竹鶴政孝など『1日1ページで身につく 教養として知っておきたい 世の中を変えた偉人365』(和田孫博、SBクリエイティブ)をご紹介します。タイトル通り、毎ページに1年分の日付をうち、各ページに1人ずつ偉人の人生や功績をまとめた中身の濃い書籍です。(文中敬称略)
先日もご紹介した、『1日1ページで身につく イラストでわかる 科学の教養365』の第二弾だそうです。
先日は、早川徳次をご紹介しました。
「発明・発見」「宗教・思想」「文化」「芸術」「政治」「ビジネス」「冒険家・アスリート」という7つのジャンルの古今東西の偉人について、1ページの中で功績や生涯をクイズと文章で構成しています。
それを365ページ。
つまり、1日1ページ読んで、1日1人ずつ偉人の生き様や功績を知ってください、という内容です。
ルビが振ってあるので、小学生はもちろん、大人が読んでも知らない偉人もたくさん含まれています。
老若男女が、世界にはこんなにすごい人たちがいたことがよく理解できるようになっています。
この中から、今日は竹鶴政孝(たけつる まさたか、1894年6月20日~1979年8月29日)をご紹介します。
竹鶴政孝は、ニッカウヰスキーの創業者です。
そして、サントリーウイスキーの直接的始祖、マルスウイスキーの間接的始祖でもあるので、それらの業績から「日本のウイスキーの父」と呼ばれています。
私は、ウイスキーについてはさっぱりなのですが、連想する会社は、サントリーとニッカです。
その両方に深く関係するということは、まさに竹鶴政孝なくして、こんにちの国産ウイスキーの隆盛はなかったということでしょう。
本書から、人生と功績について簡単にご紹介します。
日本で初めて本格的なウイスキー製造を確立
本日8月29日は、
日本の本格ウイスキーづくりに人生をかけた ニッカウヰスキー創業者 竹鶴政孝の命日にあたります。「日本人に本物のウイスキーを飲んでもらいたい…」
ニッカウヰスキー第二の蒸溜所である宮城峡蒸溜所は、冷涼でありながら穏やかな気候。… pic.twitter.com/9c1fM8Y5Qs
— ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所【公式】 (@nikka_miyagikyo) August 29, 2024
竹鶴政孝は1894年に広島県竹原市で生まれました。
竹鶴家は頼家、吉井家と並ぶ竹原の三大塩田地主のひとつで、1733年(享保18年)から酒造業も手がけていたそうです。
大阪高等工業学校(現在の大阪大学)では醸造学を学び、卒業後は当時洋酒業界の雄であった摂津酒造に入社しました。
その後、ウイスキーの本場であるスコットランドに留学し、現地の蒸留所で技術を学びました。
帰国後、大阪の桃山中学(現:桃山学院高等学校)で教壇に立ち、化学を担当していましたが、洋酒製造販売業者寿屋(現在のサントリー)が本格ウイスキーの国内製造を企画していたことで、1923年に寿屋(現在のサントリー)に招かれました。
竹鶴政孝の最大の功績は、日本で本格的なウイスキー製造を確立したことです。
日本初の本格的なウイスキー「白札」を製造しました。
今のサントリーホワイトです。
サントリーホワイトの特徴を、Copilotに枚挙してもらいました。
甘い香り、柑橘系の果実香、紅茶、樽由来の香りが特徴です。ピートは控えめで、スモーキーさはほとんど感じられません。口当たりはまろやかで、強めのハチミツのような甘さがあり、程よいビター感とアルコールの刺激がありま。キレのある後味が特徴で、クセのない甘い風味が楽しめます。風味が崩れず、まろやかな味わいを楽しめます。爽やかな飲み口で、食事と一緒に楽しむのに最適です。価格も手頃で試しやすいウイスキーです。
庶民的で多くの人に親しまれそうですね。
その後、1934年に独立し、大日本果汁株式会社(後のニッカウヰスキー)を設立しました。
ウイスキーは、できるまで何年もかかるため、通年では果物のジュースを販売していたことから、「第日本果汁」という社名になったようです。
竹鶴政孝の生涯は、NHKの連続テレビ小説『マッサン』のモデルにもなっています。
ちなみに、ウイスキーと日本酒とワインの違いは、ウイスキーだけが蒸留酒です。
蒸留することで、不純物が分離され、純度が高くなるわけです。
ウイスキーとブランデーは、ウイスキーが大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物を、ブランデーはブドウやリンゴなどの果物を原材料にする点に違いがあります。
リスクが大きいウィスキー製造事業
晩酌
4㍑のサントリーホワイトを500mlのペットボトルに移し替えて1本だけ持参しました。
地元ではみかけないベビーチーズとともに?? pic.twitter.com/aF92rWQ1gu— わく@清貧ノマドFIRE (@waku_fire) September 10, 2024
竹鶴政孝の生き様からは、以下のような教訓が得られるとCopilotは回答しています。
1. 情熱と専門性の追求
竹鶴政孝は日本で初めて本格的なウィスキーを製造するために、スコットランドでの留学を決意しました。異国の地での学びを通じて、ウィスキー製造の技術を身につけ、日本に持ち帰りました。
2. 逆境に負けない精神
彼は多くの困難に直面しましたが、決して諦めませんでした。例えば、ニッカウヰスキーを設立した当初は、ウィスキー事業がなかなか軌道に乗らず、リンゴジュースの製造から始めることになりました。それでも、彼は信念を持ち続け、最終的には成功を収めました。
3. 革新とリーダーシップ
竹鶴政孝は、常に新しいことに挑戦し続けました。彼のリーダーシップは、周囲の人々にも大きな影響を与えました。例えば、彼の元で働いた多くの人々が彼を慕い、彼のビジョンを共有しました。
4. 国際的な視野
彼はスコットランドでの経験を通じて、国際的な視野を持つことの重要性を理解しました。この経験は、彼のウィスキー製造における品質へのこだわりにも反映されています。
竹鶴政孝は、安定した人生を目指すなら、教職についたところで達成できたはずですが、よりよい品質のウィスキー作りをどうしても実現したくて、そこで満足せずに、常に新しいことに挑戦し続けました。
サントリーで、大きな仕事をしているので、そのまま残ってもそれ相当のポストにはあったと思いますが、あえて自分の理想を実現できる場を作るために独立しました。
ウィスキーは、製造工程と熟成期間を合わせると、3~10年かかるといわれています。失敗は成功の母、なんていいますが、10年間もロスしたら、そんな綺麗事では済まないでしょう。
時間とコストを考えると、大変な賭けだったと思いますが、そのチャレンジ精神によって、こんにちのウィスキーがあるわけです。
私はアルコールはいただきませんが、お好きな銘柄はありますか。
以上、竹鶴政孝(1894年6月20日~1979年8月29日)はニッカウヰスキー創業、サントリーウイスキー直接的始祖など「日本のウイスキーの父」、でした。