安藤百福など『まんがでわかる日本の偉人伝総集編』(よだひでき、ブティック社)は、日本の偉人たち58人の功績やエピソードをまんがでまとめました。安藤百福は、日清食品の創業者であり、インスタントラーメンの発明者として広く知られています。(文中敬称略)
本書『まんがでわかる日本の偉人伝総集編』(よだひでき、ブティック社)は、人の為に尽くした人、リーダーとして活躍した人、すぐれた発明や作品を残した人など、日本の偉人たちの人生とエピソードを1冊に凝縮しています。
これまで、杉原千畝や、北里柴三郎、吉田松陰などをご紹介しました。
今回は、安藤百福(あんどう ももふく、1910年〈明治43年〉3月5日 – 2007年〈平成19年〉1月5日)です。
日清食品創業者。インスタントラーメン「チキンラーメン」、カップ麺「カップヌードル」の開発者として知られています。
テレビドラマでも何度もとりあげられていますね。
人間にとっていちばん大事なことは食べること
安藤百福は、日本統治時代の台湾出身で、出生名は呉百福(ごひゃくふく、ゴー・ペクホク)。
台湾本島人であるため、戦後は台湾光復に伴っていったん中華民国籍になり、1966年(昭和41年)に日本国籍を再取得(帰化)しました。
実家の父は資産家でしたが、両親を幼少期に亡くし、繊維問屋を経営する祖父・呉武のもと、台南市で育ちました。
幼い頃から数字に異常なほど強い興味を持ち、足し算・引き算・掛け算を習得。商売にも強い関心をいだいていたといいます。
しかし、一番好きだったのは料理。
中学生の頃は、兄妹の弁当を作り、家庭の主婦も顔負けの仕事をこなしていたそうです。
そういう性分なので、就職した図書館の学芸員を「自分には合っていない」と感じ、22歳で起業(メリヤスの会社)し、日本進出を試みます。
蚕糸とヒマシ油販売や、幻灯機製造など、持ち前の好奇心で事業を拡大したそうですが、その頃戦争が終わります。
戦後のドサクサで、何をしたらいいかと考えた安藤百福は、「人間にとっていちばん大事なことは食べることだ。戦争で何もかも失くした人々は、みんなお腹いっぱい食べたいと思っている」ことに気づき、戦後は事業を「食」に絞ることにしました。
そこでまた事業を発展させ、資産家になり、信用組合の理事長にまでなっていましたが、47歳の時、その信用組合が破綻。
なんと、安藤百福は、無一文になってしまいました。
しかし、「失ったのはお金だけだ」と気を取り直し、再起を誓います。
安藤百福は、「戦後のドサクサ」のとき、焼け野原でラーメンの屋台に、人々が列をなしていたことを思い出し、「家庭ですぐに食べられるラーメン」作りを始めます。
1年間、不眠不休で取り組みますが、麺の乾燥のさせ方がわかりません。
そのとき、妻が天ぷらを揚げているのを見て、麺を油であげる方法を開発しました。
1958年にリリースされたチキンラーメンは、世界で初めてのインスタントラーメンでした。
販路を広げようと、アメリカでプレゼンを行いましたが、アメリカ人は、箸や丼を使いません。
商談の相手は、紙コップに麺を入れてフォークで試食しました。
そこで思いついたのが、カップヌードルでした。
カップヌードルは、世界中に広まりました。
あさま山荘事件では現場の機動隊員たちに配給され、阪神大震災ではお湯を配給できる「チキンラーメン号」を走らせました。
その後も、宇宙食の開発など数々の業績を残しました。
「ひらめき」にはいつもそのことを真剣に考えていること
1971年9月18日、日清食品が「カップヌードル」を発売しました。
チキンラーメンの開発者である安藤百福がアメリカにも売り込みますが、箸と丼が身近になく売れませんでした。
アメリカ人が袋麺を紙コップに入れ、フォークで食べていたのを見て現在のカップ麺が開発されました。 pic.twitter.com/2dg75o9lUK— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) September 17, 2024
安藤百福の成功のきっかけは、一貫して、ありふれた経験からの「ひらめき」にあります。
戦後何年もたって、チラ見した屋台の行列からインスタントラーメンを思いつき、天ぷらを揚げるところからチキンラーメンを、紙コップで食べるところからカップヌードルを開発しています。
それが、天賦の才なのかどうかはわかりません。
ただ、いつもそのことだけを集中して考えていると、ありふれた経験がヒントになることはあると思います。
アルキメデスが、浴槽に入ったときに、水の中で体が軽くなることに気づき、それが浮力が物体の体積に比例するという「アルキメデスの原理」につながったように。
あるひとつのことを深く考え込んだり、いやなことを忘れずに覚えていたりすることは、よくないことのように言われることがありますが、ことと次第によるでしょう。
執念深いことは、ネガティブに評価されがちですが、逆にあることをずっと考えていられるというのは、そこからの解決方法を、日常の思わぬシーンで見いだせる可能性もあるわけです。
嫌だからと言って、ただ忘れるだけだったら、そこからは何も得られず進歩もありません。
もちろん、それが全てではなく、そういう考え方もある、ということですけど。
みなさんは、「考える」派ですか。「忘れよう」派ですか。