生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著者、サンマーク出版)は、宇宙への思いや彗星発見の経験、そして臨死体験を通じて見た不思議な世界について綴られています。天体観測の趣味に臨死体験が加わり、宇宙の視点から自分たちを眺め、環境浄化にも取り組む内容が含まれています。
本書の著者である木内鶴彦さんは、先々週、『証言・臨死体験』(立花隆著、文藝春秋社)でご紹介した方です。
木内鶴彦さんは22歳のときに、原因不明の激痛で倒れ、医師のシ亡宣告を受けます。
ところが、シ亡から蘇生後までの30分の間に、驚くべき体験をすることに。
それがいわゆる臨死体験です。
たとえば、幽体離脱して、父や母など別人格の体に「憑依」したり、空間移動、時間軸移動などを体験したりしたことから、肉体はたんなる乗り物で、ヒトのおおもとは、ひとつの大きな意識体ではないかと推理しました。
『証言・臨死体験』によると、実は外国でも、木内鶴彦さんと似たような臨死体験をした人はいるそうです。
臨死体験で、「過去と未来、宇宙の始まりまでを見てきた」木内鶴彦さんは、その体験をきっかけに、自らの人生観や宇宙観を確立。
彗星の発見、環境問題への取り組み等、その後の自らの生き方にそれを反映したといいます。
実を言えば、今回の書籍でそれをご紹介したかったので、「伏線」を知っていただくために、臨死体験の方もご紹介したのです。
本書では、彗星捜索家である木内鶴彦さんの生き方や、彗星に向けた情熱、地球の未来に対する思いなどが綴られています。
2通りの「地球の未来」像から自分の生き方を決断
木内さんは、臨死体験中に、未来に移動しようとしたところ、同時に2つのパターンの地球の姿を見たそうです。
ひとつは、植物など自然あふれる姿、もうひとつは、荒涼とした姿です。
先日も書きましたが、木内さんの体験は、量子力学の仮説である、ゼロ・ポイント・フィールドと酷似しています。
量子力学では、観測されるまでの粒子は、すべての可能性を同時に持っており、観測によって一つの状態に「収束」するといいます。
どういうことか。
『シュレーディンガーの猫』という思考実験があまりにも有名ですが、箱の中の猫が、ある条件下において、観測されるまでは同時に生きているとも死んでいるとも言える状態にあり、観測したときに初めてどちらかが決まる、観測するまで確定しないというものです。
この考え方を拡張すると、観測されるたびに宇宙のあらゆる現象は分岐する可能性を持つ、無数のパラレルワールドという多世界解釈が導かれます。
ゼロ・ポイント・フィールドは、これらの全宇宙の過去から未来の無数の分岐的可能性が存在する、データベースであるというのです。
木内さんが、臨死体験で、過去や未来、宇宙の始まりなどを見ることができたのは、このゼロ・ポイント・フィールドの仮説と辻褄が合います。
宇宙の始まりや太古の地球社会を見たという木内さんによると、さまざまな生物が地球上に誕生したのは、現在考えられているような「進化論」に適応したからではなく、地球の環境バランスを整えるためだといいます。
太古の地球は、植物中心の生態系を維持しており、それを維持する役割を担って、人間を含む動物が誕生したというのです。
自然は、我々人間も含む全てのものとの調和の中で成り立っており、そのバランスが絶妙で奇跡的であると説いています。
それを崩してしまうことは、先に書いた「荒涼とした地球」の方に分岐してしまうので、その環境を守ることの重要性を考えています。
つまり、人間は昨今、さんざん自然破壊をしていますが、本来の役割はその逆で、高度な知能により、地球環境を守るために存在するのだといいます。
曰く、「砂漠化した地域に植林したり畑を造ることによって、減少した緑を増やす。増えすぎた動物を家畜とすることでその数を整える。環境の変化を自らの頭脳と行動力によって整える働きを、人間という種は担って生まれてきた」というのです。
まあ、そういう意味では、核戦争のための核武装などというのは、一分の理もない愚の骨頂です。
ただし、実は核のあり方にも分岐があり、戦争に使うのではなく、地球に激突する予定の彗星から地球を防御するために、地球からはるか遠くで核ミサイルを打ち込むことで、その彗星の軌道を変えられることも言及されています。
人間の英知は、いかなる価値に使われるかが大切であり、すべては地球の自然を守る調和とバランスに分岐スべきだというわけです。
そのほか、壮大な世界観、宇宙観が本書では語られています。
彗星探索家として地球環境保全を提案
木内さんは臨死体験する前から、星を見るのが趣味だったそうです。
臨死体験後、激務の自衛隊は退所し、彗星研究家として独立しました。
3年間で、3つの未知の彗星と、1つの長らく行方不明だった彗星を発見。
彗星には、発見者の名がつけられることから、 チェルニス・木内・中村彗星(1990)、土屋・木内彗星(1990)、小惑星「木内」(1993)など、木内さんは天文学界に自らの名を刻みました。
そんな木内さんが危惧するのが、現代の「光害」です。
原子力発電によって創られた電気は、蓄えておけないので、政府や電力会社は、電気の消費をアピールしました。
都市や観光地の「ライトアップキャンペーン」です。
政府や電力会社は、電気が足りなくなる(から原発は必要)といいますが、「ライトアップキャンペーン」を見直そうとは決して言いません。
しかし、明るすぎることで、植物は光合成を行う機能に支障をきたします。
植物が育たないことは、地球環境の破壊につながります。
植物が滅びれば、わたしたちは酸素を失います。
夜空の星の観測も、「光害」によって支障をきたしているといいます。
環境問題や原発の問題を、わたしたちはすぐ「政治」で語ろうとしますが、つまり擁護・推進は「右」とか、反対は「左」とかね。
木内さんは、どこかの政治勢力の代弁ではなくて、地球環境を守る立場から、「光害」の改善に本気で取り組むことを求めています。
臨死体験というテーマは、多くの人にとって、最初は突拍子もない話に聞こえるのではないでしょうか。
しかし本書を読み進めていくと、驚きを覚えながらも、木内さんがその体験を自分自身の生きる道に反映していることに納得してしまいます。
本書を読んだ私は、臨死体験や宇宙観もさることながら、天体観測に興味を抱きました。
以上、生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著者、サンマーク出版)は、宇宙観や彗星発見、臨死体験を通じて見た不思議な世界を綴る、でした。