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岡村喜史『日本史のなかの親鸞聖人』(本願寺出版社)は、浄土真宗の開祖である親鸞について伝承と史実から読み解く親鸞伝

岡村喜史『日本史のなかの親鸞聖人』(本願寺出版社)は、浄土真宗の開祖である親鸞について伝承と史実から読み解く親鸞伝

岡村喜史『日本史のなかの親鸞聖人』(本願寺出版社)は、浄土真宗の開祖である親鸞について伝承と史実から読み解く親鸞伝です。日本で最も信徒の多い仏教宗派の開祖でありながら、近代に至るまで歴史の表舞台には登場しなかった親鸞の生き様と功績を解説しています。

浄土真宗というのは、浄土三部経というインドや中国発祥の経を典拠としながらも、親鸞独自の解釈によって立教開宗された「ジャパニーズ仏教」です。

ローカルではありますが、日本ではもっとも信徒が多い代表的な宗派です。

南無阿弥陀仏、という言葉は、仏教に詳しくなくても聞いたことがあるでしょう。

浄土宗や浄土真宗が唱える念仏です。

「南無阿弥陀仏」は、文字通り「阿弥陀仏に帰依します」という意味を持ちます。

この念仏は、お釈迦様のように悟りきれない、いくらがんばっても煩悩まみれで欲たかりで嘘と見栄と嫉妬ばかりの凡夫が、自力による悟りをすぱっと諦めて、阿弥陀仏の慈悲にすがり、極楽浄土への往生を願うものです。

ですから、浄土宗や浄土真宗は、信仰色が強いといわざるを得ません。

どうしてそれが、「自己努力で煩悩を捨てておだやかに成仏する」という釈迦仏教の一宗派なのか、と思われるかもしれません。事実そういう疑問はよく聞きます。

これは私の意見ですが、他力本願に帰依するというのは、「自分の業を捨てて成仏する」という意味で、結果的に釈迦仏教の「自己努力で煩悩を捨てて成仏する」ことと同じことだと思っています。

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初の肉食妻帯僧ではない


親鸞(承安3年4月1日 – 弘長2年11月28日)は、皇太后宮大進(皇太后の側近)日野有範の長男として生まれました。幼名は松若磨。

母方の祖父である日野家の日野資業は、藤原氏の一族であり、藤原北家の支流である日野家の出身でしたが、母親は親鸞が小さいときに亡くなったようです。

その頃は平家が優勢で、源氏側の日野家は男児(親鸞)が暗殺されることを危ぶむ状態もあり、9歳のときに比叡山に出家させます。僧名は範宴。

そこで20年修行しますが、僧たちのナマグサの実態、煩悩を捨てきれない自分、などから、結局比叡山を降りることにしました。

その後、聖徳太子の建立とされる六角堂に参籠していましたが、そこで夢告があったそうで、東山吉水(京都市東山区円山町)にある法然が住していた吉水草庵を訪ねます。

法然といえば、修行ではなく念仏で成仏するという専修念仏を説いて大勢の弟子がいました。

そこで研鑽を積み、法然からも認められるようになります。

しかし、先日の法然の記事でご紹介したように、トラブルから2人は別々のところに流刑され、刑が解かれて法然は京都に帰りましたが間もなくなくなり、親鸞は北関東常陸国笠間郡稲田郷の草庵に移り住み、およそ20年にわたり布教を続けました。

60歳を過ぎて、当時の平均年齢をとっくに超えた親鸞は、京都に帰りましたが、そこからさらに30年近く京都で仏教書の執筆活動を行っており、浄土真宗の教えについて後世に書き残しました。

その間、約30年。30年あれば、いろいろできます。

こうしてみると、やはり物事を成し遂げるのに「時間(寿命)」は大切だなあと思います。

もうひとつ、親鸞は僧としては、初めて肉食妻帯(肉食を許可し、妻帯を認める)を行ったといわれていますが、これは誤解です。

以前も書いたように、そもそもお釈迦様の初期仏教時代から、肉を食べること自体は禁じられていません。

また、日本の仏教は「律」がないので、瀬戸内寂聴のように「不倫何が悪い」と言っても、仏門を追放されない特異な「仏教国」です。

前述のように、「僧たちのナマグサの実態」と書いたのは、比叡山で修行しているはずなのに、実際には子どもを作っている僧もいたのです。

でも、表向きは「独身」

そういう虚偽が、我慢ならなくなった親鸞は、正々堂々と妻帯を公言したに過ぎないのです。

肉食妻帯は、日本の仏教においては比較的早い時期から見られる宗教的・社会的な実践であり、親鸞の浄土真宗以前から存在していました。

浄土宗と浄土真宗の違い


本来、浄土宗も浄土真宗も、阿弥陀如来の他力本願という点では同じです。

ただ、浄土宗は「念仏を称えることで極楽浄土に往生できる」と唱える行為に力点を置き、浄土真宗は「阿弥陀仏の本願によって救われる」と信心に力点を置きます。

法然の弟子にも、いろいろな考え方があり、また法然と親鸞は別れ別れに流刑させられたので、別々に布教せざるを得なかったことも、別宗派になってしまった一因かと思います。

それと、これは浄土真宗に限らないことですが、葬式や法事で行うお坊さんの読経は、亡くなった人に対してではなく、参列した人に対して聞かせるものです。

ですから、普段、「宗教なんて信じないよ」と言ってる人が、そういうときだけお坊さんを呼ぶのは無意味ではないでしょうか。

お盆やクリスマスは、宗教的な行事というより、今や日本の文化になりましたが、読経は明らかな仏教行為ですから、信仰のない人は、無宗教の葬式にされたらいいのにと私は思います。

そういう時の読経は、戒名(法名)料金なども含めて、高額な「お布施」をとられますし、墓石や墓地も、いいものを求めたらいくらお金があっても足りません。そういう「無駄遣い」を、亡くなった人が喜ぶのでしょうか。

そういうお金があったら、残された家族のために有効に使ったり、直接亡くなった人に対するお供え物に使ったりした方がいいのではないでしょうか。

いかが思われますか。


日本史のなかの親鸞聖人 (歴史と信仰のはざまで) – 岡村 喜史

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