『巨人軍の巨人馬場正平』(広尾晃著、イースト・プレス)は、プロレスラー以前の馬場正平の巨人症発症や巨人軍在籍時代について書かれた本です。ジャイアント馬場は自分の背が大きいことを隠したがっていましたが、それは病気によるものだったからでしょう。
ジャイアント馬場が足を広げている理由
このCMをよく御覧ください。
ジャイアント馬場とアントニオ猪木ですが、ジャイアント馬場がアントニオ猪木に比べてより足の幅を広げて立っていることがわかります。
つまり、足の高さをより短く見せているわけです。
にもかかわらず、アントニオ猪木の頭はジャイアント馬場の肩ほどしかありません。
それほどBIには身長差があったわけですが、ここで気にしたいのは、なぜそうやって自分の身長を低く見せようとするのか、ということ。
ジャイアント馬場は、「ジャイアント」を名乗り、「東洋の巨人」などといわれていたぐらいですから、プロレスラーとして高い身長をもっと強調してもいいわけです。
自分よりはるかに背の低いアントニオ猪木とのツーショットなら、なおさらそのチャンスです。
ところが、アントニオ猪木とだけでなく、ジャイアント馬場は常に足を広げて、どこかで自分の身長をより低く見せたい思惑が伺えました。
インタビューや自伝では、「自分は背が高いから目立つのが嫌だったが、プロレスラーとしてはそれが売り物になった」という思いを述べていますが、それでもなお、高身長の自分をどこかで隠したいような気がします。
どうしてでしょうか。
その理由が書かれている書籍が、『巨人軍の巨人馬場正平』(広尾晃著、イースト・プレス)です。
結論から述べると、ジャイアント馬場の高身長は、「脳下垂体腺腫」が発症した巨人症によるものだったからです。
209センチはホルモンの病気だった
プロレスラーとしてのジャイアント馬場については、たくさんの書籍が上梓されていますが、本書『巨人軍の巨人馬場正平』は、それらとはいささか趣の異なる内容です。
プロレスラーとしての栄華に比べてあまり語られることがなかった、「プロレス以前」の巨人症発症や巨人軍在籍時代について書かれた本だからです。
ジャイアント馬場こと馬場正平が、あれだけ大きかった(209センチ)のは、いわゆる巨人症というホルモンの病気によるものです。
少年時代に発症した病気は、脳下垂体腺腫といいます。
脳下垂体にできる原因不明の良性腫瘍で、ホルモンの過剰産生を起こしますが、遺伝性ではないことがわかっています。
15歳までに発症すると、身長が異常に伸びるほか、手足の先端が巨大化し、顔の形が変形するアクロ・ジャイガンティズム(下垂体性の巨人症)になるそうです。
成人になってから発病すると、身長は伸びませんが、手足の肥大化と、額や顎の形が変わるアクロメガリー(先端巨大症)になります。
アクロメガリーの発症率はきわめて小さく、年間100万人あたり5人。
40~50代に多いそうです。
15歳以下で発症して、アクロ・ジャイガンティズム(巨人症)になる人はさらに少なく、2000万人に1人。
現代はアクロ・ジャイガンティズム(巨人症)の治療法は確立しています。
学校で、頭一つ抜けて大きかったり特異な容貌だったりしたらすぐ検査を行います。
アクロ・ジャイガンティズム(巨人症)は、成長ホルモンの病気であることがすでにわかっているので、「2000万人に1人」にあたった人は手術をためらわないそうです。
ただし、それは医学の発達によって明らかになったことで、馬場正平の発症時は、少なくとも一般にそこまで病気のことが明らかにはなっていませんでした。
巨人症を発症すると、左右の視野が欠け、適切な治療を受けないと糖尿病、高血圧、高脂血などの合併症が出て、心筋梗塞、脳血管障害、大腸がんなどを合併する可能性も高くなるといいます。
事実、馬場正平は若くして糖尿病の疑いがあり、野球⇒プロレスで鍛えた惚れ惚れするような隆々とした肉体は、30代であっという間に筋肉が落ち、鶏ガラのようだなどと揶揄され、61歳で亡くなった死因は横行結腸がんでした。
しかし、巨人症を発症すると平均寿命は40代といわれ、馬場正平が61歳まで生きたのは、専門医ですら「信じられない」ことだそうです。
そして、巨人症は運動能力も影響を受け、最後は歩行や起き上がることさえ不可能になるとか。
ということは、亡くなる1ヶ月半前までリングに上がり試合をしていたジャイアント馬場は、その点でも「信じられない」ことです。
ですから、本書で著者は、アクロ・ジャイガンティズム(巨人症)にかかること自体が確率的に「運命の子」であり、かつ巨人症でありながらも、60歳過ぎて亡くなる直前までリングに立ち、経営者として発言し、人々の尊敬を勝ち得ていた「空前絶後」な人生を送った馬場正平は、「神に選ばれし子」と書かれています。
巨人時代の5年間
先日巨人軍の馬場正平って
本読んだばっか?
ジャイアント馬場が巨人に5年間在籍してたときの話 https://t.co/0kC3J0w7LX— Stone House (@iikkuyeruc) November 12, 2020
馬場正平は、高校2年で硬式野球をはじめており、1年足らずで巨人にスカウトされています。
そのため、基礎的なトレーニングができておらず、また当時の1軍と2軍は派閥抗争があり、その関係で水原監督の覚えがよくなかった馬場正平は、順調に力をつけて3年目に2軍で7勝して1軍に上がったにもかかわらず、5年で整理されました。
早すぎるスカウトは一見不運に見えますが、当時だって天下の巨人に入れるチャンスはそうないし、しかもプロ野球生活で、自分に集客力があることを実感したことで、その後のプロレスラーとしての成功につながっていくので、意義のある5年間だったと言えるでしょう。
一説には、当時はイースタン・リーグ(2軍のリーグ戦)はなかったので、馬場正平が2軍で活躍したという話は嘘だという向きもありますが、それは半分は正しいですが、半分は誤りです。
当時のプロ野球は、2軍が独立採算制になっていたのですが、旧2軍リーグが解散したばかりで、まだイースタン・リーグができる前のため、巨人ファームは、他球団を伴って全国各地をまわり有料の練習試合を行っていました。
馬場正平の予告先発ではどこの球場も満員になり、とくに地元、新潟県ではいつも超満員だったそうです。
このために巨人は、上越新幹線もない1958年に、3回も新潟遠征を行っています。
その人気の証拠に、同年1月、馬場正平は同郷の女優・水野久美とともに、故郷新潟県三条市で凱旋パレードまで行っています。
本当はもっと寿命を延ばせたかも
馬場正平が、亡くなる直前までリングに上がり続けた享年61歳は、巨人症の現実を考えると「信じられない」と、先程書きました。
実は、もしかしたら、その61歳をさらに伸ばすことができた可能性もありました。
巨人2年目のシーズンオフに、腫瘍が大きくなって見えにくくなったために開頭除去手術を行い、奇跡的に野球に復帰しているのですが、その後も身長は伸び続け、つまりホルモン異常産生自体完治はしていませんでした。
ところが、医師からも定期的に検査を求められたにもかかわらず、馬場正平はそれを断ったそうです。
完治を諦めずもう1度手術をしていたら、巨人症はクリアになっていたかもしれません。
きっと大変な手術で、もう病院と関わるのはゴメンだと思ったのかもしれませんが、惜しいことをしました。
また、直接の死因である腸のがんも、がんの中では比較的優しいものなので、早期発見をしていたらまた展開は変わっていたかもしれません。
早期発見。心がけましょう。
積極的に社会と関わろうとする気持ちが大切
すでに読了し、つぶやかせてもいただきましたが、今朝の読売新聞の書評でも紹介されていた『巨人軍の巨人 馬場正平』。ジャイアント馬場ではなく、プロレスラーになる以前の、馬場正平の物語…。非常に感慨深く読ませていただきました。 pic.twitter.com/M3wvJUGq3m
— 井上追輝 (@inotsuiteru) February 28, 2016
本書では、馬場正平の「プロレス以前」の人生について、一貫して述べていることがあります。
巨人症発症による苦悩や、巨人時代の不遇などから、屈託はないわけではなかったが、決して本人は絶望せず、積極的に社会と関わろうとしていた ということです。
たしかに、本書は、故郷の新潟時代の写真も掲載されていますが、楽しそうにしているものばかりです。
巨人症になると、うつや引きこもりになりがちだそうですが、ジャイアンツを自由契約になっても、週刊文春の取材に応じるなど、決して心を閉ざした生き方はしていませんでした。
だからこそ、「空前絶後」な人生の成功をおさめることができたのでしょう。
不遇、不幸、他人からの裏切りなどを経験すると、何も信じられなくなって、社会に背を向けてしまいたくなる気持ちはわからなくもありません。
2000万人に1人の難病なんてなったら、私はもう人生投げ出したくなるでしょうね。
心に壁を作らずに、人生辛いこともあるさ、でも生きとし生けるものは明日を前向きに頑張ろう、という気持ちが大切なのだなと思いました。
プロレスファンも、悩み事や障碍・難病のある方も、「あのジャイアント馬場は、とてつもなく大変なものを抱えてたのに明るく生きて大成功したんだよ」ということがわかるので、ぜひ一度ご覧頂きたい書籍です。
本書は、どちらかというとプロレスラー以前の、人間・馬場正平にスポットを当てた「私」の書籍です。
巨人症発症による苦悩や、巨人時代の不遇などがあっても、決して本人は絶望せず、積極的に社会と関わろうとしていた ことが一貫して述べられています。
プロレスファンだけでなく、悩み事や障碍・難病のある方も、「あのジャイアント馬場は、とてつもなく大変なものを抱えてたのに明るく生きて大成功したんだよ」ということがわかる一冊です。
一方、『1964年のジャイアント馬場』は、プロ野球選手、およびプロレスラーとしての実績や言動を中心にまとめた「公」のジャイアント馬場にスポットをあてた書籍です。
この2冊を併せて読むことで、馬場正平とジャイアント馬場という2面を重層的に知ることができると思います。
以上、『巨人軍の巨人馬場正平』(広尾晃著、イースト・プレス)は馬場正平の巨人症発症や巨人軍在籍時代を振り返った書籍、でした。