明暗(原作/夏目漱石、漫画/バラエティ・アートワークス、Teamバンミカス)は、人間の利己を追った長編小説で未完の絶筆となりました。結婚した会社員で親から独立しているのに、なお仕送りを受け、以前に付き合っていた女性が忘れられない自己愛の強い男の話です。
『明暗』は、夏目漱石が大正5年(1916年)5月26日~同年12月14日まで「朝日新聞」に連載された長編小説で、バラエティ・アートワークスが漫画化し、Teamバンミカスから上梓されています。
まんがで読破シリーズ全55巻の第16巻です。
この記事は、Kindle版をご紹介しています。
夏目漱石にとっては遺作であり、病没のため連載は188回までで未完となっています。
津田由雄(30)は、妻・お延(23)と東京で2人暮らしの新婚です。
周囲からは、幸せな結婚生活を送っているように見せていますが、由雄の心のなかではその世間体を守ることが大事で、お延のことを愛しているかどうかは自身の心の中でも懐疑的でした。
かつて突然姿を消した恋人、清子のことが忘れられないからであり、仲人のすすめもあって自分の気持ちに決着をつけるため、清子に直接会いに行きました。
では、由雄と清子はどうなるのか。
昔のこととしてお互い心のなかでけじめをつけるか、焼け木杭に火がつくのかは書かれていません。
本書は2022年12月26日現在、AmazonKindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
「生活していく上で嘘は必然だろ」と嘯く
本作は、1915年に発表されました。
連載中に作者が亡くなったため、未完の絶筆となってしまいました。
メインテーマは三角関係といえますが、本筋以外にも細かい描写がたくさん描かれています。
そのため、全188章という大長編作品になっています。
まず、物語の登場人物です。
- 津田由雄……利己主義で見栄っ張りで優柔不断な主人公。昔の恋人清子が忘れられず、今の夫婦生活を不本意だと内心で思っている。
- お延……由雄の妻。苦労知らずで浪費家。ただし、由雄を愛しているのは確か。
- お秀……由雄の妹。自立できない由雄に苛立っている。
- 小林……由雄の古くからの友人。新聞記者をしているが食えないと言って朝鮮に活路を求める。
- 吉川夫人……由雄の上司の夫人。お延を取り持つ世話好きのお金持ち。
- 岡本家……由雄とお延を取り持ったお延の叔母夫妻。
- 清子……由雄の昔の恋人。ある日一方的に別の人と結婚してしまう。
津田由雄は、就職して結婚もしているのに、まだ父親から仕送りをしてもらっています。
苦労知らずで浪費家である、妻のお延に対して、いい夫であるためです。
といっても、お延を愛しているからというより、外聞のためです。
由雄自身は、どうしてこの人と結婚したのか、未だにもらいたいとももらいたくないとも思ったことはないのに、なんて今更考えています。
といっても、別に嫌いだからというわけでもなさそう。
要するに、好きでも嫌いでもないという、無気力で無責任な考えです。
そして、心の中には、自分のもとを去っていった清子が頭にあります。
自分は結婚して半年という新婚でも、「なぜあの人は他の家に嫁ぎ、俺はあの女を嫁にもらったんだろう」などと未練たらたらたらです。
そんな由雄は、持病である痔の治療のために、手術と入院をすることになりました。
日曜日に入院しますが、お延は叔母夫妻の岡本一家と、芝居を見に行く約束をしていました。
この夫婦は、由雄の上司の吉川家と、お延の叔母夫妻の岡本家の取り持ちで婚姻したのです。
「ぜひ来いって言ってくれているのよ。ねえ、あなたも一緒にいけけない?」
入院の話をしているのに、そういうことを言い出すお延。
しかし、由雄の不服そうな表情を見たお延は、すぐに「嘘よ、冗談よ」と提案を引っ込めます。
いつも、夫の顔色をうかがって物を言うのは習性になっていました。
しかし、由雄は、彼女には芝居に行ってこいといいます。
入院するから芝居にいくなとも、あなたが入院するなら芝居は断りますともいわない、どこなく噛み合わない夫婦です。
その日、由雄の父親から手紙が来て、いつもどおりの送金をしないと書かれていました。
こちらには、不満を示すお延。
由雄はお延に、津田家はお金持ちだと言っているのです。
だからといって、学生でもないのに、親から独立して結婚している会社員が、親から仕送りをしてもらうというのがおかしい、とお延は考えないし、またお延にそう思わせるような見栄を張る由雄も由雄です。
お延は、お金に困ったら着物を質入れするという「知恵」はあるようですが、それは下女のお時から聞いたこと。
なんで子供もいない、大きな屋敷に住んでいるわけでもない2人きりの若い夫婦に、下女が必要なのでしょうか。
もちろん、見栄っ張りの由雄は、質入れなんて認めません。
この夫婦は、全く奇妙です。
父親が当てにならず、藤井の叔父夫妻を訪ねると、悪友の小林がいました。
新聞記者ですが、食えないので活路を見出すために、朝鮮にいくというのです。
小林は、由雄からお古の外套をねだります。
日曜日の入院の日、
付きそうお延は、派手な着物を着ています。
「芝居見物や花見に行くんじゃあるまいし」
「もう着ちゃったんですもの。また着替え直すのは大変なのよ」
翌日、お延は病院に電話をします。
「すみません。主人は今日見舞いに行けなくてもいいか、聞いていただけないでしょうか」
由雄がどれぐらい自分のことを待ちわびているか、お延は試しているのです。
ところが、電話の返答は
「なぜ来られないのか教えてほしいそうです」
「それだけですか」
「それだけです」
お延は思います。
来てほしい素振りは全く見せないくせに、そのくせ私が来なかったら不機嫌になる……
「あの、津田さん。今日来られない理由はなんですか」
「え、ええと、今日は岡本のところへ行かなければならないので、病院へは行けませんとお伝え下さい」
でまかせを言ってつじつまを合わせたものの、がっかりのお延でした。
芝居を断ったお詫びもあるので、本当に岡本のところへ行ったお延ですが、岡本の叔父は、夫婦円満のためにとお金を融通してくれました。
お延は立っている叔父を見上げながら、弱い調子で抵抗した。
「陰陽不和じゃないのよ。あたし達のは本当の和合なのよ」
「和合ならなお結構だ。和合の時に呑めば、精神がますます健全になる。そうして身体はいよいよ強壮になる。どっちへ転んでも間違のない妙薬だよ」
叔父の手から小切手を受け取って、じっとそれを見つめていたお延の眼に涙がいっぱい溜まった。
涙が出るほどなら、最初から倹約すればいいのにね。
お延は、こう考えます。
そうだ、この小切手。私が由雄さんのために岡本からもらったって言ったら、喜んでくれるかしら?
いや、たぶん見栄っ張りの由雄は、そんなみっともないことをなぜしたと言うでしょう。
お延は思います。
いつも由雄さんは私と距離を取っているような…なにか理由でもあるのかしら。
いえ、私は、ただあの人を愛せばいいのよ。
たとえ今、幸福でないにしても、考え方次第で未来は幸福になるのよ。いえねなってみせるわ。
その翌日、小林が訪ねてきます。
まだ由雄は入院中です。
「外套をくれると約束したんですよ。僕の海外栄転前に、津田くんが自分のお古をくれるとね」
お延は何も聞いていません。
確認のため、お時を使いにやります。
小林は、すぐに外套をくれなかったので、ちょっと意地悪をしたくなり、由雄にはお延が知らない「秘密」があることをほのめかすと、強引に外套を来て帰ってしまいます。
病院には、妹のお秀が見舞いに来ています。
お秀は、父親の仕送りを決めるときの立会人でした。
お秀は、見栄っ張りで浪費家の兄夫婦を、快く思っていません。
「父さんは、もう仕送りしないって言っているのよ」
「何」
「兄さん、私も鬼じゃないのよ。お金は私が用意しました。ただし条件があります。反省してください。これからは生活を慎ましくしてください。義姉さんを甘やかすのをやめれば、すべて解決じゃないの。吉川と岡本にいい顔したいから?全く何も知らない義姉さんは気楽ね」
その時、お時がやってきて、自宅に小林が来たと伝えます。
「くそっ」
「悪友の小林さんが、義姉さんに余計なことを言わないか心配なのね。義姉さんも、いっそ知るべきなのよ。本当はお金に余裕なんてないってことも。兄さんの過去のことも」
そう言われて、ただでさえ見栄っ張りの由雄は、態度を硬化させます。
「いらん。お前の施しなんぞ誰が受け取るものか。お前が本当に兄思いの妹なら、何も言わずにその金をぽんと渡せばいいんだよ。それなのに、生意気なんだよ」
この由雄というのは、相当食えない男ですね。
「どうして、兄さんは、私や父さんの気持ちが分からないの。そんなに義姉さんが大事?ああそうか。兄さんが大事なのは、昔の女(あの人)か……」
そういった時に、お延が入ってきます。
「まずい、聞かれたか」と、焦る由雄。
お秀は言います。
「わかりました。もう条件なんて言いません。何も言わずに、このお金を受け取ってください」
「ふっ。そんなに俺に金をもらってほしいのか。それなら、黙って俺の足元に金を置いて帰れ」
「あの、お金って一体……」とお延。
「実はさっき、お秀が見舞金を恵んでやると言ってな。だが、俺はそんなの必要ないって言ってやったのさ」
「兄さん。まだ強がる気なの?」
「あら、お金のことなら心配ありません」
お延は、岡本の叔父からもらった小切手を見せます。
「ふたりして私を馬鹿にするのね。勝手にしてください。私は帰ります」
お秀は、持ってきたお金を袋ごとねじって畳に叩きつけます。
それでも置いていくんですね。
そこまで言われたのなら、持って帰ればいいのに。
実はお延は、兄妹のやりとりは聞いていました。
「昔の女」がいることを知ります。
由雄は、自分の生活を顧みる気はサラサラなく、お秀が父親に言いつけないようにするにはどうしたらいいか、などと考えていました。
生活していく上で嘘は必然だろ。嘘は悪いことじゃない。
そう開き直っています。
翌日、吉川夫人が見舞いに来たので、由雄は、父親やお秀との仲裁役を頼むことにしました。
夫人は、それを引き受ける条件として、清子とのけじめを求めてきました。
「清子さんへの未練を気取られたくないから、あなたはお延さんを甘やかすんです。その結果、お父様やお秀さんを怒らせることになってしまった。」
「そりゃ、未練だって残りますよ。理由も何もわからないままいなくなるんですから」
「あなたの気持ちなんてどうだっていいの。そうやってイジイジ過去にこだわっているから、いろんな人が迷惑するの。男らしく過去を清算しなさい」
夫人は、清子に会いに行って、話してこいといいます。
なぜか、夫人は清子のいどころを知っていました。
流産をしたために、湯河原の温泉に湯治に来ているというのです。
由雄は、自分も痔の手術後の湯治ということで、湯河原に向かいました。
宿を取った由雄は、心の中の不安と期待を整理します。
大浴場につかった由雄ですが、広い旅館のために帰りは自分の部屋がわからなくなってしまいました。
「さて、どうやって部屋まで戻るか」
そのとき、廊下を歩くかすかな音が耳に入ってきました。
階段の上を見上げると、そこにいたのは、清子でした。
原作では、翌朝清子が津田を自分の部屋に招き入れ、2人は話をしているのですが、本書は、ここで終わっています。
『明暗』とは何についての明暗だったのか
続きについては、執筆にチャレンジした人もいますが、まあそれはあくまでその人の考えた結末であり、夏目漱石ご本人の脳内にあったであろう結末のみが本当の結末です。
ですから、私はその先を予想することはしませんが、まあ今回も夏目漱石お得意の(?)エゴと倫理観がテーマなんでしょうね。
未完というと、短いイメージがありますが、実は夏目漱石作品では最も字数が多いんですね。
それだけに、由雄のエゴについて、しっかり書きたかったという作者の意気込みが伝わってきます。
それにしても、お勤めして結婚して、それでも仕送りを受けて、生活を注意されると喧嘩して、妹の厚意を踏みにじるような事を言う由雄。
飛んでもないやつだと思いますが、ただ、多かれ少なかれ、人間はこういう傲岸不遜で利己主義的な自己愛を持っているのではないでしょうか。
それにしても、タイトルの『明暗』というのは、何についての明暗が分かれたのでしょうか。
おそらくは、書かれていない部分にそれが展開したのでしょう。
読んでみたかったですね。
以上、明暗(原作/夏目漱石、漫画/バラエティ・アートワークス、Teamバンミカス)は、人間の利己を追った長編小説で未完の絶筆、でした。