毒親に育てられました 母から逃げて自分を取り戻すまで(つつみ著、KADOKAWA)は、タイトル通り恐怖と威圧と虐待の生活を描いています。毒親が毒親を育てるといいますが、毒母の源泉は毒祖父であったことまで打ち明けられるくだりは圧巻でした。
『毒親に育てられました』は、つつみさんがKADOKAWAから上梓した自らの生い立ちの漫画化です。
『母から逃げて自分を取り戻すまで』というサブタイトルがついているように、高校までの毒母との暮らし、大学以降は母と決別し、結婚して幸せに暮らしているという話です。
漫画に描かれているのは、虐待、虚偽等無責任発言、暴言など、絵に描いたようなわかりやすい毒親です。
毒親のタイプというのは、暴力など目に見える場合と、暴力はなくても子供の心を傷つける場合とがありますが、主人公の毒母の父親が実はそうであったことも明らかになります。
つまり、毒母は毒祖父によって育てられたという、毒親問題の背景にある「闇」も描かれています。
本書『毒親に育てられました』は2022年9月23日現在、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
毒親に苦しんだ日々を漫画で振り返る
本書の始まりには、自己紹介がこう書かれています。
「毒親」とは子供に影響を与える親のこと。
暴力や暴言、過干渉などで、自分の思い通りに子どもを支配したり、逆に自分の都合を優先させるために育児放棄をしたりします。
そして、その子どもは誰にも相談できずに一人で抱え込む人も少なくありません。
私もその「毒親」のもとに育った一人で、私にとっての義親は母で、母はシングルマザーでした。
毒親でシングルマザーというのは最悪です。
なぜなら、子は両親の価値観の幅で人格を作り、両親は自分の方針をそこで調停できるからです。
シングルマザーでは、100%、歯止めなしに母親の言いなりになります。
そして、たとえ死別しようが別に住もうが、子供時代に刷り込まれた毒にずっと囚われることになります。
著者の場合、親と離れて社会人になってからも、電話がかかってきて、「お前ばっかり幸せになれると思うなよ」「あんたなんか産まなきゃよかった」などと言われているそうで、精神を病んでしまったそうです。
そこで、著者が始めたのは、一冊のノートに過去の辛かった出来事や忘れられない出来事など、トラウマの原因をひたすら書く「日記療法」です。
まあ、この療法も合う人と合わない人がいて、やはり毒親持ちの私はそれをすると、当時を思い出して精神状態が不安定となり運気を落とします。
でも、著者は合っていたそうで、抗うつ剤を服用しながら自宅療養も兼ねて、毒親に苦しんだ日々を漫画で描き続け、半年もかからないうちに、すっかりうつ病は良くなり、母親とは絶縁。
夫と結婚して、人生が再スタートしたような穏やかな日々を送っているそうです。
そして、著者は誕生からの生活を振り返ります。
著者は20数年前、とある小さな田舎町に誕生し、一人っ子として育ちました。
しかし、2歳になる頃に父と母は離婚。
親権は母親に渡ったところから不幸が始まります。
幼かった頃は、母親に怒られないように、怯えながら暮らしていたことが描かれています。
ときおり見せる母親の優しさに安らぎを感じながら。
母子家庭になってすぐ母親は、隣町に働きに出ていたそうです。
そのため、著者は祖父母に預けられました。
自由気ままに遊び、たくさん甘やかされ、好奇心旺盛な子どもに育ったそうですが、1年近くがたとうとしていた頃、母親が迎えに来ます。
迎えに来た母親は、キラキラ着飾っており、著者のことを太りすぎと笑われました。
この出会い頭のシーン、大きいですね。
きれいな母とダサい自分。
親子であるというだけでなく、この違いで著者は、母がかなわない存在になってしまったのです。
これは、私もよくわかります。
私の母親は、独身当時の社員旅行の写真が、まるで女優のゲストに見えるほど抜きん出たルックスでした。
私も、決して悪い方ではなかったと思うのですが、母からは「あんたは見てくれが悪い」とバカにされ、そのマウンティングが、超えられない関係をより強固にしていました。
まあ、いずれにしても、子をそんなことで馬鹿にすることこそが、まさに毒親そのものなんですけどね。
以後はもう、暴力、過干渉、買い物の無茶振り。
いつも母親に怯えていた著者。
子に気を使わせる親も、もちろん親として失格です。
晩ごはん代は500円。
肉まんもあんまんも買えますが、心は満たされませんでした。
母には新しい恋人が出来たのですが、見えないところでDVが。
母はいよいよ壊れていきます。
その後、著者が小学校3年のときに祖父母の近くに引っ越しますが、母親は娘を使って、祖父母に生活費の無心をさせます。
実の娘なんだし、自分が頭下げればいいだろうに。
しかし、娘は母の毒の実情を祖父母に話しません。
それが、あとに書くように、特に祖父の堪忍袋の尾をきってしまうことになるのですが。
母はやがて仕事をやめ、別人のように太ってしまいます。
まあ、近くに住んで無心するぐらいなら、初めから同居したほうがよかったのではないでしょうか。
それはたぶんあとに書くように、母と祖母が「なさぬ仲」だったので、難しかったのかもしれません。
しかし、小さい娘のことを考えたら、そこは母が折れるべきでした。
ま、毒親にそんなこといっても無理でしょうが。
そして、もう母親がひとつ許しがたいのは、別れた父親の悪口を言うこと。
別れた後、再婚相手が子連れで、もうお前のことなんかどうでもいいんだとささやきます。
自分は別れれば他人ですが、子にとってはいつまでも父親なのです。
他人が、父子関係に干渉する資格なんかないのに。
しかし、この頃から、著者は自分の思いが整理されてきます。
「私が本当に憎むべき相手は、お母さん。あんただ」
それにしても、日常茶飯の暴力で、アザや傷が見えたはずなのに、学校は何も動かなかったのでしょうか。
だから、デモシカ教師とは、まともにやってられないのです。
クラスの子と遊びに行く約束をしても、毒母はイカせません。
かといって、キャンセルの電話もさせないので、著者は小4でクラスでの信用を失います。
母は好きで描いていた絵のノートを破り、勉強以外の図書を禁じます。
著者が中学になっても、暴力はやまず、包丁を著者に投げて、死んでくれ、とも言い出します。
どうして自分が死なないんでしょうね。
自分の人生の不始末を、娘のせいにしているのです。
そして高校入学。
中学を卒業したら、家を出なかったんですね。
ただ、高校で友人から、「毒親」という言葉を聞き、自分がおかれている立場を社会的に認識します。
「母をおかしいと思ってもいい」
「戦っているのは自分だけではない」
そう思えたのが、心強かったといいます。
暴力に対しても対抗すると、それを境に体罰はなくなったそうです。
この主人公は大学まで行っているのですが、私だったら、上の学校を諦めてでも、もっとはやく逃げ出したかもしれません。
まあ、逃げ出せないのも毒親の圧だと思いますので、主人公の「落ち度」とまではいいませんが。
毒母は、毒祖父に育てられていた
私は本書を読んで、もちろん毒母の典型的な毒親ぶりを容認する気はありません。
ただ、いちばん印象的だったのは、主人公の祖父が毒親としての本性を現したときです。
ああ、ついに正体現しやがったな
そう思いました。
私は毒親問題は、親の親に要注意マークをつけます。
毒親たらしめる背景は複雑系ですが、毒親は毒親に育てられる面は第一義的に疑えることです。
でも、それがどういう背景かは、両親を見ないとわかりません。
一般的に子育ては母親が中心になって行うので、母親を中心に見ていきます。
本作でも祖母が登場するので、この人の溺愛がまずいのかな、なんて考えてもいたのですが、何か決め手がない。
そんなとき、祖父が本性をあらわしたわけです。
「第一罪悪感があれば、アイツの言うことを聞かなければいいだろう」
いつも、母親に言われて祖父母に金を貰いに来る主人公に対して、祖父がブチ切れました。
「平気なツラして取りに来るなんて、お前も同罪だ」
「……ふん、そうやって自分の意見も言えないような人間は、社会で生きていけないんだぞ」
厳しいだけで実質のない「説教」です。
なんとなれば、親子というのは対等ではありませんから、「正しくない言い分は聞かなくていい」などという紋切り型の理屈は通らないのです。
対等だったら、毒親なんてものはありえません。
子どもからSOSは出せないのです。
つまり、この祖父はきっと、中身のない紋切り型の説教で、かつては著者の母親を追い詰めていたわけです。
げんに、祖父は毒母にも直接説教しますが、「母親失格」だの「お前は弱い人間だ」だのと、もう身も蓋もない言い方です。
そんな弱い人間に育てた自分の親としての責任は棚に上げて……。
「やっぱりじいちゃんは、あの母親の『親』なんだな」と主人公は気づきます。
しかも、その祖父は再婚で、祖母と母親は血縁関係がありませんでした。
毒母が小4のとき、実母が亡くなって、祖父は1年後には再婚。
毒母の姉は愛想が良いので可愛がられ、毒母は疎外感。
それも、毒母の「心の闇」につながっていました。
著者は、毒母の心が小4で止まってしまったことに気づきます。
要するに、元凶は祖父でした。
以前ご紹介しましたが、2019年4月18日(木)に放送された、『クローズアップ現代+』の、『毒親って!? 親子関係どうすれば・・・』という放送で、キャスターの武田真一さんが、こう自己弁護して涙を流しました。
「あのー、私は、毒親という言葉にものすごく抵抗があって、それを耳にするたびにですね、1人の親として本当にズタズタに切り裂かれるような痛みを感じるんですね」
武田真一キャスターによると、親は子供を思って一生懸命育てており、子供に期待するのは当然ではないかというのです。
それに対して、コメンテーターの岡田尊司医師はこうたしなめました。
「ただ、やはり人間、親子といえども、それぞれ違う特性を持った存在です。だから、親にとって、これが一番いい正解だと思うことをこうしなさいって言うことは、子供にとっては、全然的外れな答えを押し付けることになっているかも分からないですね」
本作の場合、母親も祖父も、愛情の欠片もない暴言ですからそもそも論外なのですが、かりに善意だったとしても、「親にとって、これが一番いい正解だと思うことをこうしなさいって言うこと」自体が、決して対等の立場からのアドバイスではない、ということです。
毒親の毒を明らかにすることこそが唯一の解決法
では、子は毒親から逃げ出すことは出来ないのでしょうか。
「毒親」という言葉の生みの親、『毒になる親 完全版』の著者であるアメリカのセラピスト、スーザン・フォワードさんは、こう述べています。
「たとえ親はまったく変わらなくとも、あなたは子供時代のトラウマを乗り越え、親によって支配されている人生を克服することができる。(中略)あなたに必要なのは、それをやり抜く決意と実行力だけなのだ」
繰り返しますが、毒親は毒親(つまり毒祖父母)に育てられている可能性があるので、親の問題点も、祖父母の問題点もしっかり店晒しして背景を合理的に突き止め、その悪いものは自分の代で止める。
次世代には、できる限りその悪いものを受け継がせないようにすることが必要です。
仏教の世界によると、それは「他因」、すなわち自分の不幸を他者の責任にするよくない行為だそうです。
もっぱら、自分が至らないことを反省しろというのです。
でも、毒親の毒を明らかにすることこそが、唯一の合理的な解決の考え方だと私は思います。
あなたはいかがお考えですか。
以上、毒親に育てられました 母から逃げて自分を取り戻すまで(つつみ著、KADOKAWA)は、タイトル通り恐怖と威圧と虐待の生活を描く、でした。