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本田宗一郎の「引き際の美しさ」などを描いた『まんが悪の帝王列伝 残虐非道な日本の経営者たち』 (コアコミックス) をご紹介します

本田宗一郎の「引き際の美しさ」などを描いた『まんが悪の帝王列伝 残虐非道な日本の経営者たち』 (コアコミックス) をご紹介します

本田宗一郎などをとりあげた『まんが悪の帝王列伝 残虐非道な日本の経営者たち』 (コアコミックス) をご紹介します。「虫ケラのように人の屍を踏み越える…独裁者の残酷伝ルポ漫画多数収録!」というセンセーショナルなコピーで発売されています。(文中敬称略)

名だたる大企業の創業者をとりあげた「偉人伝」です。

Amazon販売ページに出ている「目次」から。

会社経営で成功させた伝説の創業者たち
インフラ業界のボス 小佐野賢治
企業買収で財界君臨 横井英樹
元伊藤忠商事会長 中曽根政治の参謀 瀬島龍三
HONDA創始者・バイク王 本田宗一郎
西武グループの生みの親 愛人多き「ピストル堤」 堤康次郎
大東急を作った鉄道王 企業乗っ取り“強盗慶太” 五島慶太
競艇の父 裏社会と繋がるフィクサー 笹川良一
パナソニック創業者 経営の神様 松下幸之助
三越の“天皇” 岡田茂
プロ野球の父 正力松太郎 ほか

センセーショナルに書いてありますが、実は中身はそれほどでもありません。

構成がしょぼい、という意味ではなく、創業者としては「独裁者の残酷」というより、会社立ち上げとしては順当な厳しさというふうに感じました。

今回はその中で、輸送用機器メーカー本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者である本田宗一郎(1906年〈明治39年〉11月17日 – 1991年〈平成3年〉8月5日)についてフォーカスします。

「残酷」どころか、「引き際の美しさ」が描かれています。

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藤沢武夫と共にホンダを発展


本田宗一郎は、静岡県磐田郡光明村(後の二俣町→天竜市、現在の浜松市天竜区)で鍛冶屋をしていた本田儀平と妻・みかの長男として生まれます。

高等小学校卒業、東京市本郷区湯島(現在の東京都文京区湯島)の自動車修理工場「アート商会」(現在のアート金属工業)に入社(当時の表現で丁稚奉公)。半年間は、社長の子供の子守りばかりだったといいます。

22歳で暖簾分けを許され、29歳で小学校教員の磯部さちと結婚。

その後も自動車修理工場事業を順調に拡大し、東海精機重工業株式会社(現・東海精機株式会社)の社長に就任。

エンジンに欠くべからざる部品としてピストンリングに目をつけますが、経験からだけではどうにもならない学問的な壁に突き当たり、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)機械科の聴講生となり、3年間金属工学の研究に費やします。

三河地震でいったん撤退しましたが、1948年(昭和23年)、本田技研工業株式会社を浜松に設立。

資本金100万、従業員20人で同社代表取締役就任。原動機付き自転車を考案して二輪車の研究を始めます。

翌49年、のちにホンダの副社長となる藤沢武夫と出会い、共にホンダを世界的な大企業に育て上げました。

……が、

1966年、東名高速が開通し、一般家庭の乗用車所有率も右肩上がりの時代、ホンダも世界に誇る自動車メーカーになっていましたが、本田が肝いりで搭載した新しい空冷技術を使った「H1300」は全く売れませんでした。

「空冷は明らかに時代遅れだ」

「でも社長は耳を貸してくれない」

「副社長、社長を説得してください」

藤沢は、本田に思い切って「空冷のことですが……」と話をします。

本田は、

「藤沢。昔、お前と約束したよな。技術については口出ししないでくれ。その代わり、俺も金のことは口出ししないと……」

藤沢は、「約束を破った以上、もう本田さんとは一緒に仕事はできない」と、責任を取って辞職します。

すると、本田もあっさり、「俺は藤沢あっての社長だ。俺も辞めるよ」

1973年に引退後、藤沢は隠居、本田は各地の工場を巡り、技術者たちをねぎらう全国行脚を行ったそうです。

偉人創業者は自分の決断を信じていた


本書はこう締めています。

カリスマと称される経営者たちには、自由な発想や実現する力、チャレンジ精神などさまざまな共通点がある。
そして何よりも自分の決断を信じていた。
不安の多い今の日本に、彼らのような魅力ある経営者がいるのだろうか。

ね、タイトルや宣伝コピーと違い、ちっとも「独裁者の残酷」ではないんですよ。

「自分の決断」が失敗することもあります。でもめげずに、また次のチャレンジを行うのです。

自己肯定感が低いと、なかなか「自分の決断」ができないんですよね。

自己肯定感が低い人の特徴
特徴①:他者と比較する癖がある
特徴②:過去にトラウマがある
特徴③:承認欲求が強く、他者に依存してしまう
(https://mba.globis.ac.jp/careernote/1327.html)

要するに、自分で決断して失敗するのが嫌なんですよね。

格好つけてたら何もできないのにさ。

私も自己肯定感が低いので、気をつけたいと思います。

元ヤンキーで現場の熟練工あがりの本田は、結構乱暴だったようですが、一日15時間労働を35年続けるなど、自分が先頭に立って働いたから、従業員はついてきました。

そして、本田のように全力を出し切れば、やめるときはいつでもスパッとやめられる、

ところが、普段全力を出していない凡夫ほど、辞めるときが近づいてくると、「もっとがんばればよかった」「もう1度だけチャンスがほしい」と、辞めることに未練たらたらになってきれいにやめられない。

老害の経営者っていますよね。

いつも書きますが、こういう偉人伝というと、必ずといっていいほど、「どうせ悪いこともしているんだろう」とか、「綺麗事ばかりだがウラがあるんだろう」みたいな「引かれ者の小唄」が出てくるのですが、そういうことがあってもなくても、偉人たちはとにかく功成り名を遂げたのは事実なのですから、ひねくれた詮索で自己満足するより、「よし、見倣ってみよう」と前向きにとらえたほうが、自分のためになると私は思うんですけどね。ま、考え方は様々でしょうが。

私がン十年前、初めて買った自動車が、ホンダのシビックだったことを思い出しました。

ホンダの自動車やオートバイ、乗られたことはありますか。


まんが悪の帝王列伝 残虐非道な日本の経営者たち (コアコミックス) – アンソロジー

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