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牧野富太郎などをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)。人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考

牧野富太郎などをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)。人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考

牧野富太郎などをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)をご紹介します。人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考します。長寿社会は遅咲きの時代。本書で取り上げられている遅咲きの偉人たちの生き方、仕事ぶりは大いに参考になるでしょう。(文中敬称略)

遅咲き偉人伝(久恒啓一著、PHP研究所)は、文字通りある程度歳を取ってから頭角を現した人たちの話です。

本書で取り上げられている偉人たちは以下の通りです。

【多彩型】松本清張・森繁久彌・与謝野晶子・遠藤周作・武者小路実篤 
【一筋型】牧野富太郎・大山康晴・野上弥生子・本居宣長・石井桃子・平櫛田中 
【脱皮型】徳富蘇峰・寺山修司・川田龍吉 
【二足型】森鴎外・新田次郎・宮脇俊三・村野四郎・高村光太郎

枚挙された名前を見ると、「遅咲き、なるほどなあ」と思いますね。

前回は、松本清張をご紹介しました。

松本清張などをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)は、人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考
松本清張などをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)をご紹介します。人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考します。長寿社会は遅咲きの時代。本書で取り上げられている遅咲きの偉人たちの生き方、仕事ぶりは大いに参考になるでしょう。

今日は、その中から牧野富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日〈文久2年4月24日〉~1957年〈昭和32年〉1月18日)をご紹介します。

牧野富太郎は、高知県出身の植物学者です。

約2500種の新種を発見し、命名も行った近代植物分類学の権威です。

日本の植物に初めて名前をつけた(命名した)日本人です。

日本植物学の父とまで言われています。

その研究成果は、50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っています。

でありながら、学歴は小学校中退です。

学校にいかなかった分、頭角を現すのが遅れたことで「遅咲き」の一人に数えられています。

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65歳で理学博士を取得


そもそも、小学校の入学が12歳と遅めです。

それも2年後には行かなくなり、好きな植物採集に明け暮れました。

採集、写生、観察を重ねながら自己流で研究を続けましたが、徹底的に研究を深めるほど独学の限界を感じ、22歳で東京帝大理学部植物学教室に出入りするようになります。

学籍もないのに出入りできるのか。

今だと「研究生」のような身分かもしれません。

正式な単位取得を目的とせず、特定の研究テーマについて指導を受けながら研究を行う学生のことを指します。

正科生で入ってしまうと、「特定のテーマ」以外の科目も履修しなければならないので、学歴として残らなくてもいいのなら、研究生というのは効率的かもしれません。

社会人が学位論文を書くときとか、大学院の試験に落ちた人とかが、今もこの方法を採ってますね。

25歳で「植物学雑誌」を創刊。

26歳で「日本植物志図篇」を創刊。

28歳ぐらいで名前が知られるようになり、31歳で帝大の助手になります。

ここまで来ると、「在野の研究者」ではなくなりますね。

以後、研究に専念して、遅咲きですが数々の業績を上げます。

65歳で理学博士を取得。78歳で『牧野日本植物図鑑』を刊行。満94歳で亡くなります。

やはり、遅咲きには「長生き」がキーワードです。

私生活では13人の子がいて、うち7人が無事成長したので、生活費も大変だったようです。

研究へのこだわりに見られる徹底主義は、身の回りの品物も最高級のものを買うことになって表れ、借金もずいぶんしたようです。

でも、それを恥ずべきものとも、後ろめたいものとも思わなかったそうです。

借金自体は「した者勝ち」だと思いますので否定しませんが、さて、シ後にその負債はどうなったのでしょうか。

徹底主義と周囲の圧力で遅咲きに


牧野富太郎にとっては、東大に出入りするようになったのは、ひとつの転機と思われます。

諸外国との比較研究や最新の情報は、独学では限界があったからです。

しかし、在野から入ってきた牧野富太郎は、学部上がりの研究者たちから、脅威と嫉妬でずいぶんいじめられたようです。

それも遅咲きの大きな原因だったようです。

「牧野にとっては大学は、謂れなき差別と妨害にあう格子なき牢獄だった。終始圧迫の連続だった。しかしまた同時に、植物学研究者である身にとっては天国でもあった」と本書には書かれています。

「差別と妨害」というデメリット、研究ができるというメリット、そのどちらをとるか。

生きる時の選択って難しいですね。

牧野は後者を取ったことで、少し邪魔はされても、学位と研究できる環境を得たわけです。

「嫌なら、やめちゃえ。どうせ一度の人生、楽なことだけやろう」というのは現代の風潮ですが、それはそのポジションにいるメリットも失うことになり、せっかくの自己実現の可能性も諦めることになりかねません。

「嫌」なことで生じるストレスを、前向きなエネルギーに転化できるかどうかで、人生は変わってくるのかもしれません。

これって、異性との関係にもいえますね

「いい女なんだけど性格がなあ……」とか、「高収入の男だけどルックスがねえ……」とか、悩むメリットとデメリット(笑)

物事の選択をする時、メリットを優先しますか、デメリットを避ける方を優先しますか。


遅咲き偉人伝 – 久恒 啓一

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