永遠に許されざる者 日航123便ミサイル撃墜事件及び乗客殺戮隠蔽事件の全貌解明報告(小田周二著、文芸社)についてご紹介します。日航123便墜落事故で子供2人、親族3人を亡くした遺族であり調査分科会会長でもある著者が全容を解明した報告書です。
1985年夏に起こった、日本航空123便墜落事故(日航ジャンボ機墜落事故)についての報告書です。
といっても、政府や日本航空ではなく、遺族である著者が全容を解明した報告書です。
1985年8月12日18時56分、羽田空港を飛び立った大阪行き日航123便、ボーイング747SR型JA8119号機は、飛び立った直後に事故を起こし、長い迷走の末、群馬県多野郡上野村の御巣鷹山に激突しました。
乗員乗客合わせて524名中生存者は4名。
事故原因は、圧力隔壁の破損及び垂直尾翼の脱落による操縦機能の喪失、と発表されました。
これまでにも、公式発表とは違う真相が隠されているのではないか、といわれてきました。
真相が明らかになっていない、という立場からの書籍がたくさん出ています。
たとえば、このブログでは、当時日本航空で働いていた客室乗務員だった青山透子さんが、目撃証言と文献から、公式な事故原因と残された証言記録の矛盾点を大きく5点挙げ、事故原因について別の可能性を指摘しています。
日本航空123便墜落の新事実目撃証言から真相に迫る(青山透子著、河出書房新社)。1985年8月12日に起こった日本航空123便墜落事故について、当時日本航空で働いていた客室乗務員だった著者が、目撃証言と文献で疑問点を指摘したものです。https://t.co/Ia7baHPyBx #日本航空123便墜落事故 pic.twitter.com/p7XcezxuQ0
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) August 17, 2024
みなさんは、この事故をどんなふうにとられられていますか。
本書は、自衛隊標的機が日航機に激突したと指摘しています。
それも、たんなるアクシデントではないのです。
実は不時着できるチャンスはあった
木村太郎
旅客機の翼が傾いて
長野と埼玉の県境付近に
飛んで行くのが見え
空が紅くなり
キノコ雲が上がった。
その後20分ほどして
ヘリが到着した。??
日航機123便の墜落から
わずか20分後に
自衛隊のヘリが到着していた!
という証言を
木村アナが読み上げた。
この決定的証拠は隠滅されました! https://t.co/Vhtuffm8Wt pic.twitter.com/Ok4mjwk6YQ— FinalGathering? (@FinalGathering) August 13, 2024
相模湾上空で最初の激突の際、油圧機能を喪失した123便は、まだどこかに不時着陸できる操縦が可能でした。
そこで、いったんは横田基地に着陸することを求め、米軍も了承しました。
つまり、この時点では全員が助かることができたはずでした。
ところが、自衛隊は、不時着されたら、自分たちのミスがバレてしまうからと、追尾していた自衛隊戦闘機が「着陸禁止」を命令。
123便は、「命が助かる唯一のチャンス」を奪われます。
それでも機長は、諦めずに、長野県川上村のレタス畑への不時着も模索しますが、視認で畑に多数の農民を確認してこれも断念。
そして、上野村山岳において、自衛隊によるとどめを刺す撃墜で、123便は第4エンジンと水平尾翼までが破壊され、御巣鷹山にほぼ垂直状態で墜落しました。
さらに、墜落直後はまだ一定数の生存者がいました。
「墜落した時は、大分多くの人が生きてはって、御父さんも咲子ちゃん(妹)も未だ生きてて、御話しててね。あっちでもこっちでも、がやがやと話し声が聞こえて来て・・・。廻りで皆が話してはった声も、段々聞こえなくなって・・・」(生存者の川上慶子さん)
自衛隊はそこに、焼殺と毒ガス殺戮で息の根を止めただけでなく、地元村民の救助活動も止めてダメ押ししました。
森永卓郎「日航123便の第4エンジンが粉々になって離散している。恐らく、自衛隊機が第4エンジンを攻撃した。自衛隊への批判を防ぐため、中曽根はこれを隠した。現場の遺体は炭化しており、軍隊の火炎照射機のゲル燃料が検出された。証拠隠滅のために自衛隊の特殊部隊が現場を焼き払った可能性が高い」 pic.twitter.com/VYwqucF7eB
— Japan First (@NowJapan2) August 12, 2024
事故調査委員会は、垂直尾翼が壊れて云々と発表していますが、相模湾に落ちたその尾翼をすくい上げることは絶対にしません。
日本航空は、自衛隊の身代わりで「加害者」を自称し、保険会社の金を使って「補償交渉」を行いました。
自衛隊員が、生存者4名を救出する光景を繰り返しテレビが流したことで、「自衛隊は立派だ」などという正反対の「感動」の方向に国民の関心はかわされ、自衛隊犯人説を追求する機運が国民にも高まらなかったこともあったと思います。
なぜ時の総理大臣は動かなかったのか
お蔵入りになった番組
日航機123便の事は闇深いですね
森永卓郎さんの本読みました
そうだったんだぁ 日本政府が…
恐ろしい、血が通った人間のする事では無いです?? pic.twitter.com/0hxH2whSXU— 裕子 (@kkkfff1234k) July 28, 2024
当時、私はテレビを見ていて、三宅裕司の出ていたバラエティ番組でしたが、夜の6時56分に「日航123便が消息を絶った」というテロップが出ました。
その時刻こそが、実は御巣鷹山に激突した時刻だったんですね。
リアルライブというサイトで、冒頭の青山透子さんが暴露しています。
「リアルライブ「あくまで噂なんですが、中曽根さんが米軍の出動を阻止したとも囁かれています」
青山「それはどうでしょうね。ただ、ひとつ言えることは、(青山氏が教鞭をとっている学校の)学生たちと、この事故の前後も含めて一週間後、首相の中曽根さんがどう行動したかっていうのを、新聞にある『中曽根さんの一日』という、首相の動静を書いた記事の部分をすべて逆読みしていくと一切、御巣鷹山に行かずに軽井沢でプールで泳いでいたり、ゴルフしていたり(笑)。他には、自分の人間ドックを優先させたり、ということで驚いたんです。私は学生に言われたんです。『先生、今こんな状態だったら、すぐ辞任ですよね』って」
この報告書は、事件の真相を明らかにするために著者が人生を賭けて取り組んだものであり、その中で事件の背後にある国権力者たちの動機や非道な行為が詳細に記されています。
事件の全容を知りたい方にとって、興味深い一冊と言えるでしょう。
ご関心のある方はご一読をお勧めします。