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石井桃子など人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考しをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)をご紹介

石井桃子など人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考しをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)をご紹介

石井桃子などをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)をご紹介します。人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考します。長寿社会は遅咲きの時代。本書で取り上げられている遅咲きの偉人たちの生き方、仕事ぶりは大いに参考になるでしょう。(文中敬称略)

遅咲き偉人伝(久恒啓一著、PHP研究所)は、文字通りある程度歳を取ってから頭角を現した人たちの話です。

本書で取り上げられている偉人たちは以下の通りです。

松本清張、牧野富太郎は、以前ご紹介しました。

【多彩型】松本清張・森繁久彌・与謝野晶子・遠藤周作・武者小路実篤 
【一筋型】牧野富太郎・大山康晴・野上弥生子・本居宣長・石井桃子・平櫛田中 
【脱皮型】徳富蘇峰・寺山修司・川田龍吉 
【二足型】森鴎外・新田次郎・宮脇俊三・村野四郎・高村光太郎

松本清張などをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)は、人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考
松本清張などをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)をご紹介します。人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考します。長寿社会は遅咲きの時代。本書で取り上げられている遅咲きの偉人たちの生き方、仕事ぶりは大いに参考になるでしょう。
牧野富太郎などをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)。人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考
牧野富太郎などをとりあげた『遅咲き偉人伝』(久恒啓一著、PHP研究所)をご紹介します。人生後半から頭角を現しスターになった人々を論考します。長寿社会は遅咲きの時代。本書で取り上げられている遅咲きの偉人たちの生き方、仕事ぶりは大いに参考になるでしょう。

〇〇型、というのは詳細は本書で確認していただくことにして、枚挙された名前を見ると、「遅咲き、なるほどなあ」と思いますね。

今日は、その中から石井桃子(いしい ももこ、1907年3月10日 – 2008年4月2日)をご紹介します。

『くまのプーさん』『ピーターラビットのおはなし』といった数々の欧米の児童文学の翻訳を手がける一方、『ノンちゃん雲に乗る』に代表される絵本や児童文学作品の創作も行い、日本の児童文学普及に貢献しました。

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人との出会いが財産に


石井桃子は、東京で生まれ育ちました。

幼少期から本が好きで、特に外国文学に親しむ環境で育ちました。

日本女子大学校(現日本女子大学)在学中から、菊池寛のもとで外国の雑誌や原書を読んでまとめるアルバイトをはじめます。

1928年3月、同英文学科卒業。仕事で知り合った犬養健と親しくなり、1929年信濃町の犬養家の書庫整理に従事します。

犬養健とは、犬養毅元首相の三男で、自らも政治家や作家として活動しました。

1930年から1933年まで文藝春秋社に勤め、永井龍男のもとで『婦人サロン』『モダン日本』などを編集しました。

そして1933年、犬養家でクリスマスイブに『プー横丁にたった家』の原書”The House at Pooh Corner”(西園寺公一から健の子である犬養道子や犬養康彦へのプレゼントだった)と出会い、感銘を受け、道子や康彦や、大学時代の先輩で同僚だった病床の小里文子のためにプーを少しずつ訳し始めます。

1934年6月~1936年6月までは新潮社に勤務。吉野源三郎や山本有三らと『日本少国民文庫』の編集にあたりました。

そして、独立して犬養家の書庫を借りて児童図書館・白林少年館を開設。1940年11月には白林少年館出版部を創設し、紙不足に苦しみつつ『たのしい川邊』(ケネス・グレアム作、中野好夫訳)を刊行します。

戦時中で紙の供給にも事欠きましたが、『クマのプーさん』や『ドリトル先生「アフリカ行き」』などを翻訳しました。

戦後は、食糧難から宮城県栗原郡(現在の栗原市)で友人と共に開墾・農業・酪農を始めていましたが、岩波書店で『世界』編集長となった吉野源三郎や小林勇から編集業務の復帰を請われ、1950年岩波書店に入社して『岩波少年文庫』の企画編集に携わります。

そして、1951年に藤田圭雄の紹介で光文社から刊行した『ノンちゃん雲に乗る』が第1回芸術選奨文部大臣賞を受け、ベストセラーとなり、1955年に鰐淵晴子主演で映画化されました。

どこが遅咲きなんだ、と思いますよね。

要するに、作家としてあたったのが「遅咲き」で、それまでは、翻訳家や編集者という「縁の下の力持ち」だったという話です。

しかし、その「縁の下の力持ち」時代の人脈がすごいと思いませんか。その時代に力をつけたんでしょうね。

もちろん、本人の能力が評価されたこともありますが、菊池寛や犬養健などは、自分からアプローチしていますね。

やっぱり、成功するには人のつながりは大事なんだなあ、と思いました。

農業ヤッていたのを、編集の仕事に戻してくれたのも、同僚だった吉野源三郎ですからね。

コネやツテができるということだけでなく、価値観とか生き方といったことについて、影響を受けたんじゃないかと思います。

作家デビューが遅かった分、石井桃子の最後の作品は、彼女が96歳のときに執筆した『こどもたちへ』です。

96歳まで現役なんて、すばらしいことです。(享年101歳)

人生100年時代というけれど


最近は、「人生100年時代」なんていわれますね。

平均寿命が男女とも80歳を超えて、世界一の84.2歳。

100歳超えの日本人は8万人。

しかし、その8万人と、はたして街で出会いますか。

喫茶店でおしゃべりしたり、商談で名刺交換したり、食べログで人気の店に並んだりしていますか。

けっして、健康年齢が「100年時代」というわけではないですよね。

それは、もちろん病気や加齢による衰えもありますが、その人自身の生活態度や気力も大きな要因でしょう。

たとえば、まだやれるのに、「還暦過ぎたのに起業なんかできるか」とか、「古稀過ぎてるんだから静かに暮らしたいよ」とか。

いや、本気でそう思うなら、もちろんそれでいいのです。

そうではなくて、「どうせ」とか「きっと」のように、自分でわざわざネガティブな思いや、エクスキューズを脳内に作り出して消極的になっているのなら、それはもったいないと思うのです。

60歳からなにか始めたって、90歳まで頑張れば30年あるじゃないかと。

私は、振り返るとずーっと迷走した人生だったので、ひとさまより、だいたい40年ぐらい遅れている(汗)と自覚していますから、これからの日々は大切に、1日でも長く、「遅れ」を取り戻すべく励みたいと思っています。

ま、40年も遅れたら、100年生きても追いつかないんですけどね。なるべく追いつくように。

石井桃子のように、96歳で作品を発表する現役作家の存在は励みになります。

もっとも、私にはコネやツテの類は一切なく、手元不如意の徒手空拳なんですが、みなさんは人生を支えてくれるようなブレーンやメンターなどはおられますか。


遅咲き偉人伝 – 久恒 啓一

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