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孤独が人生を豊かにする(中谷彰宏著、あさ出版)は、孤独についてどう考えるべきか、どうあるべきかを著者が論考しています

孤独が人生を豊かにする(中谷彰宏著、あさ出版)は、孤独についてどう考えるべきか、どうあるべきかを著者が論考しています

孤独が人生を豊かにする(中谷彰宏著、あさ出版)は、孤独についてどう考えるべきか、どうあるべきかを著者が論考しています。「孤独が、寂しい人」「孤独を、楽しみたい人」「孤独な人を、応援したい人」に向けて書いた書籍だそうです。

みなさんは、「孤独」という言葉に、どんなイメージを抱かれますか。

現代は、他者承認の文化が生まれたことで、「孤独」イコール「気の毒な人」という、まわりからの勝手なキメツケがある、と本書で著者は指摘しています。

しかし、本来の孤独とは、「お坊さんが修行するような、勉強にも似た、ぜいたくな時間」だといいます。

本書では、多くの読者に様々な気づきを与えてきた著者が、【孤独が人生を豊かにする61の方法】について紹介します。

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一流の孤独と二流の孤独


本書によると、孤独には、一流の孤独と二流の孤独という2種類があるといいます。

一流の孤独は成長を促し、人生を豊かにするそうです。

そして、一流の孤独は孤独感をバネにして前進する力になるといいます。

二流の孤独なら、一流の孤独に変えていけば良い、といいます。

人間は、孤独な状況で、社会に揉まれることが通過儀礼だといいます。

たとえば、まわりの仲間が勉強していない時に、ひとり勉強していたら、「今のグループ」からは浮いてしまいます。

向上心のない奴らに、嫉妬や陰口のひとつも言われるかもしれません。

しかし、「今のグループ」から「上のグループ」に移るには、それは避けられない「孤独の状態」です。

成長することは、「今のグループ」と別れる悲しみを伴います。

つまり、成長には必ず孤独が伴う、と著者は言います。

孤独を恐れる人は、「孤独自体がしんどいのではないか」と思っているから。

孤独そのものではなく、孤独になって寂しがることがしんどいわけで、ならば孤独になっても寂しがらなければいい、と著者は言います。

著者は、自分の父親を例に挙げます。

著者の父親は、本が好きで、ふだんからよく勉強しているそうです。

自分が勉強したことは、その面白さをみんなと分かち合いたくなります。

ところが、父親はいつも「話し相手がいない」と言っていました。

まわりの人間は本を読まないので、語り合えないそうです。同じレベルで価値を共有できないそうです。

その孤独を乗り越える方法は、レベルを下げて周囲に合わせることではなく、自分の前を走り、行くべき方向を示してくれる「先生を持つこと」だそうです。

お笑い芸人も、最初は売れない。

やがて、「客のニーズ」を掴み、売れ始める。

しかし、そこから自分の理想を大事にする芸人は、またファンの数が減ってくる、といいます。

それは悪いことではない。

著者いわく、勉強すればするほど友達は減っていく。

そのかわり、先生との付き合いが一生続きます。

先生を持って自分のレベルアップを楽しむ人が一流の孤独で、先生を持たず、「寂しい」と思い迷走している人が二流の孤独だといいます。

「過去」に執着しない

一流の孤独は、別れが怖くありませんが、二流の孤独は別れが怖いともいいます。

去る人を追いかけるから、孤独がもっと辛いことになるのです。

「去る者は追わず、来る者は拒まず」という形にすることが大切だといいます。

著者いわく、「1人去ったら、必ずまた新しい人が1人あらわれる」といいます。

ここだけは、私は懐疑的なんですけどね。そんな単純なものかなと。

要するに、これまでの人との別れは、著者に言わせれば自分が変わったということであり、それはまた新しい自分に合う人との出会いのチャンスである、ということのようです。

……とまあ、著者は何を言っているかというと、「バカの友達をたくさんつくるぐらいなら、孤独を恐れず自己実現を目指したほうがいいよ」という、身も蓋もない話です。

「自分はこんな人になりたい」「こんな生き方をシたい」という目的をもったら、そこに進むことが本当の自己実現である、ということだと思います。

少なくとも言えることは、「友達」なるものの「数」でその人の値打ちや心の充足度が決まるわけでもない、自分がランクアップする状態として孤独を前向きに受け入れよう、ということです。

本書に出てきた「先生」というのは、必ずしも実在の相手と合意のある師弟関係ではなく、自分自身が心のなかで一方的に決めたメンターでよいのだと思います。

場合によっては、小説の登場人物などでもいいのではないでしょうか。

「孤独」を悪い概念ととらえない世の中でありたい

著名人、一般人を問わず、昨今は訃報で、「孤独死」という報じ方がよくされます。

誰にも看取られず、亡くなってもすぐに発見されない「惨めな最期」というニュアンスを感じます。

福祉の貧困によって、不本意に孤独なまま亡くなってしまう場合もありますが、だったらなおさら失礼ではないかと思います。

本書に倣っていうなら、「孤独死」の中には、本人が「一人静かに人生を終える」ことを望んだ結果かもしれないじゃないか、と私は思うのです。

亡くなってからまで、ネガティブなニュアンスによる「孤独」という言葉で追い詰めるのはやめてほしいと思いますね。

孤独死って、全面的に否定しなければならないことでしょうか。

孤独死で遺体発見が遅れると、清掃が大変になりますけど、いちいち、キトクだ、お通夜だ、葬式だ、ハチノアタマだといって、そのたんびに親類を呼びつけるのも、私は申し訳ないような気がしますけどね。

呼びつけられる方だって大変でしょう。

人間いつかはシぬんだし、大げさだなと思いませんか。

たとえば、死期を悟ったら、静かに行方をくらまし、洞窟あたりで最期を迎える。

マスコミも、いちいちそれをセンセーショナルに報じない。

そういう人生の終わり方がめずらしくなくなったら、「孤独死」なんていう概念自体がなくなっていいんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。極論かな。

以上、孤独が人生を豊かにする(中谷彰宏著、あさ出版)は、孤独についてどう考えるべきか、どうあるべきかを著者が論考しています、でした。


孤独が人生を豊かにする – 中谷彰宏

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