悪い奴ら、最期の言葉(鉄人社編集部編、鉄人社)は、大量殺人犯・死刑囚・凶悪犯罪者・独裁者・政治家など歴史上の悪人の最期の一言を集め、彼らが死ぬ間際、何を思って逝ったのか、いかに人生を振り返ったのか、その生き様について振り返っています。
『悪い奴ら、最期の言葉』は、『大量殺人犯・死刑囚・凶悪犯罪者・独裁者・政治家・歴史上の悪人』というサブタイトルがついています。
大量殺人犯/死刑囚/凶悪犯罪者編、独裁者/政治家/歴史上の悪人編、アンチヒーロー/裏も表もある人々編という3編にまとめています。
鉄人社編集部が、100通りの悪の表情をまとめた渾身の一冊です。
本書は2022年9月15日現在、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
死ぬ間際、何を思って逝ったのか、いかに人生を振り返ったのか
本書『悪い奴ら、最期の言葉』は、大量殺人犯、死刑囚、凶悪犯罪者、独裁者、政治家、その他歴史上の悪人とされた人々について、彼らが死ぬ間際、何を思って逝ったのか、いかに人生を振り返ったのかをまとめています。
構成は見開きで、見出しと本人の一言を記載したページが1ページ、それとともに、その「悪い奴」が何をした人なのかの解説に1ページ使っています。
具体的にどんな人をまとめたのか。
目次からです。
エリック・ハリス&ディラン・クレボルド、宅間守、チョ・スンヒ、宮崎勤、アイリーン・ウォーノス、ジム・ジョーンズ、アルバート・フィッシュ、ペーター・キュルテン、チャールズ・ホイットマン、フレデリック・ウエスト、アンドレイ・チカチーロ、都井睦雄、小平義雄、大久保清、吹上佐太郎、勝田清孝、カール・パンズラム、森恒夫、山地悠紀夫、永山則夫、梅川昭美、栗田源蔵、佐藤虎美、堀越喜代八、テッド・バンデ、小林カウ、渡辺健一、古谷栄雄、中島一夫、菊池正、正田昭、中村覚、長谷川敏彦、杉村サダメ、西口彰
アドルフ・ヒトラー、ヨーゼフ・ゲッペルス、ニコラエ・チャウシェスク、エレナ・チャウシェスク、ベニート・ムッソリーニ、ヨシフ・スターリン、毛沢東、金正日、西太后、武則天、煬帝、ポル・ポト、ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス、マリー・アントワネット、マクシミリアン・ロベスピエール、ジル・ド・レイ、大西龍次郎、甘粕正彦、石井四郎、ヨーゼフ・メンゲレ、・リヒャルト・ゾルゲ、マタ・ハリ、松永久秀、明智光秀、陶晴賢、織田信長、龍造寺隆信、張献忠、児玉誉士夫、金丸信、イディ・アミン・ダダ、山口二矢、小佐野賢治、里見甫、松岡利勝
田中角栄、ラスプーチン、チェ・ゲバラ、新門辰五郎、鼠小僧次郎吉、石川五右衛門、平沢貞通、東条英機、北一輝、笹川良一、頭山満、岡田以蔵、安重根、金嬉老、力道山、奥崎謙三、草野高明、田岡一雄、竹中正久、野村秋介、勝新太郎、横山やすし、横山ノック、伊良部秀輝、尾崎豊、シド・ヴィシャス、エイミー・ワインハウス、サダム・フセイン、ムアンマル・アル・カダフィ、ウサマ・ビンラディン
たとえば、池田小事件の宅間守元死刑囚については、「大人になれなかった凶暴な幼児は凶悪犯罪を起こしてかまって欲しかった……」という見出しがつき、その横には本人の最期の一言として、「『ありがとう』と僕が言っていたと妻に伝えてください」と記載されています。
Amazonの販売ページには、「100人の悪人伝ではなく、100通りの悪の表情をまとめた一冊として読んでいただけたら幸いです。」と記載されています。
「ほしのもと」と社会的な規制
総じて思うのは、個人の「大量殺人犯/死刑囚/凶悪犯罪者」は、やはり「ほしのもと」に問題があったのではないでしょうか。
貧乏すぎても、お金持ち過ぎても難しいですね。
少しだけ貧乏で親の愛情は満たされているのが「ほしのもと」としては理想と言われますが、たしかにそうかもしれません。
もちろん、「ほしのもと」が恵まれないのなら、悪いことをしても仕方ない、などという気はありません。
ただ、境遇は本人には選べません。
では、どうすればいいのかというと、やはり再発防止は社会的に解決するしかないのです。
たとえば、仏教の世界では、因果応報、自業自得として、すべては「自分」で完結してしまうのです。
殺人犯になってしまったのも自分が悪い。
殺人犯の犠牲者になってしまったのも自分が悪い。
仏教に言わせると、「悪い」業は合理的に見出すのではなく、前世から来ていることになってしまう。
私は宗教に通暁しているわけではありませんから、それに対してはとやかくはいいません。
つまり、前世ということにしたかったらそれでもいいでしょう。
ただ、個人的な心がけならともかく、社会的にはそれでは何も解決しない、ということです。
たとえば、交通事故でも過失相殺、という評価があるように、各人の心がけだの前世だのが悪いとそうなる、だけではそこで追及は止まってしまうんですね。
思考停止です。
そうではなくて、客観的に、何があってこうなったのかという現象としての因果関係、こういう素地や因子も現象に影響しているという相関関係や契機性など、その経緯や背景を客観的に洗い出すことで、出来事の全容を明らかにして再犯防止に努めるのです。
もちろん、個人のパーソナリティを、社会的な規制や道徳だけで完全に押さえ込むことは不可能です。
しかし、「個人の心がけ」にとどめていたら、何も教訓も対策も生まれないことは間違いないでしょう。
「悪人」かどうかは社会的背景や価値観が反映する
「歴史上の悪人」や「アンチヒーロー」は、相対的な評価が入るので、これはそもそも見方次第ですね。
少なくとも、殺人犯などの「悪」とはちょっと意味合いが違ってきますね。
それどころか、たとえば力道山といえば、人間性についてはいろいろいわれていますが、少なくとも昭和のヒーローであることは否定しようがないでしょう。
善か悪かというのは、ことと次第にもよりますが、その評価・判断が微妙なことが往々にしてあります。
私は持論としてよくこの例を挙げるのですが、『白い巨塔』という医学界の暗部を題材にした小説/ドラマ/映画がありました。
ストーリー上は、一見、野心家の財前五郎が悪い人で、「医師の良心」を標榜する里見脩二がいい人、という描き方に見えましたが、私は「ほんとにそうか?」と思っています。
里見脩二医師は、たしかに自分の研究や患者に対しては誠実です。
しかし、平気で約束はドタキャンするし、初診しただけの患者のことで証言して大学は追われて夫人を泣かせるし、片恋状態だった東教授の娘を店晒しにはするしで、私には、ただの研究馬鹿で、ちっとも人間的に立派には見えません。
財前五郎は、たしかに野心家ですが、財前又一らの神輿に乗せられた面もありますし、そもそも教え子に嫉妬して様々な策略を巡らせた東教授こそが、選挙戦をダーティーにしてしまったおおもとの原因であり、財前五郎を諸悪の根源のように見るのはいかがなものでしょうか。
もちろん、それは私個人の見方であります。
が、いずれにしても、「善玉」と「悪玉」というのは、視点や価値観によって見方が変わってくる、という話です。
まあそうした評価はともかくとして、本書で取り上げられている人たちが、人類史にインパクトを残したという共通項でまとめられていることは間違いありません。
その人や事件、そして人の生きざまや社会的背景などを改めて考える意味で、本書を読まれてはいかがでしょうか。
以上、悪い奴ら、最期の言葉(鉄人社編集部編、鉄人社)は、大量殺人犯・死刑囚・凶悪犯罪者・独裁者・政治家など歴史上の悪人の最期の一言、でした。
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