目黒女児虐待事件は、虐待された5歳女児が死亡して女児の両親が逮捕された事件。『パパがごはんをくれない』で漫画化されました。この事件が、「しつけ」と称した暴力を否定する世論の高まりにつながり、児童虐待防止法と児童福祉法が改正されました。
目黒女児虐待事件とはなんだ
目黒女児虐待事件は、2018年3月に東京都目黒区で「しつけ」と称した虐待を受けていた5歳女児が死亡。
女児の両親が逮捕された事件です。
虐待は2年前から疑いを持たれ、父親は2017年に、2度女児に対する傷害容疑で書類送検を受けていたものの、2度とも不起訴となっていました。
翌2019年1月には、やはり小4女児が父親からの暴力を繰り返し受けた末に亡くなった野田小4女児虐待死事件もあり、「しつけ」と称した暴力を許してはならないという世論が高まりました。
それを受けて、2019年6月には、児童虐待防止法と児童福祉法の改正法が成立。
「児童のしつけに際して、体罰を加えてはいけない」との一文が明記されることになりました。
その、2018年目黒女児虐待事件を漫画化したのが、今回ご紹介する『パパがごはんをくれない』(天ヶ江ルチカ、ぶんか社)です。
他に、『氷の子供たち』『令嬢監禁事件』『ふるさと~小売り村~』など3編を収録しています。
虐待を止めるチャンスはあったのに……
本書は、娘の結衣が2歳半のとき、母・由真が結衣の実父と離婚したことから紹介しています。
2人は、香川県のアパートで暮らし始めました。
それが、あるとき、車田哲太という男が、「新しいパパ」すなわち由真の再婚相手としてやってきます。
急な話でなつかない結衣に対して、哲太は当初は寛容でした。
由真が結衣に「抱っこしてもらおうか」と言うと、「だ…大丈夫かな。俺…子供に慣れてないから」と戸惑っていました。
しかし、新しい家庭生活が始まっても、なつかない結衣に対して、哲太は次第に苛立ってきます。
結衣の「しつけがなっていない」として、暴力を伴った「指導」を始めるのです。
しかし、暴力一辺倒だったかと言うと、一応おみやげを買ってくるなど、父親としての「試み」もなくはありませんでした。
それでも、小さい結衣にとっては、母親を取られてしまうような感情もはたらいたのか、やはり積極的になつく様子はありませんでした。
近所からは、「子供の泣き声がひどい」と、児童相談所に通報されたこともりましたが、「特に問題なし」と判断され、簡易相談事案として様子を見るにとどまったといいます。
しかし、結衣は1年間で2度、警察に保護され、哲太は傷害容疑で2度書類送検されるも、いずれも不起訴になっています。
虐待を止めるチャンスはあったのに、それは活かされなかったのです。
2018年に入って、一家は突然、近所に挨拶もなく東京・目黒区に転居。
「しつけ」はエスカレートし、言われたとおりやらないと風呂場で冷水を浴びせます。
母親の由真は、哲太との間にできた子どもに夢中で、哲太の行為を止めることも、結衣にフォローすることもありませんでした。
誰でも紙一重でこの加害者になり得る
この事件を含めて、子への虐待報道については、「この親は鬼畜だ」と非難する向きがあります。
もちろん、行為自体の評価は手厳しくて当然なのですが、問題は、「では自分はどうなのか」ということ。
そういう人は、あくまでもこんな事件を起こすのは特別な「鬼畜」であって、自分はあくまでも「普通」の親だから違う、と思っているのですが、私はそこに疑問があります。
つまり、「鬼畜」と「普通」というのは、絶対に相容れない一線があるわけではなく、実はグラデーション状の地続きで、誰しも間違いうる、つまりどんな「普通」の親でも、鬼畜に転落しうる可能性はあるのではないかと思います。
たとえば、親の中には、今でも「愛情のある」体罰はいいと思っている人がいます。
以前、あるブログで虐待の記事に対するコメントで、「自分は子どもを叩いたことがあるが、その手の痛みをずっと引きずった(だから自分のは愛のムチだと思っている)」というのがあり、なんだ、結局叩いてるんじゃねーか、と思ったことがあります。
これは愛情なんだ、というのは、自分にも都合がいいいい訳ですよね。
その言い訳を傘に来て、1度叩いたのが2度になり3度になり、とエスカレートする可能性は十分にあります。
「母性優先の原則」でよいのか
父親の行為を免罪する気持ちは全くありませんが、子を持ったこともない人間が「なさぬ仲」の子供と信頼関係を築くのはなかなか大変かもしれません。
どんなに毒親でも、実の親子のつながりは良くも悪くも絶対的です。
しかし、なさぬ仲は、信頼関係が全てなのです。
実の親なら、子がなつかなくても「自分の子であることに間違いはない」わけですが、そのつながりがない「新しい父親」はいつも不安なのです。
それをきちんととりもつのは、子の実親、つまり今回なら母親の役割です。
その意味でも、母親の責任は当然問われるべきです。
今回の母親は、自分の立場(妻)が危うくなるから、娘のフォローをしなかったと供述しているようですが、自分ファーストの人が、どうして離婚の際に子供を引き取ったのか。
離婚すると、その多くは「母性優先の原則」から親権が母親側に渡りますが、私はそこに疑問を感じます。
今度の父親には暴力がありますが、たとえ暴力を伴わなくても、実はこの男社会では、夫と妻の立場は対等ではありませんから、夫の不用意な一言(←悪意がなくても)が妻を追い詰める場合があります。
たとえば、妻としてこうしてくれああしてくれという夫の要望があったとして、妻は「良妻賢母」というイデオロギーを多少なりとも意識しますし、もしここで離婚されてもその後の生活が不安だ、ということも考えますから、夫は軽い気持ちで言ったとしても、妻はより重く受け止めます。
濡れ落ち葉の夫を捨てる熟年離婚なんてマスコミはおもしろおかしく報じますが、大半の夫婦は、夫の意図や自覚にかかわらず夫は妻に対して優位な前提にあるのではないでしょうか。
ですから、たとえDVとは無縁の「穏やかなお父さん」でも、妻に対して、支配的な関係ではないとはいえません。
つまり、何を言いたいかと言うと、今事件は父親が直接虐待しましたが、ケースによっては、父親の意図を忖度して、実の母親が虐待する場合だってないとはいえません。
ですから、現代の「男社会」において、シングルマザー、もしくはその後別の男性と結婚した場合を考えれば、子の福祉の観点から、母性優先が本当にいいのかどうかは一概にいえないのではないか。
そのへんも考えさせられました。
以上、目黒女児虐待事件は、虐待された5歳女児が死亡して女児の両親が逮捕された事件。『パパがごはんをくれない』で漫画化されました、でした。
パパがごはんをくれない~2018年東京都M区5歳女児虐待事件~ (ストーリーな女たち) – 天ヶ江ルチカ
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