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徳川光圀など100人を掲載した『大人も知らない!? 偉人の実は・・・』(こざきゆう、粟生こずえ著、文響社)をご紹介します。

徳川光圀など100人を掲載した『大人も知らない!? 偉人の実は・・・』(こざきゆう、粟生こずえ著、文響社)をご紹介します。

徳川光圀など100人を掲載した『大人も知らない!? 偉人の実は・・・』(こざきゆう、粟生こずえ著、文響社)をご紹介します。徳川光圀は、江戸時代前期の大名。常陸水戸藩の第2代藩主。後世の創作における脚色から、「水戸黄門」の水戸光圀公として知られています。(文中敬称略)

本書『大人も知らない!? 偉人の実は・・・』は、日本をつくった歴史上の偉人100人の表の顔(功績)だけではなく、その裏にある教科書では語られない人生・生き様・人柄など、裏の顔も集めた事典だそうです。

あまり語られていない偉人の生々しい人生や人間性を感じることで偉人を身近に感じながら歴史を汲み取れる小学生中学年から読める入門書、ということ。。

本書は、シリーズ物になっていて、『スポーツの実は・・・』『生きものの実は・・・』に続く第三段だそうです。

ということで、今回はその中から、徳川光圀(とくがわ みつくに、寛永5年6月10日〈1628年7月11日〉~元禄13年12月6日〈1701年1月14日〉)をご紹介します。

徳川光圀は、徳川家康の孫にあたります。

光圀の父は、徳川家康の十一男である徳川頼房です。

徳川光圀は、徳川御三家の一つである水戸徳川家の一員です。

徳川御三家とは、江戸時代において徳川将軍家に次ぐ地位を持つ三つの家系(尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家)を指します。

水戸徳川家は、特に学問や文化の振興に力を入れた家系であり、光圀はその代表的な人物です。

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日本で初めてラーメンを食べた人物


徳川頼房の三男として生まれた徳川光圀は、幼少期を家臣の家で育てられましたが、後に水戸藩の跡継ぎとして正式に認められました。

Copilotに、その功績をまとめてもらいました。

藩主としての業績
光圀は藩主として、以下のような重要な業績を残しました:
– **大日本史の編纂**:日本の歴史を詳細に記録するための大規模なプロジェクトを開始しました。この事業は彼の死後も続けられ、最終的に明治時代に完成しました。
– **水戸学の創始**:儒教を基盤とした学問体系を築き、これが後の尊皇攘夷運動に影響を与えました3。
– **蝦夷地探検**:北海道への探検を行い、アイヌとの交易を試みました2。

人格と逸話
光圀は若い頃、不良少年として知られていましたが、18歳の時に中国の古典『史記』に感銘を受け、学問に目覚めました。また、彼は日本で初めてラーメンを食べた人物とも言われています2。

晩年とシ
光圀は63歳で隠居し、1701年に73歳で亡くなりました。死因は食道がんとされています。

徳川光圀の人生は、学問と政治、そして文化の発展に大きく貢献したものでした。その業績は今もなお、日本の歴史に深く刻まれています。

本書は、光圀の仕事でいちばん有名なものとして、本格的な歴史書『大日本史』編纂への取り組みを挙げています。

これは、神武天皇から100代の後小松天皇までの歴史をまとめたもので、光圀が亡くなってから、1906年にやっと完成しています。

光圀が引退後に与えられた「中納言」という位は、中国の「黄門侍郎」という役職にあたるため、光圀は「黄門」と呼ばれるようになったと書かれています。

ただし、テレビで人気番組となった『水戸黄門』は、事実ではありません。

有名な話ですが、光圀は藩の外には出ていないそうです。そりゃそうですね。藩主が風まかせで旅していられませんからね。

おそらくは、『大日本史』を編纂したから、史料を求めて全国各地を漫遊したのではないかとイメージされているのかもしれませんが、実際に全国を訪ねたのは、光圀の部下で「格之進」のモデルになった人です。

光圀のもとで、そのデータを整理したのが、「助三郎」のモデルになった人です。

どちらかというと、格之進のほうが、御老公の側近のイメージが有りましたけどね。

水戸黄門の物語は、幕末に講談師によって創作され、明治時代にはさらに人気を博しました。

対照的だった助さんと格さん


TBSテレビで放送されていた『水戸黄門』は、シリーズを重ねるに連れ、助さんも格さんも、どっちがとっちかわかりにくくなっているような気がしますが、本来は全く別のキャラなのです。

記念すべき第一シリーズは、助さん役が杉良太郎、格さん役が横内正だったのですが、助さんは何かというと御老公と衝突する、ちょっとやんちゃな役どころで、格さんは妻帯者の優等生でした。

時期的には、当然『水戸黄門漫遊記』の方が早く発表されましたが、昭和になって、なんとなく似たような構成の話として、山本周五郎の『赤ひげ診療譚』を思い出します。

診療所の所長であるベテラン医の新出去定(赤ひげ)と、いつも衝突する長崎でオランダ医学を学んだ青年・保本登。そして、いつも仕事をそつなくこなす森半太夫が対照的に描かれていました。

本書は、水戸光圀について、「イメージには尾ひれがついて勝手に独り歩きする」とまとめられていますが、まあ映画やドラマもヒットしましたし、誰も迷惑していないのですから、それはそれでいいのではないでしょうか。

水戸の御老公役は、誰をイメージされますか。


大人も知らない!? 偉人の実は・・・ – こざきゆう, 粟生こずえ

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