『無罪請負人刑事弁護とは何か?』(弘中惇一郎著、KADOKAWA/角川書店、kindle版)をご紹介します。弘中惇一郎弁護士といえば、三浦和義ロス疑惑事件、薬害エイズ事件、小沢一郎氏への国策捜査などの弁護人を受任。
“無罪請負人”の異名を取りました。
司法・検察の腐敗とメディア報道の問題点指摘
弘中惇一郎弁護士といえば、マスコミでもしばしばその名を耳にします。
最近では、ルノー・日産・三菱アライアンスの社長兼最高経営責任者を務めていた、カルロス・ゴーン被告の代理人を受任⇒辞任したことが話題になりました。
芸能人や政治家など、著名人の代理人が多いので話題になりやすいのですが、それだけでなく、社会的な注目を集めた事件の多くを手掛けています。
たとえば、Wikiでは、次のような事件を紹介しています。
クロロキン、クロラムフェニコール、日化工クロム職業病裁判(六価クロム)など多くの薬害事件を担当したほか、マクリーン事件などを担当。ロス疑惑の銃撃事件で三浦和義の無罪、薬害エイズ事件における安部英の一審無罪、障害者郵便制度悪用事件で村木厚子の無罪を勝ち取り、逆に大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件を見抜く。
そこから、本書タイトルにもある「無罪請負人」という異名をほしいままにすることとなったわけです。
その辣腕弁護士が、
- 日本の刑事司法の問題や特捜検察の腐敗ぶり
- 世論を真実から遠ざけるメディアの問題点
などを提起しています。
容疑の根拠に疑問はないのか
弘中惇一郎弁護士といえば、カルロス・ゴーン被告についてもそうですが、マスコミ報道などから、必ずしも世間のイメージがいいとは限らない人の弁護を受任しています。
カルロス・ゴーン被告については、経営者だから、労働者を酷使して、自分は悪どく金を儲けて私腹を肥やしていたのだろうと思っている人が多数かもしれません。
薬害エイズ事件の安部英氏にしろ、ロス事件の三浦和義氏にしろ、マスコミには「怪しいだろう」と思わせられる悪人情報があふれかえっていました。
無罪判決を勝ち取った、陸山会事件の小沢一郎氏については、「豪腕」などといわれ影で乱暴なことをしているから、きっと悪いやつなんだ、という世間の色眼鏡があったことは否定できません。
当時、本当なら小沢一郎氏を養護する側である民主党の一部が、小沢一郎氏を頭から悪者扱いしていたのですから、そんな政権が瓦解するのは時間の問題でした。
日本の刑事裁判は有罪率99%以上といわれ、いったん起訴したものについて有罪には威信をかけています。
そのために特捜検察は、マスコミ報道を利用して容疑者にした人を「悪人」として描き、世間の後押しを得て強引に捜査を進めているといいます。
しかし、そもそも論として、彼らに本当に確固たる容疑があったのでしょうか。
小沢一郎氏については、土地取得の時期を、代金支払時ではなく移転登記時にしたという、別に誰も困らない「手続き上の『間違い』」だけで、秘書当事者を有罪にして刑事事件として処罰する国策捜査が行われました。
小沢一郎氏本人が叩かれまくっただけでなく、秘書を務めた石川知裕氏は、そのことが原因で、せっかく当選した衆議院議員の議席を辞職せざるを得ませんでした。
しかし、その程度で辞職するなら、安倍晋三前総理はどうして同じように叩かれないのでしょうか。
安部英氏は血友病の学者で、ウイルス学は畑違いであるばかりでなく、そもそも医療現場にいた時はエイズウイルス自体発見されていませんでした。
ところが、なにかエイズ問題の元凶のような扱いを受けました。
三浦和義氏の殴打事件は、凶器も発見されないのに実刑判決がくだされました。
「疑惑の銃弾」事件は一罪一勾留の原則を破り、わざわざ保険金詐欺と殺人に分けて逮捕。
さらに日本で無罪が確定したのに、アメリカで起訴するというべらぼうな展開でした。
三浦和義氏のイメージ上の疑惑(目立ちたがり)の発端とされた、米軍ヘリで重体の妻を病院に運んだ際、発煙筒を手に持ってぐるぐる回す芝居がかった場面は、実はメディア側が考え出して三浦和義氏にやらせたものだったといいます。
ことほどさように、メディアの報道による印象操作が、国民の印象に大きな影響を与えています。
真相は、明かされなければわかりませんね。
強引な捜査の理由
では、なぜそのような強引な捜査が行われるようになったのでしょうか。
弘中惇一郎弁護士によると、東京地検特捜部が自らの存在価値を作るためにそうしている、といいます。
高度成長期から低成長、景気後退へと経済が失速していく中で、巨額の贈収賄事件が発生する素地は限りなく小さくなっていきました。
しかし、重要事件を扱うことで特別扱いされていた東京地検特捜部は、自身の金看板がプレッシャーとなり、微罪や形式犯でも無理やり立件することになったのではないか、その姿勢が冤罪にもつながっていると述べています。
もう、東京地検特捜部は時代的役割を終えたのではないか、というのが本書の指摘です。
私も最初は、三浦和義氏は目立ちたがり屋で、そのためなら何でもしそうなイメージがありました。
しかし、無罪判決後も、万引疑惑などマスコミ報道が続くにつれ、「本来の容疑を離れてなぜそこまでして追い回して悪者にしたがるのか」と疑うようになり、アメリカで起訴されて自殺したことを報道で知った時は、「これは追い詰められた結果だろう」と憤りすら感じました。
小沢一郎氏については、当時からおかしいと思ったので、私は懐刀であった平野貞夫元参議院議員に話を持ちかけて、批判本をプロデュースしました。
といっても、私は政治家として小沢一郎支持というわけでもなかったし、平野貞夫さんとも一面識もないんですよ。あくまでも国策捜査批判の精神です。
何が事実で何が憶測かを見極める
本書はさらに、刑事事件化と真相究明は矛盾するという指摘も行っています。
刑事裁判というのは、客観的な真相を明らかにするのではなく、被告人を処罰できるかどうか、そのための証拠集めを判定しているに過ぎないというのです。
「それがどうした」と思われますか。
つまり、民事事件には和解という解決方法があるのに、刑事事件が「黒」か「白」でしか答えを出せないというところに無理があるのではないか、と懸念しているのです。
しょせん、人が人をさばくのですから、白黒をつけられない、それにはなじまないことだってあるのに……。
いずれにしても、事件はマスコミ報道を鵜呑みにしないほうが良いということです。
本書によると、たとえば、薬害エイズ事件は、安部英氏の部下が証言したという「事実」がありますが、その部下は、検察から自分の責任になることを示唆されて、つまり脅かされて安部英氏が悪いように証言したのではないか、と書かれています。
つまり、憶測はもちろん、たとえ事実報道であっても、真実ではない場合もあるのです。
結局の所、弁護士ってなんだろう
たしかに、凶悪事件の被告人弁護士に対して、「なんでそんな奴の弁護なんかするんだ。被害者のことも考えてやれよ」と言いたくなる気持ちはわかります。
でも、その弁護士は、もちろん被告人を守っているわけですが、それだけでなく、権力とマスコミによって作り上げられたイメージと「(有罪ありきの)結論」と戦う、という刑事裁判そのもののあり方を守っているのだ、ということを本書で改めて知ることが出来ました。
以上、『無罪請負人刑事弁護とは何か?』(弘中惇一郎著、KADOKAWA/角川書店、kindle版)は国策捜査などの弁護人を受任の無罪請負人、でした。