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学研まんが NEW日本の伝記3 徳川家康 江戸幕府を開いた将軍(イラスト/もとむらえり、編集/田代脩)のKindle版をご紹介します

学研まんが NEW日本の伝記3 徳川家康 江戸幕府を開いた将軍(イラスト/もとむらえり、編集/田代脩)のKindle版をご紹介します

学研まんが NEW日本の伝記3 徳川家康 江戸幕府を開いた将軍(イラスト/もとむらえり、編集/田代脩)のKindle版をご紹介します。幼少より人質生活を送りながら、耐えに耐え、ついに江戸に幕府を開き「江戸時代」という歴史を作った初代将軍・徳川家康の話です。

NEW日本の伝記シリーズ全16巻のうちの第3巻です。

これまで、第1巻の織田信長、

学研まんが NEW日本の伝記1 織田信長 天下統一をめざした武将(イラスト/山田圭子、編集/田代脩)は、歴史漫画全16巻の第1巻目
学研まんが NEW日本の伝記1 織田信長 天下統一をめざした武将(イラスト/山田圭子、編集/田代脩)は、歴史漫画全16巻の第1巻目です。織田信長の青年時代からその生涯を描いています。仏教の側から見ると、比叡山の焼き討ちや浄土真宗の分裂などを起こした人物です。

第2巻の豊臣秀吉をご紹介しました。

学研まんが NEW日本の伝記2 豊臣秀吉 天下統一を完成させた武将(イラスト/楠田夏子、編集/田代脩)のKindle版をご紹介します
学研まんが NEW日本の伝記2 豊臣秀吉 天下統一を完成させた武将(イラスト/楠田夏子、編集/田代脩)のKindle版をご紹介します。摂政や関白を経験した太閤であり、戦国時代に初めて天下を統一した経過と、晩年の意外な寂しさなどを描いた居ます。

今回は、江戸に幕府を開いた徳川家康(1543年~1616年)の話です。

徳川家康は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、江戸幕府の初代将軍となりました。

前回ご紹介した豊臣秀吉は、織田信長が志半ばで果たせなかった天下統一を果たしました。

徳川家康は、秀吉の命令で「左遷」された当時未開の江戸を栄えさせ、そこに幕府を開いて徳川家による260年に渡る武家政権を樹立しました。

本書は、多くの困難や戦いを乗り越えて天下統一を果たした壮大な物語です。

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苦労と辛抱が開花した人生

徳川家康は、三河国額田郡岡崎城主・松平広忠の嫡男として生まれます。幼名は竹千代。

つまり、最初の名前は松平竹千代だったわけです。

松平広忠が小大名だった政治的事情から、幼くして今川義元への人質として駿府に送られ、さらに途中で織田信秀(織田信長の父)に拘留され、2年後に再び今川義元にに引き渡されるなど苦労します。

ただ、織田信秀に拘留された際、織田信長と出会い、「自分の人生を決めるのは自分だ」と教えられ、前向きに将来を考えるようになります。

1560年に桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗シすると、三河国に帰り松平家康と改名します。

1562年、織田信長と同盟を結び、以後、信長に協力して周辺の大名と戦います。そして「徳川」に改姓。

1573年には、気負って三方ヶ原の戦いをしかけて武田信玄に大敗したことで、耐えることを覚えます。

1582年に本能寺の変で織田信長が死去すると、天正壬午の乱で織田信孝(織田信長の三男)と戦い、甲斐・信濃の国を手に入れます。

1584年には、小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉と対立するも、このときは勝てないと計算して和睦。「天下は巡るものだから、今は秀吉に預けておけば良い」と考え、臣従します。

1590年には、小田原征伐に参加して北条氏を滅ぼしますが、秀吉は家康を現在の首都圏などにあたる関東八州の主に「左遷」します。つまり、秀吉は家康を脅威に感じたわけです。

当時の武蔵国江戸は未開の地でしたが、家康は海を埋め立て田畑を切り開き商人を呼ぶなどして、江戸の町を作り上げました。

そのうち、秀吉は朝鮮出兵を失敗して力を失い、自身も寿命がつきます。

家康は1600年に関ヶ原の戦いで石田三成ら西軍を破り、天下をほぼ統一しました。

その後、朝廷から任命される武人の最高の栄誉・征夷大将軍に任命されて江戸幕府を開き、江戸を日本の中心地にしました。

唯一、残っていた大阪は、1614~1615年にかけての大坂の陣で、豊臣家の残党を滅ぼし完全に統一しました。

全国の大名に対しては、武家諸法度や、朝廷と大名の密着を防ぐ禁中並公家諸法度などを制定し、統制を図りました。

また、参勤交代という制度も課し、江戸と領地の往復をさせて、その財力と移動を制限しました。

それらによって、幕府の絶対的権力を前提とする幕藩体制を確立しました。

日本初の貨幣制度統一や外交政策など、様々な改革を行いました。

三者三様

徳川家康の最期は75歳。

天ぷらにあたった、いやもともと胃がんだったなどといわれています。

また、自分の子孫には、自分の遺言を厳守するように命じました。

その遺言には、自分のシ後に神になることや、自分の墓を開かないことなどが書かれていました。

人を神として祀る人神という信仰形態は、無念のなくなり方をシた人の祟りを心配して、それを鎮めるために祀る場合と、人徳や生前の業績をたたえて祀る場合があります。

徳川家康は、朝廷から「東照大権現」の神号を授かり、日光東照宮に祀られています。


織田信長も「建勲神」、豊臣秀吉も「豊国大明神」という人神になったので、自分もなりたかったんでしょうね。

江戸時代後期の随筆集『甲子夜話』に収録されている、3人の性格や政治手法を表した「ホトトギス」の寓話は有名です。

3人はホトトギスの鳴き声を聞きたいと思いましたが、ホトトギスは鳴きませんでした。

そこで、信長は「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」と言って、ホトトギスを射サツしました。信長は強引で残忍な人物であり、自分の思い通りにならないものは容赦なく排除しました。

秀吉は、「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」と言って、ホトトギスに餌を与えたり、鳥かごに入れたりしました。秀吉は巧みで慈悲深い人物であり、自分の思い通りにならないものは誘惑や利益で操ろうとしました。

家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」と言って、ホトトギスを放してやりました。小さい頃から玄人忍耐を経験した家康は、自分の思い通りにならないものは見守ったり、時には譲歩したりしました。

私は、「該当」というより「願望」として、家康タイプです。家康を選びたいです。

みなさんは、どのタイプですか。

以上、学研まんが NEW日本の伝記3 徳川家康 江戸幕府を開いた将軍(イラスト/もとむらえり、編集/田代脩)のKindle版をご紹介します。でした。


学研まんが NEW日本の伝記3 徳川家康 江戸幕府を開いた将軍 – もとむらえり, 田代 脩

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