梶原一騎人生劇場 男の星座(原作/梶原一騎、作画/原田久仁信、ゴマブックス)は、劇画原作者、梶原一騎の遺稿となった自伝の漫画化です。『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』『空手バカ一代』『愛と誠』など誕生の秘密が明かされています。
60年代~80年代前半まで、漫画の原作を書きまくった梶原一騎先生。
今の40代~60代の人はみな、何らかの梶原一騎作品を見て育っていると思います。
いまさら具体的な作品を上げるまでもありませんが、一応自分の世代に合わせてご紹介しておくと、巨人の星、タイガーマスク、ジャイアント台風、あしたのジョー、柔道一直線、キックの鬼、空手バカ一代、赤き血のイレブン、夕やけ番長、愛と誠、プロレススーパースター列伝……。
いや、なつかしい。
ストーリーや登場人物は虚実ないまぜで、名誉毀損に厳しい現在ではもう書けない展開もありますが、日本のアニメ・漫画界にしっかりと名を刻んだ人物です。
その集大成と言えるのが、梶原一騎さんご自身が自らの生き様を振り返った『男の星座』。
本作は『週刊漫画ゴラク』(日本文芸社)にて、1985年5月24日号から1987年2月13日号まで連載されました。
本作は、夏目漱石の『明暗』のように、著者がナくなったため、途中で絶筆となっています。
上梓されたのは、単行本で全9巻。
物語は『週刊少年マガジン』編集長から、プロレス漫画の原作を依頼される1960年あたりで終了しています。
つまり、まだ『巨人の星』や『あしたのジョー』も誕生していないので、「さあ、これから」というときでした。
大山倍達、力道山との出会いと様々なエピソード
私は、子供の頃、『毎日新聞』で、絶頂だった頃の梶原一騎さんご自身の自伝を読んだ記憶があるのですが、その頃は、学歴・経歴に若干虚偽があり、本作の方が、リアリティを感じました。
たとえば、当時、学歴は早稲田大学中退と公表されていましたが、実際に早稲田に入ったのは実弟の真樹日佐夫さんであることが本作では告白されています。
梶原一騎さんは、青山学院の初等部にあたる小学校出身でしたが、ケンカをして施設に入れられ、シャバに出てから入った都立芝商業高校もケンカで退学。学校は出たほうが良いと父親に言われて、玉川学園に編入したものの、結局大学には入らなかったと描かれています。
梶原兄弟の父親は、有名な出版社の編集長。
戦前は多くの作家を育てました。
ただし、世渡りベタの父親は、「戦時中は戦争に協力したくせに、戦後は左翼ぶる日和見作家・評論家は使いたくない」など言って、会社とぶつかり新聞社や出版社を転々として、失業期間も長かったため貧乏。
「仕事はできるのに不器用で不遇」な姿は、『巨人の星』の星一徹のモデルなのだと私は感じました。
ちなみに、梶原兄弟は、大田区蒲田育ち。
京急蒲田西口商店街は、いまは「あすと」なんて言っていますが、「のんべ横丁」というもとの呼び名が出てきて、かつての地元民としては懐かしかった(笑)
ストーリーは、大山倍達、そして力道山との出会いと、様々なエピソードを織り交ぜながら、少しずつ作家として名前が売れてくる様子が描かれています。
とくに、大山倍達さんの描き方に力点が置かれていますが、実は『空手バカ一代』の漫画化をめぐる齟齬から、2人は疎遠になったまま、生前は仲直りができなかったそうです。
読んでいて、私まで思わず極真空手をヤりたくなったほど、大山倍達さんが立派に描かれているのですが、梶原一騎さんはきっと仲直りがしたかったのかもしれませんね。
孤高で、不器用で、繊細で、恵まれない星のもと
劇画原作者としてとして隆盛を極めていた梶原一騎さんが“転落”したのは1983年5月25日。
銀座6丁目のクラブ「数寄屋橋」で、編集者たちと酒を飲んだ際、話がこじれて『月刊少年マガジン』の副編集長にケガを負わせました。
副編集長の「言い過ぎ」が原因だったこともあり、本当は講談社も表沙汰にする予定はありませんでした。
ところが、梶原一騎さんが覚せい剤密売ルートであることを疑っていた警察は、ここを逮捕のチャンスと、半ば強制的に講談社に告訴をさせたといいます。
梶原一騎さんの映画会社「三協映画」が制作した『もどり川』の主演、萩原健一が大麻取締法違反で逮捕されたことも、警察を「その気」にさせる動機に。
逮捕以来、マスコミはそれまでの扱いが嘘であったように、この劇画原作の大家を叩き始めました。
水に落ちた犬は、手のひらを返していたぶりネタにするのはマスコミの常套手段です。
集英社は漫画界の登竜門だった「梶原賞」を廃止。
梶原一騎さんを、まるで黒歴史のように扱いました。
覚せい剤の方はシロでしたが、以前から煩っていた壊死性劇症膵臓炎で体がボロボロになっていた梶原一騎さんは、以来1987年1月にナくなるまで、写真雑誌などで「激やせ」ぶりがおもしろおかしく、そしてみじめに報じられました。
その後、メディアでは10年近く、梶原一騎さんをまるで黒歴史のように扱いタブー視していましたが、高取英さんの『梶原一騎を読む』(ファラオ出版)や、朝日新聞の連載コラム『新戦後がやってきた』、斎藤貴男さんの『夕やけを見ていた男ー評伝・梶原一騎ー』(新潮社刊)など、1990年を過ぎると梶原一騎さんを再評価する読み物が上梓されるようになり、梶原一騎さんは“復権”したかに見えました。
が、1995年には、再婚した台湾人女優との間に生まれた娘が、誘拐され無惨なサツ害をされたことで、鬼籍に入ってからまで、不幸のダメ押しをされた形になりました。
私は、世代的に梶原一騎先生の作品で、多感な時期を過ごしました。
いつも主役は、孤高で、不器用で、繊細で、恵まれない星のもとで、ハッピーエンドではない生き様が共通していますが、それは梶原一騎先生の生き様そのものであったといえます。
梶原一騎先生の作品では、どの作品が印象に残りますか。
以上、梶原一騎人生劇場 男の星座(原作/梶原一騎、作画/原田久仁信、ゴマブックス)は、劇画原作者、梶原一騎の遺稿となった自伝の漫画化、でした。