まんがでわかる日本の偉人伝総集編(よだひでき著、ブティック社)は、宮沢賢治など日本の歴史に名を残す58人の生涯と功績を漫画化した書籍です。人の為に尽くした人、リーダーとして活躍した人、すぐれた発明や作品を残した人など、日本の偉人たちの感動のエピソードを1冊に凝縮しています。(文中敬称略)
本書は、よだひできさんが過去に上梓した、偉人伝シリーズを1冊にまとめた書籍です。
よだひできさんは、国内外の偉人の生涯と功績を漫画化した書籍をほかにも上梓していますが、本書「総集編」として、その中の日本人58人を改めて1冊にまとめています。
さて、今回はその58人の中で、これまでにも何度か作品をご紹介した宮沢賢治(1896年8月27日~1933年9月21日)をご紹介します。
宮沢賢治は、詩人、童話作家、農業指導者として知られています。
作品は、自然、宗教、科学、そして人間の感情を深く探求しています。
Copilotに功績をまとめてもらいました。
生涯
宮沢賢治は岩手県花巻市に生まれました。盛岡高等農林学校を卒業後、花巻農学校で教諭として働きました。彼は法華経に深く影響を受け、宗教的なテーマを多くの作品に取り入れました。1926年には農民の生活向上を目指して羅須地人協会を設立し、農業指導を行いましたが、無理がたたり肺結核が悪化し、1933年に37歳の若さで亡くなりました。
代表作
宮沢賢治の代表作には以下のようなものがあります:
1. 銀河鉄道の夜:貧しく孤独な少年ジョバンニが、親友カムパネルラと銀河鉄道に乗って夜空の旅をする物語です。幻想的な描写と深い哲学的なテーマが特徴です。
2. 風の又三郎:風の神ではないかと言われる転校生、高田三郎の物語。子供たちの複雑な心理描写が魅力です。
3. 注文の多い料理店:狩猟に来た紳士二人が迷い込んだ料理店での奇妙な体験を描いた童話。ミステリーとサスペンスの要素が強い作品です?。
4. よだかの星:姿が醜いせいで周囲から嫌われていた鳥「よだか」の物語。倫理的な問題を童話の形で描いています。
5. スコーブドリの伝記:架空の都市イーハトーブを舞台に、主人公ブドリの生涯を描いた伝記物語です。
1~4までは、すでにご紹介済みですね。
宮沢賢治の作品は、現在も多くの読者に愛され続けており、彼の独自の世界観と深い人間理解が多くの人々に感動を与えています。
「仏伝」ならぬ「賢治伝」
宮沢賢治は、お金持ちの質屋の長男として生まれました。
気候に恵まれない東北地方は、凶作の年もあり、弁当ももってこれない子供がたくさんいました。
親が商売をシていて豊かだった宮沢賢治は、申し訳無さそうに弁当を食べながら、「おとなになったらお百姓のためにはたらきたい」と思いました。これは、本当にそうなりました。
いたずらをした罰に、水の入った茶碗を持たされて、長い間廊下に立たされている子がいると、宮沢賢治はその水を飲んで茶碗を軽くしてあげました。
仏伝に出てきそうな話ですが、こういう「慈悲」が正しいかどうかはわかりません。ただ、宮沢賢治は、他人様の苦しみや悲しみを見ていられない性分だったという事です。
赤いシャツを着て、からかわれている子がいると、「僕も、明日から赤いシャツを着てくるから、大いにからかってくれ」と、いじめられ役を引き受けました。
「仏伝」と書きましたが、ウィキには、宮沢賢治の実家が、賢治没後に、賢治を聖人化するエピソードを創作したとも書かれててます。
ただ、賢治が仏門への帰依を隠さないことを考えると、私には全く根も葉もない話とも思えません。
中学の成績はあまりよくありませんでした。他の生徒は大学に行くのに、どうせ自分は質屋を継ぐのだろうと思っていたからです。
しかし、質屋の仕事をすると、貧しい人には質草もとらずに金を出してしまうので、父親が「お前は商売は向いていない。学校に入り直せ」といい、賢治はそこから猛勉強して、盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)に入りました。
学校では土壌学を学び、卒業後は研究生として、地域の土壌改良の手伝いを無償で行いました。
宮沢家は浄土真宗でしたが、賢治は法華経の信者となり、意見が合わずに25歳の時に家を飛び出して上京。
日蓮宗の国柱会で宗教活動を始めました。
前述の代表作は、その頃に書いたものです。
女学校の教師になっていた妹が病気になったことをきっかけに、岩手に帰り、花巻農学校の教師になりました。
この教師生活の中でも、詩や童話を書きました。
妹は1922年に24歳で病死すると、賢治は学校を退職し、農民に農業の指導を行なうようになりました。
賢治自身も37歳で早逝。
作品は生前、2冊しか上梓されていませんでしたが、没後、それまで書き溜められていた作品が次々発表されました。
有名な「雨ニモマケズ」の詩も、そのひとつです。
宮沢賢治の「信仰」の正体は……
父親が浄土真宗の信徒で、賢治が日蓮宗に熱中し、父子の話が合わずに家を出たことになっていますが、作品を見る限り、宮沢賢治の世界観は、もう少し複雑なのではないかと私は思っています。
なぜなら、『虔十公園林』は確かに法華経の菩薩をモデルにしていますが、『よだかの星』は、阿弥陀仏に他力本願する「一念往生」のシーンがクライマックスで描かれていて、『ひかりの素足』では、如来寿量品16(法華経)という言葉は出てきますが、一方で阿弥陀仏がいるとされる西方浄土の様子も描かれています。
つまり、宮沢賢治の作品は、浄土真宗と日蓮宗がごっちゃまぜに入っているのです。
それだけでなく、法華経信仰に入った頃から肉食をやめたそうですが、以前書いたように、仏教にそのような教えはありません。
農業や土壌研究、岩手山の登山が好きだということなどから考えても、私が思うに、おそらく宮沢賢治の世界観の「正体」は、アミニズム信仰、つまり、人間の霊魂と同じようなものが広く自然界にも存在するという考えがあり、その「不思議な世界」を知るための入口として、仏教を捉えていたのではないかと思います。
ただし、釈迦仏教も浄土真宗も「霊魂」の存在は認めていません。
そこで、お経という「書き物」自体にパワー(つまり生命力)が有るとする法華経に、アミニズムとの親和性を感じて、日蓮宗にも興味を持ったのではないかと思うのです。
アミ二ズム信仰というのは、どんなものにも命が宿るという考え方ですから、パソコンとかスマホとか、「物」を「この子」と表現することが、実はアミ二ズム信仰の第一歩なんですよ。
宮沢賢治作品、印象に残るものはありますか。