サイトアイコン 市井の話題書厳選

岡本太郎などの功績を収載した『夢と希望を与える 日本の偉人ものがたり22話』(PHP研究所)は生きざまや哲学などを紹介

岡本太郎などの功績を収載した『夢と希望を与える 日本の偉人ものがたり22話』(PHP研究所)は生きざまや哲学などを紹介

岡本太郎などの功績をまとめた『夢と希望を与える 日本の偉人ものがたり22話』(PHP研究所)は、歴史に名を残す人々22名の生きざまと功績を、全128頁にまとめています。今回は漫画ではありませんが、大きな字でわかりやすくまとめられています。(本文中敬称略)

『夢と希望を与える 日本の偉人ものがたり22話』(PHP研究所)は、歴史に名を残す日本の偉人たちの功績や人柄を、4ページずつの短い文章で紹介しています。

各エピソードにはイラストが多く使われており、漢字にはすべてふりがなが付けられているため、子どもでも読みやすい構成になっています。

野口英世、津田梅子、沢村栄治、人見絹枝、福沢諭吉、伊能忠敬、植村直己、黒澤明、本田宗一郎、坂本竜馬、湯川秀樹、平賀源内、市川房枝、岡本太郎、与謝野晶子、杉原千畝、佐藤栄作、沢田美喜、宮沢賢治、良寛、荻原タケ、手塚治虫などが紹介されています。

今回は、この中から、「だれにもまねできない作品をつくりつづけた芸術家」である岡本太郎(おかもと たろう、1911年〈明治44年〉2月26日~1996年〈平成8年〉1月7日)をご紹介します。

スポンサーリンク

「芸術は爆発だ」の意味


岡本太郎は、神奈川県橘樹郡高津村大字二子(現在の川崎市高津区二子)で、漫画家の岡本一平、歌人で小説家・かの子との間に長男として生まれました。

父方の祖父は町書家の岡本可亭であり、当時可亭に師事していた北大路魯山人とは、家族ぐるみの付き合いがあったといいます。

太郎は慶応幼稚舎を卒業していますが、それまで小学校だけで3回転校しています。

転居したからではなく、先生に馴染めなかったのです。

「あれしなさい」「これしなさい」と言われることが苦手だったそうです。

それで転校することを許す両親は……私は素晴らしいと思います。

子供なりに事情や言い分があるわけで、合わないものは仕方ないし、そこで「耐えろ」とやっちゃうと不登校になりますからね。逆に先生にねじ込んだら、モンスターなんとかですしね。

18歳のときに、父親がイギリスにいくというのでついていったところ、立ち寄ったフランスがすっかり気に入ってしまいました。

「僕は子供の頃から変わり者と言われてきたけど、この街は僕を受け入れ自由に何でも表現できる」

太郎は1人でパリに残ることにし、日本の大学をやめ、パリの大学に入ることにしました。

中でもピカソの絵に感銘を受けたそうです。

「こんな芸術があるのか。僕も、もっといろいろなものを作りたい」

その後、戦争があり、帰国して兵隊に行ったり実家が焼けてしまったりといろいろありましたが、35歳になって、太郎は芸術に対する独特の哲学として、ひとつの結論にたどり着きます。

「芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」

芸術は技術的に完璧である必要はない。技術の巧拙よりも、表現したい感情やメッセージが重要ということです。
また、美しさや見た目の良さにとらわれるべきではない。芸術は時に醜く、不快であっても、その中に真実や深い意味が含まれていることがあるということです。

そして、観る者に快適さや安心感を与えるだけではなく、挑発し、考えさせ、感情を揺さぶるものであるべきだということです。芸術は人々に新しい視点や感覚を提供するものであるべきだと考えています。


このように、岡本太郎は、芸術が人々の心を揺さぶり、深い感動や思索を引き起こすものであるべきだという信念があり、それが「芸術は爆発だ」という名言につながっているわけです。

東海道かわさき宿交流館


岡本太郎の出身地である神奈川県川崎は、東海道五十三次の、品川宿に続く2つ目の宿です。

川崎市川崎区には、東海道かわさき宿交流館といって、その記念館があります。

京急線京急川崎を下車して砂子通り方面に歩き、旧東海道の碑がたっている十字路を左に曲がり、

3分ぐらい歩いたところにあります。

つまり、旧東海道に面したところにあるわけです。

中に入ると、2階と3階は展示室と案内され、階段をのぼりました。

一段ごとに五十三次の場所が表示されています。起点の日本橋から品川、川崎、神奈川……と53の宿が続き、

終点は京都の京街道と結ぶ三条大橋です。

2階にある江戸時代の川崎宿模型、当時の旅の道具、映像を使った川崎宿の説明など展示物については、係の人の確認をとっていないので撮影していません。

ただ、「六郷の渡し」の記念撮影スポットが用意されていたので、ここだけは撮りました。

3階は、江戸から現代までの間に川崎がどう発展してきたか、という展示と、川崎ゆかりの人びとの業績をパネルで紹介しています。

宿の場所や県境などを、それぞれ引き戸や引き出しを使って立体的に「分解」された展示になっており、わかりやすいと思いました。

川崎ゆかりの有名人は9枚のパネルで展示しています。

小泉次大夫、松尾芭蕉、田中休愚、池上幸豊、浅野総一郎、石井泰助、佐藤惣之助、坂本九を単独で紹介。

そして、最後のパネルで「その他の川崎ゆかりの人物」として数名が紹介され、その中に岡本太郎が入っています。


東京銀座・数寄屋橋公園の岡本太郎による像

歴史上の偉人や財界人の中に、一人だけ芸能人として坂本九を「川崎が生んだ世界的スター」と紹介しているのはいいのですが、それなら岡本太郎ももっと大きく扱うべきではないのかな、と思いました。

余談ですが、川崎には、「世界の坂本九」だけでなく、「“1週間のご無沙汰でした”の玉置宏」もいるんですが、一切触れられていません。それも画竜点睛を欠きました。

かつての地元球団、大洋ホエールズファンとしてもずいぶん貢献しているのですが。


市の担当者たちは、『ロッテ歌のアルバム』も『象印スターものまね大合戦』も知らない世代なのでしょうか。

東海道かわさき宿交流館は、駅(京急川崎)から歩いて5分程度で到着するところであることがわかります。

ご覧になれば、川崎が京浜工業地帯の中核としてだけでなく、歴史ある町であることを確認できると思います。

岡本太郎さん、覚えておられますか。


夢と希望を与える 日本の偉人ものがたり22話 – PHP研究所

モバイルバージョンを終了