若年性アルツハイマー認知症に苦悩する主婦を描いた『私がいなくなる』は、なかのゆみさんの『貧困の家 (1)』(ぶんか社)に収載されています。18歳~64歳までに発症するアルツハイマー型の認知症で、患者数は全国で10万人とも推定されています。
若年性アルツハイマー認知症を題材にしているのは、なかのゆみさんの『私がいなくなる』という漫画です。
『貧困の家 (1)』という単行本に収載され、ぶんか社から上梓しています。
ストーリーな女たち、というシリーズ名がついています。
同書は、「貧困」というテーマになっていますが、いじめや難病などをテーマとする物語も含まれており、たんに金銭的なことだけではなく、「心の豊かさ」が欠けた状態、という意味も含まれているように思われます。
目次です。
- 冷たいひまわり
- つぶされた心
- 大借金
- 私がいなくなる
- 襲う激痛
下の子どもを水難事故で失ってから、夫は単身赴任、妻はショックで失語症になり、精神的な孤独に陥っていた娘は、いじめがエスカレートして殺人未遂にあい、家族が心を寄せ合いやり直すことを誓う話です。
夫が借金の連帯保証人になって自殺した家庭の主婦が、新しい恋人に言いくるめられて娘2人を殺そうと計画。上の娘は母親を生涯許すつもりはありませんでしだが、母親が出所して真面目に暮らす中で、電話で話をするだけならいいかもしれないと心を軟化させる話です。
父親とは断絶、子依存の激しい母親には言い募られて名門高校に入ったものの、あることからいじめにあい退学。売春など転落の一途をたどりましたが、父親が多額の借金を作ったこと機会に家族が心を寄せ合いやり直すことを誓う話です。
若年性アルツハイマー認知症に罹った主婦が、失敗を繰り返す中で姑のいじめもあり離婚。しかし、母親のいないところで中学の卒業や高校の入学を過ごした息子の希望がきっかけで、またやり直す話です。
画像診断や、尿・血液検査でも異常が見つからないのに、体中の猛烈な痛みに悩む夫が、何件も病院を回る中でやっと繊維筋痛症であるとの診断。その間も、夫に寄り添い解決を模索した家族の話です。
ということで、「借金」がテーマになったのは、「つぶされた心」ぐらいです。
タイトルに「大借金」とあっても、後半にちょろっと出てくるだけで、「負債」がストーリー全般を覆う展開はありません。
なかのゆみさんといえば、難病シリーズ全17巻の一部をご紹介したように、ある人の不幸をめぐって、周囲の家族や親類はどう向き合うか、というテーマの物語に実績のある方です。
その意味で、今回も『私がいなくなる』をご紹介することにしました。
初出は、『恐怖の快楽』(2002年4月号)です。
本書は2023年2月18日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。
認知症になっても母親は母親
「お母さん。味噌汁にみそが入ってないよ」
中学生の息子に注意されるお母さん、花坂友子。
最近、物忘れが多くなってきたと自覚しています。
それにしても、味噌汁に味噌が入ってなければ、色や香りでわかるでしょうに。
「今夜は鍋が良いな」とリクエストする夫。
友子は、物忘れの自覚症状があるので、「鍋料理」とメモしています。
息子はカツカレーがいいと言いましたが、それはメモしませんでした。
そして、夫と息子を送り出した後……
「あら、私、なにをするつもりだっけ。今日はお布団ほしちゃおう。あれ、息子は夕食なにがいいって言ってたっけ。まあ、いいか。後で思い出すこともあるし」
パートに出る友子。
「10年間、この会社でパートをしているけど、最近みんなの目が怖い。時々、私がミスしたり、仕事が遅いせいだと思うけど」
「花坂さん。これ、市川の鈴木さんに届けてきてくれないか」
ところが、友子は市川の場所もわからず、鈴木さんも思い出せません。
「もう仕事をするのは、限界かもしれない」
こういうことは初めてではないようで、上司はブチ切れます。
「今までお世話になりました」
10年働いた割には、あっけない最後でした。
もっと早く、自分から退職すべきだったと後悔する友子。
病院では、若年性アルツハイマー認知症と診断されます。
「若くても、病気になってしまう人がいます。今度、ご主人にもきてもらわないと」と医師に言われる友子。
息子がまだ中3なのに、私の脳が壊れていくなんて、いつか自分で自分がわからなくなってしまう日が来る。
私が生きていても、私の人格が消えてしまう。私がいなくなる。
どうしよう。怖いわ。これからどうすればいいの。
友子は、病院の先生から言われたように、名前と情緒をメモ書きし、「私はアルツハイマーです。この住所に連絡してください」と書き添えてかばんの中に入れます。
夕食は、なにを頼まれたのかも忘れてしまいました。
自分でも、どこを歩いているかわかりません。
歩道橋にいる中年男性に尋ねようと思ったところ、その人はそこから飛び降りようとしていました。
必死に止める友子。
「死なせてくれよ。リストラされて1年。どこも雇ってくれないんだ。家のローンや子供の教育費などで、もう借金だらけで。オレが死んだら保険金が入る。それしか方法がないんだ」
死ぬ気なら何でもできる、と諭す友子。
「私も今日、会社クビになったの。今、4万あるわ。奢ってあげる。飲もう」
後で書きますが、ここは私は眉をひそめました。
「そのかわり、私をこの住所まで送って欲しいの。そのお礼よ」
と、先程のメモを差し出します。
「えっ?あんたボケてんのかい?オレより若いのに…」
その日、友子は暴飲します。
そして、気がつくと裸で、その人とベッドをともにしていました。
おっぱいも出しています。
夜の3時。タクシーで帰らなくちゃ、いったい私、なにやってるのかしら。よく覚えてない。
帰ると、夫が寝ずに待っていました。
そりゃそうだよね。
「主婦が、こんな時間までなにしてたんだ」
当然のことながら、咎める夫。
「飯も作らず、冷蔵庫の中には殺虫剤や洗剤なんか入れて、殺す気か」
まあ、それは認知症のなせる過ちですから仕方ないですが……。
息子も出てきます。
「うるさいな。受験生がいるんだぜ。静かにしてよ。落ちたら恨んでやるからな」
パートにいくのに、布団を干してしまったために、夕方からの雨で布団もびしょびしょになってしまいました。
「私、病気なの。病院へ一緒に行ってほしいの」
次の日、医師は夫にも話します。
「家族で、この病気を理解して、支えてください」
「まだ若いのに」と憔悴する夫。
夫は、自分の母親に来てもらうことにしました。
姑は、ここぞとばかりに点数稼ぎ。
ごちそうを作り、息子と孫を喜ばせ、さっそくその夜は、息子に離婚を迫ります。
「このまま治らず死んでいくんだよ、これからたくさんの人に迷惑かけるんだよ」
それは友子に聞こえていました。
友子は、息子の受験が終わるまでは、なにを言われても我慢しようと考えます。
1ヶ月後、息子が高校に合格。
その夜、友子は離婚届を置いて家を出ました。
そして、寝た男に連絡を取ります。
「私のバッグの中に、困ったときは電話しろってメモを入れてくれてありがとう」
「あんたのおかげで、トラックの免許をとることができたよ。借金を返す目標ができて楽しいんだ。命を救ってくれたんだからお礼をしないとね」
「あの夜のこと、あまり私、覚えてないの」
「あんたは酔って、自分で服を脱いで寝ちゃったんだ。本当に何もなかったよ」
「うん、そんな気がしてたわ」
友子は、男に実家の秋田まで送ってもらいます。
「手紙読んだよ、かわいそうに」と実家で出迎える母親。
「ずーっと、ここにいていいからね、一緒に暮らそう」と父親。
一方、卒業式も、入学式も、母親不在の息子は、父親に迫ります。
「どうして、お母さんは帰ってこないの?」
「アルツハイマーなんだよ。ボケてしまって、悪くなるだけなんだ」
2人は友子のタンスから、日記や写真を見ます。
「お父さん見て。赤い丸が食事をした時、青い三角が薬を飲んだ時、黄色はトイレにいく時間なんだ。お母さんは、すごく努力していたんだ。知らなかった」
買い物も、洗濯も、何でも書いてありましたが、だんだんひらがなになっていました。
2人は、友子を迎えに行きました。
「今まで育ててくれた母を、今度はオレが面倒見よう。今まで自分のことばかり考えていたけど、人の気持ちをわかる人間になりたい」という息子のセリフで物語は終わっています。
男と「寝た」ことは隠したままなのか
ラストはいい形で終わってますが、やっぱり認知症よりも、他の男と寝たのが嫌だな(笑)
友子さんはよく覚えていないとか言ってますが、ひとつの布団で寝たことは覚えているくせに、夫には話してないですよね。
これは、夫婦のあり方としてはよくない。隠しているわけだから。
認知症だからと許せることではないと思います。
なにもなかったからいいじゃないか、ということではないのです。
形の良いおっぱいまで見せているんですよ。
私だったら、それだけで気が狂いそうだな(笑)
そもそも、「なにもなかった」ということだって、秋田に行くときに世話になって、そのときに男から言われて、はじめて確認できたことで、もし「一期一会」だったら、その真実を確認できず、「寝た」事実だけは残るわけですよね。
もしかしたら「シたかもしれない」というより、常識的に見て「シた」可能性ありという事実。
たまたま、男がシなかったからよかっただけで、もしシてたら、若年性アルツハイマー認知症の身でありながら、妊婦になってしまうかもしれないわけです。
しかも、父親は夫ではない。
姑じゃないけど、そんなことでは、夫婦生活を続けるのは難しいでしょう。
それというのも、見ず知らずの男と、酒席をともにする、というところから間違っていますよね。
自分が、認知症って診断も受けている「普通ではない身」であることもわかっているわけです。
送っていってもらう「お礼」にごちそうというのが本当なら、友子さんは少なくともアルコールは自重して、家に連絡を入れて事実を話すべきです。
「家がわからなくなった。迎えに来て」
「冗談はやめろ」と言われても……
「いえ、冗談なんかじゃないの。家に帰ったら詳しく話すけど、お医者さんに認知症と診断されたんです。もし、コレないというのなら、今知り合った男性に送ってもらいます。その方には、お礼としてお酒を少しごちそうさせていただくつもり。私も飲むわ」
そこまでいわれたら、普通の夫なら、迎えに来るでしょう。
そこで、「どーぞどーぞ。酒でもなんでもヤッてくれ」というような夫だったら、友子さんが寝ても文句は言えないはずです。
つまり、男とシなかったのは、たんに幸運だっただけであり、認知症問題とは関係なく、もともとこの奥さん、自分に対してユルい人なんじゃないか、という疑惑があります。
どちらかというと、この奥さんとは正反対に、自分を厳格にして追い詰めるほうが、ストレスが溜まって認知症になりそうですが、若年性というのは、老年性の認知症とは発病のきっかけが違うのかもしれませんね。
みなさんは、いかがお思いになりましたか。
以上、若年性アルツハイマー認知症に苦悩する主婦を描いた『私がいなくなる』は、なかのゆみさんの『貧困の家 (1)』(ぶんか社)に収載、でした。
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