。
また、長崎を訪れて学問を修めたこともありました。
島原藩主の松倉勝家は、領民に対して過酷な年貢を課し、納められない者には厳しい処罰を行いました。
島原・天草地方はキリスト教徒が多く、藩主たちはこれを厳しく弾圧しました。
島原の乱は、1637年から1638年にかけて、九州の島原半島と天草諸島で起きた大規模な反乱です。
この乱は、過酷な年貢の取り立てや、キリスト教弾圧に対する、農民やキリスト教徒の反発が原因で発生しました。
天草四郎は、そのカリスマ性から一揆軍の総大将に担ぎ出されました。
反乱軍は原城に籠城し、幕府軍と激しい戦闘を繰り広げました。
1638年4月、幕府軍が原城を攻略。兵糧攻めにし、17歳の四郎も含めて戦死。反乱は鎮圧されました。
本作によると、「みんな、来世で会おう」が“辞世の句”になったそうです。
この乱を契機に、幕府はキリスト教弾圧をさらに強化し、鎖国政策を推進しました。
一方で、農民の生活改善を図るための政策も一部で実施されたといわれています。
天草四郎には、「海面を歩いた」「盲目の少女を癒した」などの奇跡の逸話が多く残されています。
彼の死後、幕府はキリスト教弾圧をさらに強化し、鎖国政策を推進しました。
信仰は命を賭けるものか
海鮮どーーーーん、からの
天草四郎どーーーーん!! https://t.co/Pu4oFnBFwm pic.twitter.com/4v9lxBFEfC— 孤独なクマモン(* ̄(エ) ̄*)?? (@h8m3w9) October 5, 2024
徳川幕府がキリシタンを弾圧した理由はいくつかあります。
1. 政治的な脅威……キリスト教徒が主君よりも神の教えに従うという教えは、封建社会の秩序を乱す可能性がありました。
2. 植民地化の懸念……スペインやポルトガルがキリスト教布教を通じて日本を植民地化しようとしているのではないかという疑念がありました。
3. 国内の統制……キリスト教徒が強く団結し、幕府に対して抵抗することを恐れたためです。
4. 経済的な利権……キリスト教に関連する貿易や利権が絡んでおり、これが幕府の統治に影響を与えることを懸念しました。
これらの理由から、徳川幕府はキリスト教を禁止し、厳しい弾圧を行いました。
「1」がポイントですね。
若くして亡くなったこともありますが、彼を神格化する傾向もあったそうですから、いうなれば「天草四郎教」的な潮流ができてしまうと、それが倒幕につながるのではないかという不安があったのかもしれません。
しかし、信仰は内心の自由ですから、やはり弾圧は否定されるべきことです。
仏教も、浄土真宗が一向一揆を行っていますが、仏教は神道や土着宗教との習合で日本文化に浸透していたので、徳川家康は弾圧ではなく、懐柔と分断で対応。
浄土真宗は本願寺派と大谷派に別れてしまいましたが、一方で檀家制度を制定して、寺に役所の出張所のような役割を任せるなど、仏教を上手に使いました。
それにしても、やはり「命あっての物種」といいますか、宗教というのは「いかに生きるか」を問うものだと思うので、そのために命まで賭けてしまうのは、私には真似できないことだなと思いました。
法門に帰依された方や、洗礼を受けた方など、信仰のあつい方もおられると思いますが、天草四郎らの生き方は、いかが思われますか。