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渡辺晋(渡辺プロダクション創業者)にフォーカスした『まんが悪の帝王列伝残虐非道な日本の経営者たち』(コアコミックス)

渡辺晋(渡辺プロダクション創業者)にフォーカスした『まんが悪の帝王列伝残虐非道な日本の経営者たち』(コアコミックス)

渡辺晋、高度経済成長期の芸能界を牽引した男

まんが悪の帝王列伝残虐非道な日本の経営者たち(コアコミックス)は、実業界で大きな成果を出して名を成した伝説の人物伝です。今回はその中で、“ナベプロ帝国”といわれるほどの隆盛を築いた渡辺晋(渡辺プロダクション創業者・初代社長)をご紹介します。(文中敬称略)

まんが悪の帝王列伝残虐非道な日本の経営者たち(コアコミックス)は、実業界で大きな成果を出して名を成した伝説の人物伝です。

先日は、ホンダの本田宗一郎をご紹介しました。

今回は、渡辺晋(わたなべ しん、正式な表記は渡邊 晋、1927年〈昭和2年〉3月2日 – 1987年〈昭和62年〉1月31日)をご紹介します。

渡辺晋は、戦後日本の芸能界に多大な影響を与えた人物であり、特に音楽プロデューサーとしての功績が際立っています。彼は、多くのアーティストの才能を見出し、育成し、芸能界のプロデュースの先駆者として知られています。以下では、彼の生涯、代表的な功績、そしてその影響について詳しく解説します。

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高度成長期の芸能界を牽引


渡辺晋は、1927年に東京都で生まれました。

父親は満州銀行の副頭取で、幼少期は裕福に育ち、早稲田大学に入りましたが、敗戦で父親は公職追放となり仕送りがストップ。下宿の南京虫すらも食べようとする貧乏ぐらしになったそうです。

ジャズを聞いて、音楽に興味を持った渡辺晋は軽音楽部に入部。

月謝を払えず大学は中退しましたが、進駐軍関係のクラブでバンドのニーズが高まっていたので、バンドを組んであちこちを回っていました。

そんなとき、マナセプロダクション創業者の曲直瀬正雄・花子夫妻の長女・美佐と知り合います。

マナセプロというのは、平尾昌晃や坂本九などを輩出した老舗のプロダクションです。

美佐は日本女子大に籍を置きながら、慶応大学のバンドのマネージャーもつとめていました。

渡辺晋は美佐に接近し、マネージメントを依頼します。

美佐の手腕で、渡辺晋のバンド、シックス・ジョーズは人気が上がってきましたが、「人気はいつまでも続かないぞ」と考えた晋は、結婚した美佐と渡辺プロダクションを始めました。

これは、日本のエンターテインメント業界において、先駆的な芸能プロダクションであり、従来の「興行会社」に対して「タレント育成・プロデュース」という新たなビジネスモデルを提案しました。

ナベプロは単なる事務所ではなく、所属アーティストのキャリア全般を管理し、才能を最大限に引き出すことを目的としていました。

たとえば、専属ミュージシャンは月給制で生活を安定させる、というのが新機軸でした。

最初は、美佐の貯金を切り崩て苦労しましたが、日劇公演で、堀威夫(後のホリプロ創業者)、山下敬二郎、ミッキー・カーチス、平尾昌晃らを起用して大成功。

それがきっかけでテレビから声がかかると『ザ・ヒットパレード』があたり、ザ・ピーナッツ、中尾ミエ、伊東ゆかり、梓みちよ、ツイストブームを起こした藤木孝など、次々人気タレントを輩出しました。

この勢いで、日本テレビには構成やプロデュースすべてを請け負った、ナベプロが担当する実質ナベプロ制作の『シャボン玉ホリデー』がスタート。

クレージーキャッツをスターにしました。

もっとも、人気番組にするにはそれだけコストもかけており、30分番組の『シャボン玉ホリデー』に収録はドラマ並みの3日まるまるかけ、採算的には赤字だったそうです。

『ザ・ヒットパレード』も、最初はノーギャラで行うなどして、番組自体での利益はそれほどでもなかったようですが、自前のスターを作るとともに、「人気番組はナベプロから」というブランディングにこの2番組は貢献しました。

目先の金にこだわらず、先々をみた投資と考えた渡辺夫妻はすごいなと思いますね。

これによって、ナベプロは次々人気タレントが誕生して日本最大の芸能プロとなり、ナベプロ帝国といわれる黄金時代を築いたのです。

しかし、それによって増長したか、反感を食らったか、日本テレビがオーディション番組『スター誕生!』によって、文字通り非ナベプロのスターを誕生させてからは、ナベプロの力も相対的に落ちてきました。

また、渡辺晋が病気(皮膚がん)を患って以前ほどの力を発揮できなくなると、スカウティングも目利きがいなくなりました。

自社のオーディションで松田聖子を採りませんでしたが、渡辺晋はサンミュージックにとられたことを大変残念がったそうです。

月給制の功罪


所属タレントの月給制は新機軸と書きましたが、それはナベプロ帝国崩壊の一因にもなっていました。

月給額は、初期投資回収や、年功序列などをもとに決めていたため、1970年代になっても、その当時の稼ぎ頭だった森進一や沢田研二や小柳ルミ子などよりも、60年代がピークだったクレージーキャッツのほうが高報酬だったことで、タレントの独立騒動がしばしば起こりました。

でも、ザ・ピーナッツやクレイジーキャッツは功労者ですし、実際に彼らは60年代には寝る間もなく働いて会社を大きくしてきたので、彼らを大切にすることはむしろ良いことだと思いますし、むずかしいところですね。

最初から、個人の総売上と生涯報酬の規定を明らかにすればいいのでしょうが、後のことはどうでもいいから、売れた時はたくさんもらいたい、と思うのかもしれません。

後に、沢田研二は独立しましたが、田中裕子と再婚する頃には、「月給日が待ち遠しい」と田中が漏らすようになりました。

沢田も、ナベプロの給与体系のありがたさが、その時になってわかったのかもしれません。

渡辺プロダクションというと、どんなタレントを思い浮かべますか。


まんが悪の帝王列伝 残虐非道な日本の経営者たち (コアコミックス) – アンソロジー


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