『審判は見た!』(織田淳太郎著、新潮社)は、メディアでは取り上げられていないプロ野球審判が経験したトラブルやエピソードが明かされています。プロ野球を陰で支えている審判の苦労、ときにはユーモラスな裏話が満載で、審判の苦労がよく伝わってきます
本書の内容
『審判は見た!』(織田淳太郎著、新潮社)という本を読みました。
プロ野球の判定を巡るトラブルで、メディアはユニフォーム組の言い分を伝え、審判の言い分は詳しくとりあげられず、また審判自身も最低限必要なことしか述べません。
そんな審判の、知られざる駆け引きや、命がけの行動などがまとめられています。
球場やテレビで野球観戦をしていて、ジャッジを巡るトラブルが生じた時、どんなふうに思われますか。
激昂する監督や選手の表情が、画面いっぱいにうつります。
ひいきのチームだったら、その「表情」に感情移入してしまうかもしれませんね。
でも、考えてみると、どんな「名監督」といわれた人でも、勝率十割はいません。
打者だって3割で一流。
投手も失投はあります。
守備率は、名手ほどパーフェクトはありません。
なのに、審判だけに完全が求められ、監督や選手から一方的に暴力や暴言を受ける。
全く間尺に合わない仕事だなあと思いませんか。
本書『審判は見た!』では、著者が、いろいろな審判や選手、監督らから話を聞き、審判の話をルポとしてまとめています。
書籍のコピーには、緊迫のクロスプレーで宙を舞ったカツラ、トイレ行きたさに「ゲームセット」、激怒する観客の包囲網からの脱出劇、果ては監督・オーナーとの駆け引き……、といった事が書かれています。
血の気の多い広島のファンもアンタッチャブルだったのは……
本書はたくさんのエピソードが書かれており、詳細はご覧いただくとして、一部ご紹介します。
たとえば第1章では、ある試合でジャッジの変更したため広島球場が殺気だち、審判団が本気で生命の心配をしてあれこれ逃げる方策を考えた様子が、仮名や名無しではなく実名入りで、事細かに書かれています。
今はだいぶ変わったかもしれませんが、少なくとも川上巨人のV9当時は、とくに広島市民球場のヤジは強烈で、ラジオごしに聴いていても雰囲気が伝わり怖くなる時がありました。
当時の審判団は、広島で使うタクシーの会社が決まっていたそうです。
なぜなら、その会社以外のタクシーに乗ると、血の気の多いファンにタクシーをボコボコにされてしまうからだそうです。
では、なぜ「その会社」だけはボコボコにされなかったのか。
それは、その会社の社長が、山口組組長の舎弟であり中国支部・打越会の会長だったからです。
打越会が『仁義なき戦い 広島代理戦争』の一方の組であるとともに、
打越会長は今も語り草となっている樽募金など、チームのために貢献した人だったので、血の気の多いファンも打越会長の会社だけは狙わなかったのです。
審判を「食わせてやっている」と思い込んでいるユニフォーム組
元阪急・日本ハム監督の上田利治氏は、「人間なんだから間違うことはある。だけど君らは間違ってはいかんのだよ」と審判に言ったといいます。
それはすなわち、審判は人間以下なのか、と審判は落胆しています。
人間以下と見ているかどうかはわかりませんが、少なくとも自分たちがいてこそ審判の生活も成り立っている、という思いがあることは間違いないようです。
気に入らない審判を解雇するよう、コミッショナー事務局に圧力をかける監督もいるそうです。
しかし、その監督もファンあっての存在であり、また審判なしでは試合は成り立たないのです。
ファンにとっては本来、観戦する試合に金を払っているのであり、ユニフォーム組も、審判も、試合に欠かせない大切な人たちという意味では同じなのです。
審判は石ころ、なんて言われることもありますが、同書は審判は良くも悪くも人間であることがわかります。
審判の最高年俸は1800万円、1試合で1週間は寿命が縮む、皆が嫌がった野茂のジャッジ、有力選手に判定が影響を受けることもある「Oボール」「Nボール」など、興味深い話もいろいろ書かれています。
審判も“プレーヤー”である
私は、同書に記載されている江夏豊氏のコメントが至言だと思いました。
以前、審判の不要論が出たことがあったやろう。コンピュータに判定させようというわけやけど、コンピュータなんて、俺は大反対だね。野球そのものが味気ないものになる。野球というのは、人間がやっているから面白いんや。ミスジャッジもあるかもしれない。選手とのトラブルだって派生してくるだろう。だからこそドラマや感動というものが生まれてくるんや。
審判は、ユニフォーム組とは別のステージで試合を裁いているのではなく、ユニフォーム組と同じで、一緒に試合を構成している「プレーヤー」だというわけです。
すなわち、誤審はエラーや失投などと同じで、プレーのうちなのです。
一流と言われる選手は、「ヒューマンエラー」はあるものだと認識し、むしろそれを利用したり操ったりすることで、自分のプレーや試合の盛り上げに還元する、と江夏豊氏は言いたいのでしょう。
私は、今の選手や監督にこうした認識があれば、審判を不当に扱うようなことはないのに、と思いました。
プロ野球ペナントレースはいよいよ佳境に入りますが、これからは、そのような視点で審判にも注目するとより面白く観戦できるかもしれません。
以上、『審判は見た!』はプロ野球を陰で支えている審判の苦労、ときにはユーモラスな裏話が満載で、審判の苦労がよく伝わってきます、でした。