気がつけば警備員になっていた。高層ビル警備員のトホホな日常の記録(堀田孝之著、笠倉出版社)は著者の半生を描いています。「立つ鳥跡を濁す」ばかりで、いつも逃げていた著者が、いつもどん底になったときに就業したのが警備員でした。
『気がつけば警備員になっていた。高層ビル警備員のトホホな日常の記録』は、堀田孝之さんが、笠倉出版社から上梓した書籍です。
この記事はKindle版をもとにご紹介します。
いつも逃げる、立つ鳥跡を濁す著者が、行き詰まると警備員になる、という半生を振り返った話なのですが、私も似たような人生なので、大いに心惹かれました。
日本は「逃げない」ことが美徳とされていますが、もし著者がそれを守っていたら、過労死していたかもしれない場面もありましたから、私は逃げることが必ずしも悪いことだとは思いません。
立ち向かって玉砕するより、私はよほどマシだと思います。
だって、命あっての物種でしょう。
私も「立つ鳥跡を濁す」のタイプですが、私の場合、理不尽過ぎるからバカバカしくて逃げるか、不条理で間尺に合わない事に対してそのおかしさと正面から対立するかのどちらかで、後者のケースでは、まあ貴乃花元親方的なところがあります。
要するに、著者も私も、薄笑いで自分をごまかしながら要領よく生きていくことができないんでしょうね。
ただ、うらやましいのは、著者が2度も結婚できて、2度も娘ができたこと。
辛いことがあると、女性に逃げ込み不貞を働いたそうですが、そういう相手がいるというのは羨ましいよね。
私は、ルックスも悪いとは言われませんでしたが、それでもモテ期はなかったな。
何しろ元貴乃花さんタイプだから、人が離れていくのでしょう。
著者は娘には会っていないそうですが、そんなにひどいことをしたのかな、相手の前妻だって何ヤッてたかわかんないだろう、といったら言いすぎかな。
だって、子供のことを考えたら、そんなに簡単に離婚てできないでしょう。
そこは不可解でした。いや、著者に対してではなくその配偶者だった人に対して。
実は似た者同士で、著者同様、すぐに逃げるタイプだったんじゃないかな。
その人にはその人の人生はあるわけですが、娘から父親を切り離したことは責任を感じてほしいね。
もちろん、著者もね。
本書は2023年4月26日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
立つ鳥跡を濁して、すぐ逃げるタイプ
著者は、横浜国立大学に入学。
国立だから、試験科目も多いですよ。旧二期校だけどレベルも高いです。
ところが、友だちができないだけで大学を中退したといいます。
後で書きますが、ここはたぶん、本心は少し違うと思います。
そして、映画学校に入ったものの、卒業制作の出来について黙殺されたことで夢をあきらめてしまったそうです。
それでもまだ、クリエイティブな仕事は諦めておらず、エロ雑誌の編集プロダクションで仕事をしますが、激務で失踪。
たぶんこれも本心は、激務そのものの問題ではなく、自分にとって天職と覚悟できないことに、なんでこんなにへとへとになるまでヤる必要があるのだ、ということだったのではないかと思います。
いずれにしても、そうやって立つ鳥跡を濁して逃げてばかりなので「人生詰んだ」といいます。
そんな自分が唯一、きちんとつとめたのは日給月給の警備員だった、という話です。
しかし、その警備員も、すでに結婚していた妻子(娘)との生活のためという気持ちが強く、それはやはり精神的に長続きせず、不貞に走り離婚。
警備員から、編プロに復帰したものの、倒産したり、あたりがきつかったりしたために続かず、結局警備員に戻る。
その間、もう1回結婚して娘も拵えたが、今度はDVで離婚。その時もガールフレンドを作っていたとか。
さらに、別の女性とも婚約していたが、不貞を働いていたら慰謝料200万円とられたと。
それもおかしいよね。
結婚したわけでもないのに、そこまでする女、質悪いんじやない?
私は類は友を呼ぶで、いい加減な生き方をしていると、いい加減な女としか知り合えないということではないかと思いました。
本人は、その理由をこう述べています。
すべては「精神的な弱さ」にあったと思う。
そして、その精神的な弱さを覆い隠すために、常に女性に依存してきた。
不甲斐ない自分を認めてくれる、包み込んでくれる「幻想の女性」に依存し続けてきた。女性の人格や気持ちを省みることなく、ただただ自分にとって都合のいい女性像を押しつけ、それが叶わないといつも裏切った。
著者が、職場から逃げるきっかけの一つに、「がんばっても一つも報われないことがある」と感じたことが書かれています。
まさに、仏教で言う「一切皆苦」ですね。
誰でも大なり小なり、その限界にぶつかるんです。
では、なぜ著者がそれに耐えられなかったのか。
結局、親ガチャではないかと予想
私が思うに、著者の弱さ、薄笑いできない不器用さは、失礼ながら両親が毒親だった可能性がありますね。
暴力やネグレクトではなく、干渉型。
つまり、一見教育熱心で、子供の人生のレールも自分たちができる限り配慮する「良い親」のタイプ。
だから、横浜国大に入れるだけ、入れるだけの文化的水準はある。
でも、それは、子どもの自己肯定感、自立心、判断力などをスポイルしているのです。
ところが、B層は、「大学まで出してくれるんだから、良い親じゃないか」ということになる。
学校も出してくれない親はたしかに困りもの。
でも、出し方も、ことと次第によっては毒親なのだ、ということです。
まあね、著者みたいな人は、警備員は合っていると思います。
「売れる本」を作るというノルマもないしね。
もうひとつ、著者の失敗は、本書にも出てきましたが、仕事で疑問を感じると、「これは家庭のためにやってるい」と思うことね。
妻子との家庭を守るために収入を得なければならないというのはそのとおりですが、それは妻にとっては苦痛ですし、区別と両立しなければダメでしょう。
つまり、経済的なことは経済的なこととして、自分は何のためにこの仕事をしているんだろうという、仕事そのもののやりがいとか、自己実現という意味で仕事をどうとらえるか、という意義付が必要なんでしょうね。
いや、これもね、毒親だから確立できないのです。
いい学校に入れ、話はそれからだ、という育てられ方をすると、そもそもなぜ自分はこの学校に進んだのだろうとか、わからなくなってしまうのです。
著者が大学中退したのは、まさにそうです。
自分軸で生きていない、自分軸で生きるための自我の確立を毒親が妨げたと私は思います。
そうすると、異性との関わり方も距離感がつかめなくなる。
ほどよい相互依存のバランスがわからないのです。
著者は、著者の親に、自我を壊された可能性が高いですね。
私もそうなので、似たような匂いを感じて、本書に引き込まれていきました。
苦労知らずの低級な大衆は、「いつまで親のせいにしているんだ」とか言うのですが、親ガチャがその人の人生に決定的な影響をおよぼすのは、マイケル・サンデルさんもおっしゃっていますよね。
そういう人は、「毒親」とはなにか、について勉強してほしいです。
みなさんは、いかが思われますか。
以上、気がつけば警備員になっていた。高層ビル警備員のトホホな日常の記録(堀田孝之著、笠倉出版社)は著者の半生を描いています。でした。