『マンガで読む名作 地獄変・河童』(原作/芥川龍之介。漫画/地引かずや)は、原作者の心情を色濃く反映したとされる2編の漫画化です。今回は、日本社会を痛烈に批判し、作者の自サツの動機を考える上でも重要な作品と言われる『河童』をご紹介します。
芥川龍之介といえば、社会や人間の批判、諧謔の作品が有名です。
このブログでも、これまで『藪の中』『羅生門』『蜘蛛の糸』『地獄変』などをご紹介しました。
今回の『マンガで読む名作 地獄変・河童』(原作/芥川龍之介。漫画/地引かずや)は、芸術と人間の道徳心の対立と葛藤を描いた、芥川王朝物の代表作とされる『地獄変』と、日本社会を痛烈に批判し、芥川龍之介の自サツの動機を考える上でも重要な作品と言われる『河童』が漫画化されています。
前回は、そのうちの『地獄変』をご紹介しました。
今回は、そのうち芥川龍之介が1927年に発表した中編小説の『河童』についてご紹介します。
本書は、2023年11月6日現在、kindleunlimitedの読み放題リストに含まれています。
人間社会を皮肉った河童の国の文化
芥川龍之介「河童」
すると、――僕が河童と云ふものを見たのは実にこの時が始めてだつたのです。僕の後ろにある岩の上には画にある通りの河童が一匹、片手は白樺の幹を抱へ、片手は目の上にかざしたなり、珍らしさうに僕を見おろしてゐました。小説舞台の上高地河童橋。
来年こそ行ってみたい?? pic.twitter.com/djvAZy78Ro— モクモクもんも (@pp1Egw6sTVPU4Nk) October 28, 2023
主人公は3年前の夏のある日、山登りをしている途中で河童の国に迷い込んでしまいます。
主人公は、「特別保護住民」として、働かなくても生活できる身分を認定されました。
河童の国は、人間の世界とは逆の風習や文化があり、主人公は様々な河童と交流していきます。
河童の国は、少しサイズの小さい東京のような町並みでしたが、文化が正反対、というより、人間社会に対するアイロニー(皮肉)に満ちたものでした。
たとえば、主人公が居候している医院のチャック医師は、人間社会の「女性解放運動」としての「産児制限」だの「ダ胎」だのをコバカにします。
「どこがおかしいっていうんです。ヒ妊やダ胎について議論することは大事なことじゃないですか」と主人公。
「しかし、それは両親の都合じゃないですか。あまりにも身勝手じゃないですか」とチャック医師。
それはそうです。ヤることやッといて、結果はいらないなんて、どこがセイの解放だ、ただのワガママではないか、といわれたら一言もない、と主人公は思います。
チャック医師は、主人公をお産に同行させます。
股を開く妊婦のアソコに、父親が叫びます。
「お前は、この世に生まれてきたいかどうか、よく考えて返事しろ」
すると、アソコの奥からは返事が聞こえてきます。
「親父の遺伝子を受け継いだ人生なんてまっぴらだから、生まれたくないな。河童という存在も好きではない」
それを聴いた医師は、なにかスクリを注入すると、妊婦の膨らんでいたお腹はしゅうっとへこんでしまいました。
要するに、河童の国では、子に生まれるかどうかを決める権利があるということです。
産んでもらったことに感謝しろだのという「親が偉い」人間社会とは、これも正反対です。
これも、子は好き好んで生まれているわけではないのに、親への感謝や親孝行を強要するのは合理的ではないという人間社会への皮肉と思われます。
河童の国には、遺伝的義勇軍というものがあります。
劣悪な遺伝子を撲滅するために、不健全なる男女の河童と結婚せよ、とアジっています。
つまり、釣り合わない結婚をしろと言っているのです。
面白いですよね。人間社会なら、「劣悪な遺伝子を撲滅するため」には、劣悪でない遺伝子の相手を選べと言いますよね。でも、河童の国では、知能も家柄も釣り合わない結婚をしろと言っています。
「そうまでして、遺伝形質を改良しようなんて、人間の世界では考えられないよ」と主人公が言うと、「人間も一緒だと思いますがね。人間界でも、令息が使用人に惚れたり、令嬢が運転手に惚れたりすることもあるでしょ」と河童がいいます。
ここ、わかりますか。
すなわち、人間社会の閨閥や優生思想に対する真っ向からの反論になっています。
つまり、「優秀」とされる人間同士で子孫を残しても、全人口的には、優秀でないとされる人は「根絶」できないし、むしろ人間社会は、ピラミッド的に「優秀」な人とそうでない人が生まれるだけ。
それより、様々な遺伝子の交配の方が、全体としての子孫の発展には合理的だと言っているのです。
そして、実は人間の自由恋愛は、自然に任せればそういう積極性があると言っているのです。
ハン罪のさばき方も独特です。
日本は絞シュ刑を行いますが、河童の国は、被告人に罪の重さを言うだけだそうです。
それだけで、河童は自らシんでしまうのだそうです。
つまり、社会によって手を下してもらわないと気づかない愚かな人間と違い、河童は自らの生き様に自ら決着を付けると。
河童の国のほうが、人間から見ると滑稽に見えるけれど、ずっと純粋であると主人公は考えます。
しかし、やがて主人公は人間の世界に戻りたくなり、河童の国から脱出することにします。
人間の世界に戻ってからは、精神病院に入院させられてしまいますが、河童が見舞いに来てくれたと言い、また河童の国に帰りたくなります。
この物語は、精神病院の患者が話したことを筆記したものだという設定になっています。
やはり仏教の教えなのか
本作は、芥川龍之介自身が、苦悩や不安などを、河童の国を通して人間社会の様々な問題を風刺的に描くことで表現した作品と言われています。
師匠の夏目漱石も、神経衰弱の既往がありましたが、頭が良すぎる人は、センシティブに考えすぎて、人や社会や自分のすべてに対して、点が辛くなるのかもしれませんね。
一節には、河童の国は、阿弥陀仏の住む極楽浄土に往生することを願う浄土教の教えに似ているという見方がありますが、とくに善行に励んだことが紹介されているわけでもない主人公が、「特別保護住民」として迎えられたのは浄土真宗の趣を感じます。
ただ、いったん人間社会に戻るところなどは、往相と還相といって、浄土に言った後、再び現世に戻って迷える衆生を教化することをあらわしていると思われますが、精神病院に入れられてそれがままならないのは、芥川龍之介の人間社会に対する絶望を表現しているのかな、という気もしました。
この記事は、かいつまんだあらすじでご紹介しましたが、本作は芥川龍之介作品としては比較的ヴォリュームのある中編小説です。
河童の国の他のエピソードは、まだたくさんあります。
ご一読をお勧めします。
以上、『マンガで読む名作 地獄変・河童』(原作/芥川龍之介。漫画/地引かずや)は、原作者の心情を色濃く反映したとされる2編の漫画化、でした。