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『舞姫』といえば、近代文学史上に残る森鴎外の長編小説。『まんがで読破』シリーズとしてバラエティ・アートワークスが漫画化

『舞姫』といえば、近代文学史上に残る森鴎外の長編小説。『まんがで読破』シリーズとしてバラエティ・アートワークスが漫画化

『舞姫』といえば、近代文学史上に残る森鴎外の長編小説。『まんがで読破』シリーズとしてバラエティ・アートワークスが漫画化しました。帝国大学を主席で卒業した国費留学生が、自分軸で生きられない苦悩とドイツ人女性との相克を描いています。

『まんがで読破』シリーズの『舞姫』は、森鴎外/原作の同名の小説を、バラエティ・アートワークスが作画、Teamバンミカスから上梓しました。

舞姫、というのは「おどり子」という意味です。

帝国大学の法学部を主席で卒業した主人公・太田豊太郎は、国費でドイツに留学する超エリートでしたが、ドイツの踊り子・エリスと知り合い、子供ができるまでの仲になったものの、日本で重要なポストで迎えられる機会に、パラノイアになってしまった踊り子をお腹の子供ごと捨ててしまった話です。

『舞姫』も、先日の『破戒』同様、近代文学史上に残る自然主義文学といわれる潮流の作品です。

自然主義とは、社会の矛盾やきれいごとのない人間の生き様を深く掘り下げる文学的潮流、といったところでしょうか。

『破戒』は、部落差別という「社会の矛盾」、それに対して主人公が自分の身分を隠したものの、最後は告白する「生き様」を描きました。

『舞姫』は、家制度という矛盾と、名誉を取るか、子供までなした外国の女性を取るかという生き様を描いたところでしょう。

主人公は森鴎外自身がモデルと考えられていて、エリスも実在のモデルについて言及した書籍もあります。

『人間失格』の主人公・大庭葉蔵も太宰治が主人公と言われています。

『人間失格』(太宰治/作、比古地朔弥/構成・作画、学研パブリッシング/秋水社)は、人間関係に迷う生き様を描いた小説の漫画版
『人間失格』(太宰治/作、比古地朔弥/構成・作画、学研パブリッシング/秋水社)は、人間関係に迷う生き様を描いた小説の漫画版です。他人の前では道化に徹し、本当の自分を誰にもさらけ出せない男の、幼少から青年期までを男の視点で描いています。

『坊っちゃん』も夏目漱石自身の経験に脚色を加えたと言われていますし、この頃は著者自身の生きざまや考え方を作品にしたものが多かったのですね。

本書は2022年11月29日現在、AmazonUnlimitedの読み放題リストに含まれています。

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自分軸の人生になりきれなかった

主人公の太田豊太郎は、東京帝国大学法学部を主席で卒業。

司法省に入省し、国費留学生としてドイツに渡ることになります。

その親友は相沢謙吉。やはり東京帝国大学医学部を主席で卒業。

太田豊太郎が国費留学することを知り、私費で自分もドイツ留学します。

豊太郎の母は、女手一つで豊太郎を育てた武家出身の女性。

豊太郎が主席で卒業したことで、授与された恩寵時計(天皇からの贈り物)を父親の仏壇に飾ろうとしたところ、母親はまず宮城に向かって天皇への拝謝をしてから仏壇に供えました。

一家の長より国家の長。

一人息子ではなく家督を継ぐ長男。

士族の人は、家制度イデオロギーがしっかり刷り込まれています。

ベルリンでは、ドイツ駐在公使の矢部長官に挨拶。

その夜、歓迎会で劇場に連れて行かれます。

そこで踊ってたのトップダンサーが、エリス。

矢部長官のお気に入りです。

彼女たちは、舞台での活躍こそ華やかですが、夜は舞台、昼は稽古でこき使われ、もらえるのはわずかばかりの給金。

衣食にも困る生活から、タニマチのオヤジに体を売って身過ぎ世過ぎしています。

矢部長官はエリスを買いたいのですが、エリスはいつも断っています。

さて、伯林(ベルリン)大学では、「法とは何のために存在スべきか?」というテーマで、太田豊太郎がさされました。

太田豊太郎はこう答えます。

「法はまず国家の歴史・文化・伝統に立脚したものであることが求められ…私の母国日本においては元首である天皇を中心に、国民ひとりひとりが果たすべき義務を定めています。国家の反映を目指すために存在スべきだと思います」

教官は、「実に日本人的な良い意見だと思います」

なんか皮肉っぽいですね。

一方、相沢謙吉は、こう答えます。

「国の未来とか…そういうのは話が大きすぎてあまり想像つかないけど…俺の目が届く世界なんてせいぜい家族とか恋人・友人その程度です。でもその人たちの幸福をみなさんも願ったりするでしょう?
ささやかな幸せでいいんです。そんな人たちがみんな幸せに暮らすために法が存在すればいいと思います。」

すると、周囲は絶賛。

教官も「うむ、すばらしい意見だ」

反応に驚く相沢謙吉。

「驚いたな。日本であんなこと言ったら講師にどやされるぜ」

そんな相沢謙吉に対して、焦りを覚える太田豊太郎。

自分の教科書通りのはずの回答が、あまりにも矮小な気がしたのです。

「くだらない。情けない。日本て学んだことが、世界でこんなにも遅れているなんて」

持参した恩寵時計を見ながら、つぶやきます。

「僕はエリートなんかじゃない。ただの日本人だ……」

……と、その時、強盗が背後から太田豊太郎の襟を掴み、短剣を突きつけ、「金を出せ」と迫りました。

「馬鹿な真似はよすんだ。金が必要なら相談に乗るから……」

強盗は大声で拒みます。

「ほどこしを受けるぐらいなら、罪人になったほうがマシだ」

その声が女性であることに気づいた太田豊太郎は後ろを振り向くと、なんと強盗は踊り子のエリスでした。

「トップダンサーのキミがなぜ……」

泣き出すエリス。

「トップダンサーなんて無意味な肩書だわ。いつも生活はギリギリ。父が死んだの。私の僅かな稼ぎと、父の収入で母と家族3人なんとか生活してきた。父親を失っても、葬式をあげるお金すらない。他の踊り子たちみたいに、特別なお客をとればお金はすぐに手に入る。でも、どんなに苦しくてもプライドだけは売るな…私は父にそう教えられた。…でも母の考えは私と違ったの。娘の私に、身体を売れって言ったのよ」

太田豊太郎は、エリスに罪人になってほしくないから、恩寵時計を売って金にしたら良いといいます。

エリスはその厚意を受け入れ、お金は少しずつでも返すと約束します。

恩寵時計を手放したのは、エリスがちょうどよいきっかけだったのかもしれません。

それ以降も、悩み続ける太田豊太郎。

僕は何のためにドイツに来たのだろう。

任務を全うして国に貢献するため?

出世して家を興すため?

学問を究めるため?

……すべて自分の意志とは違う

母の望むように出世の道を歩み、司法省の望むようにドイツへ来た…

所詮、周囲の望むようにしか生きてこなかったんだ…

太田豊太郎は、今風に言えば、自分軸で生きていないことに気づいたのです。

自我の目覚めです。

そんな太田豊太郎にとって、自分の意志によるふるまいが、エリスとの交際でした。

ヤキモチを焼いた矢部長官が、太田豊太郎の帰国を決めます。

留学途中に帰国ということは、出世の道が立たれたことを意味します。

「帰国命令は突っぱねろ。汚名を背負ったまま日本に帰っても出世は望めん。突っぱねて免官ならそれでも良い。ドイツに残れ」と相沢謙吉。

日本の新聞社から、ドイツ駐在の通信員としての仕事があったのを、相沢謙吉が譲ってくれるといいます。

相沢謙吉は帰国し、太田豊太郎が返り咲くチャンスを作るともいいます。

太田豊太郎は免官願いを提出し、エリスの家で暮らすようになります。

国費もストップし、通信員の生活は裕福ではありませんでしたが、ドイツのメディアに幅広く触れ、ただの留学生では出来ない、世界を勉強する機会を得ました。

何より、エリスとの生活は幸せで、太田豊太郎は、やっと自分軸の人生を送れるかのように思われました。

しかし、その道筋を作ってくれたのは相沢謙吉です。

ということは、しょせん、それも自分軸ではなかったのでしょう。

相沢謙吉が、約束を守って持ってきた「返り咲くチャンス」は、日本の有力大臣の側近として働くことであり、すなわち太田豊太郎がエリスと別れて帰国することでした。

太田豊太郎は、それを突っぱねても良かったし、どうしても譲れない一線として、エリスとともに帰国することを条件とするとか、今度こそ自分軸の人生を確立すべき機会でしたが、結局は相沢謙吉の言いなりになり、エリスを捨てて帰国することにしました。

太田豊太郎の子を宿したエリスを捨てて。

またもや他人軸です。

母親の訃報を聞いたことも、判断に影響を与えたのでしょうか。

エリスは、太田豊太郎が離れていくショックから、パラノイア(偏執狂)になってしまいます。

太田豊太郎は勝手なもので、「相沢謙吉が如き良友は、世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心、今日までも残れりけり。」と、相沢謙吉を逆恨みします。

またしても毒親がキーワード

本書も、昨日ご紹介した『破戒』同様、またしても毒親がキーワードになっていますね。

毒親に、無理やりレールを作られたために、そこを外れることが許されず、そのうちに外れることが怖くなり、自己肯定感の弱い人間になってしまうのです。

母親の言いなりになって大学を主席で卒業したのも、親友の言いなりになってエリスを捨てたのも、結局は自己肯定感の欠如です。

途中、母親の訃報が入ったのは実に象徴的で、あれは、訃報によってまたしても母親の呪縛が主人公を締め付けたのと、もうひとつは、毒親の刷り込みというのは、たとえ一緒に住んでいなくても、親が亡くなっても、ずっと子にはつきまとう、ということをあらわしていて、なかなか深い展開だなと思いました。

士族出身というのは、江戸時代から家制度にあったわけです。

このブログでは、米澤結さんが、ディスカヴァー・トゥエンティワンから上梓した『お墓、どうしますか? 変容する家族のあり方』というKindle本をご紹介したことがあります。

『お墓、どうしますか? 変容する家族のあり方』は、家族と墓の在り方が江戸時代から現代までどう変わったかをまとめています。
『お墓、どうしますか? 変容する家族のあり方』は、家族と墓の在り方が江戸時代から現代までどう変わったかをまとめています。著者の米澤結さんが、大学院時代の研究テーマとして調べたデータがたくさん含まれた実証的書籍です。

同書によると、商家は、奉公人を含めた大家族でしたが、跡継ぎは奉公人から抜擢するなど婿養子が基本だったそうです。

血縁よりも事業継承が大事だったようです。

一方、武家はのちの家制度につながる父系長男主義だったそうです。

その教えを守っているのが、太田豊太郎の母親です。

そんな人に育てられたら、旧弊なものを刷り込まれてしまいます。

時代の価値観は、ドイツ人と結婚して帰国という選択肢はなかったのかもしれません。

しかし、しがらみだの常識だのにとらわれず、子供まで出来たのですから結婚して帰国すればそれで良かったのです。

というより、子供が出来ても結婚しなかったことが不思議ですね。

帝国大学を出ていようが、ふざけた生き様です。

そしてそれは、親も不明を恥じるべきだと思います。


みなさんは、いかがお考えになりましたか。

以上、『舞姫』といえば、近代文学史上に残る森鴎外の長編小説。『まんがで読破』シリーズとしてバラエティ・アートワークスが漫画化、でした。


舞姫 (まんがで読破) – 森 鴎外, バラエティ・アートワークス

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